統一インド独立(1947)〜インド分割戦争勃発(1962)
◆ 1. 1947–1949:Partition を回避した“危うい独立”
あなたの世界では、
イギリスは第三次世界大戦前後の混乱で、インドをまとめて独立させざるを
得ない。
• 宗教分割(パキスタン案)は手続きが間に合わず
• 住民移動を伴う分離も不可能
• 米英日は対ソ戦に集中し、インド整理に深く介入できない
結果として、
ヒンドゥー 70%・イスラム 25%・その他 5% の巨大複合国家がそのまま誕
生する。
● ゴリ押し独立の副作用
• 中央官僚は前英領州を統合しきれない
• 警察・自治軍は宗教ごとに事実上分裂
• 地方政党・宗教団体が急速に武装化
• “北西・北東・南”の三大ブ
ロックの対立が露骨化
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◆ 2. 1950–1954:第三次世界大戦の余震がインドに波及 ― 国内武装化が加
速
● ソ連の対外工作がインドで本格化
第三次世界大戦(1948–1952)でソ連は大打撃を受けつつも、1950年代初頭
から徐々に南アジア工作を再開。
• 東ベンガルの左派イスラム勢力へ資金・組織支援
• パンジャーブの反中央ヒンドゥー武装組織にも秘密支援
• さらに、ヒンドゥー急進派に対しても西側とソ連が競合的に支援する形が
発生(代理勢力化)
ソ連の狙いは
「統一インドの弱体化」
であり、
• 中央政府に対抗する地方武装勢力
• 宗教的緊張を煽る宣伝工作
• 地域政党への武器供与
が並行して行われた。
● 一方、米英日の支援は限定的
理由は3つ:
1. 中華内戦(1950年代も継続)
2. 朝鮮半島の焦土化後の復興支援
3. 満州・ポーランドという冷戦前線の優先度が桁違いに高い
よって米英日はインドに
「形式的な民主国家として維持できればよい」
という程度の対応しかできなかった。
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◆ 3. 1954–1958:宗教紛争 → 民族蜂起へ発展
● 東ベンガル(現・バングラデシュ相当)での暴動
イスラム系多数地域で、中央政府のヒンドゥー優遇政策が反発を招く。
• ベンガル語 vs ヒンディー語問題
• 中央政府への税収集中
• 土地改革の遅れによる農村不満
• ソ連製武器の密輸拡大
この時期、東ベンガルでは死者数千〜数万人規模の暴動が毎年発生。
● 西パンジャーブでは逆に“反イスラム過激派”が台頭
• シク教徒とヒンドゥー急進派が連携
• イスラム人口を減らすための村落襲撃
• 地域政党が半軍事化
西側とソ連は双方に影響力を持ちたがり、結果的に火に油を注いだ。
● 南インド(ドラヴィダ圏)では反デリー運動が進展
• ヒンディー語支配に強く反発
• 再分離(Dravidistan 構想)が議論される
• 中央政府軍による弾圧で死者多数
• 一部組織が海外の武器商人から武装化
この時期のインドは実質「多地域内戦の予備段階」に入っている。
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◆ 4. 1958–1962:もはや連邦国家の体をなさない ― 内戦直前の状態へ
● 経済危機が最後の引き金に
1957–60 の世界不況(第三次世界大戦の後遺症+中華内戦)がインドを直
撃。
• 食糧難(特にベンガル・ビハール)
• 失業者激増
• 都市暴動で首都デリーも封鎖されるほど
• 地方政党が徴税を拒否し始める
• 中央政府は財政破綻寸前
● 地域武装勢力が「準国家化」
1960年代初頭には:
• 東ベンガル:イスラム民族主義政権が“影の政府”を形成
• 西パンジャーブ:軍閥化した民兵が行政を乗っ取る
• 南インド:ドラヴィダ民族党が地方議会を支配し、中央政府の指示を拒否
中央政府が直接支配できるのは北部ヒンドゥー地域(デリー周辺〜ガンジス
上流)だけになる。
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◆ 5. 1962年:ついに統一インド崩壊 ― インド分割戦争が勃発
● トリガー(直接原因)
東ベンガルの地方政府が中央政府への歳入送金を停止し、独自の安全保障体
制を宣言。
中央政府は「反乱」とみなして軍を派遣。
→ これに西パンジャーブが呼応し、
→ 南インド(ドラヴィダ圏)でも反デリー運動が一斉蜂起。
● 1962年8月:最初の本格衝突
• 中央政府軍がベンガル国境で武装勢力と衝突
• 数千人規模の死者が発生
• 各地で報復攻撃が連鎖
● 1962年末:全面戦争化
• 各地域が事実上の「独立宣言」をする
• 民兵が宗派ごとに民族浄化を実施
• 難民が数百万規模で発生
• ソ連が東ベンガル・西パンジャーブに武器供与
• 西側は中央インドへの“限定支援”
こうして インド分割戦争 が正式に勃発する。




