◆ この世界のイラン革命(1950s〜1970s)
① 大戦後のイラン:シャー政権は西側に急接近する
第三次世界大戦後、米英日が世界の安定化に全力を注ぐ中、中東は「石油供
給線維持」のため史実以上に対米協力が求められる。
イランのパフラヴィー朝は史実以上にアメリカ・イギリス・日本から支援を
受ける。
しかしその結果:
• 急速な都市化・工業化
• 格差の急拡大
• 宗教保守層の疎外
• モサデグ派民族主義者の不満
• クルド人・アゼルバイジャン人への抑圧増大
などが積み重なり、1950〜60年代を通じて社会不満が増大する。
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◆ ② ソ連の弱体化により「左派革命」は弱まる
史実ではイラン左派(トゥーデ党)はソ連の後押しで勢力を保っていたが、
この世界ではソ連が1950年代に衰弱し、武器・資金援助も断続的で党勢は縮
小。
→ 革命の担い手は「左派」ではなく、
宗教勢力
+
民族主義者(モサデグ派)
+
都市貧困層
+
石油労働者
の混合勢力に変化する。
「反米・反西側」というより「シャーの独裁と腐敗への反発」が主軸にな
る。
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◆ ③ 1969〜1974:革命の前夜
急激な工業化・農村崩壊・無計画な都市拡大が進み、史実以上に社会秩序が
乱れる。
不満を抱く勢力
• イスラム保守派
• 失業した農民
• 都市貧困層
• 石油産業労働者
• モサデグ派民族主義者
• クルド・アゼルバイジャンの地方民族勢力
宗教勢力は米英日に敵意は持たないが、
「シャーは西側に従い、国民を顧みない」
との非難を強める。
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◆ ④ 1975〜1977:革命の直接的契機
シャー政権の経済改革(白色革命の延長)が大失敗し、
• 物価暴騰
• 都市スラム拡大
• 宗教施設の締め付け
• 治安部隊の弾圧
• 石油産業の不平等契約
が国民の怒りを爆発させる。
ソ連の弱体化ゆえ左翼蜂起は小規模
→ 代わりに宗教勢力が民衆運動の中心を絶対化する。
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◆ ⑤ 1978〜1979:イラン革命(この世界)
史実と異なり、革命は以下の特徴を持つ。
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◎ 特徴①:反米革命ではない
宗教勢力と民族主義者が主導するが、
「アメリカ大使館占拠」など極端な行動は起こらない。
• 民主主義的な暫定政府樹立
• シャーが亡命
• 西側との断絶は避けられる(日本・英国と特に関係維持)
• 軍部の一部は革命側に付くが、全面崩壊はしない
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◎ 特徴②:ホメイニは台頭するが“最高指導者”にはならない
ソ連が衰退しているため、米英日の圧力は穏健化に集中。
ホメイニは象徴的存在にはなるが、
政治の実権を握るのは「宗教保守+民族主義」の連立体制
で、
「イスラム共和国」よりも
「イスラム的憲政国家(Constitutional Islamic State)」
に近い。
シーア派聖職者は強いが、独裁化は避けられる。
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◎ 特徴③:軍の崩壊が起こらない(これが最重要)
史実のイラン革命は軍が一度完全崩壊したため、
→ 直後のイラン・イラク戦争で苦戦した。
この世界では:
• 軍は分裂するも、完全崩壊はしない
• 日本・英国が仲介して混乱を抑える
• 静かな軍部再編が行われる
• 旧国軍と革命勢力の混成軍が成立
→ 後のイラク戦争で持久力を発揮できる
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◆ ⑥ 1979〜1982:革命後のイラン(この世界)
● 穏健イスラム政権
• 過激なイスラム法導入は抑制
• 西側企業の一部は留まる(特に石油)
• シーア派国家としては存続するが孤立しない
• 米英日との外交関係は維持
• 経済は混乱するが、史実ほど破壊的ではない
● 国内の不均衡は残る
• クルド、アラブ系省が不満
• 宗教勢力 vs 民族主義者の軋轢
• 王党派残党の地下活動
ただし崩壊はせず、徐々に新秩序が形成される。
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◆ ⑦ この世界のイラン革命の最重要ポイント(総括)
1. 反米・反西側革命にはならない
2. 宗教勢力+民族主義者の連立革命
3. 軍が崩壊しないため国家能力が維持される
4. ホメイニは台頭するが、独裁者にはならない
5. イラン・イラク戦争が短期化する最大要因となる
6. イランは“穏健イスラム国家”+“地域大国”として生き残る




