核による停戦
■ 1952年8月
ソ連によるポツダム宣言黙殺
ポツダム宣言を突きつけられたソ連政府は、スターリンの指示により完全黙
殺を決定した。
理由は明快で、
• 「核兵器は bleuffだ」との判断
• 「一度譲歩すれば、ソ連の帝国は瓦解する」という恐怖
• 欧州戦線ではなお大縦深防衛が保持されているという過信
• 国内プロパガンダ上、譲歩が不可能
であった。
スターリンは側近にこう語ったとされる。
「資本主義者どもは原爆を使う勇気はない。
奴らが恐れているのは我々ではなく、未来のソ連の復讐だ。」
この判断が、ソ連国家を破局へ導く。
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■ 1952年8月6日
キエフ原爆投下 ― 欧州での初の核使用
午前9時14分、B-36D爆撃機が高度11,000mからキエフ中央部へ原子爆弾(推
定22kt)を投下。
爆心地はペチェルスカヤ大修道院付近。
市街の約45%が焼失し、死者は即死7万、最終的に12万以上となる。
● 軍事的影響
• 南方方面軍司令部が壊滅
• 前線との通信が24時間途絶
• ソ連の大縦深防衛の「南翼」が完全に機能不全
連合軍は地上進撃を行わず、
核を政治的ショックとして使用した形となる。
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■ 1952年8月9日
スターリングラード原爆投下 ― 「帝国の心臓」破壊
3日後、連合国は2発目の原爆をスターリングラードへ投下。
歴史的な「大祖国戦争勝利の象徴」を破壊するという心理戦は絶大な効果を
もたらした。
死者は9万〜15万とも推定され、
ヴォルガ川沿いの工業地帯は壊滅。
ソ連軍は激しい混乱に陥り、後退する部隊も出た。
スターリンは激怒し、
側近を数名銃殺して「誰が情報を漏らしたのか」と血眼になって追及した
が、
内務省(MGB)すら動揺しており国家中枢は麻痺し始めていた。
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■ 1952年8月15日
スターリン急死(脳卒中)
キエフ・スターリングラードの損害報告が届き、
更に「第3・第4の攻撃目標が準備中」と知らされた直後、
スターリンは執務室で倒れる。
死因は脳卒中だが、
後世には毒殺説・陰謀説が広く語られるほど、
当時の政治状況は不安定だった。
● スターリン死去の軍事的影響
• 最高指揮系統が一時停止
• 欧州方面軍の継戦能力は「核攻撃を恐れる指揮官の自主撤退」で急落
• 中央政府が機能不全に陥り、連合軍は核の追加使用を警告
この時点でソ連は核兵器を保有しておらず、
「次はモスクワ」という恐怖が政権中枢を支配した。
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■ 1952年9月
ソ連内部の権力闘争 → フルシチョフ台頭
スターリン死去後、3週間にわたり激しい権力闘争が生じた。
● 主な勢力
• ベリヤ(MGB支配、停戦を主張)
• マレンコフ(スターリンの後継を狙う)
• フルシチョフ(党機構を押さえる)
• ズダーノフ派残党
決定的だったのは、
軍が「核攻撃の恐怖」を理由に即時停戦を要求したこと。
ベリヤは「停戦」を掲げたが、
政治警察が国民の怒りの対象となっており、軍の支持を得られず失脚。
最終的には党官僚機構を掌握したフルシチョフが政権を握る。
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■ 1952年9月末
連合国とソ連の停戦交渉開始
交渉場所は中立国スウェーデン・ストックホルム。
連合国代表は米国務長官・英国外相・日本全権が参加し、
ソ連は臨時政府を代表してフルシチョフ側近であるモロトフが出席。
核攻撃直後という状況のため、
ソ連は事実上の白旗状態。
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■ 停戦条件(ストックホルム合意)
以下が停戦の主要条項。
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【1】 ソ連は朝鮮北部から完全撤兵
北朝鮮国家は崩壊し、
南朝鮮(韓国政府)は一応焦土化した半島を統一
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【2】 ソ連は満州からも完全撤退
満州は日本・米国による共同管理区となり、
後に独立を回復。
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【3】 欧州での国境線はほぼ連合国の支配地域で固定
ソ連軍はベラルーシ・ウクライナ東部に後退。
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【4】 ソ連は中華人民共和国(共産中華)への支援継続を認められる
連合国はこれを阻止しようとするが、
ソ連側が「支援停止は国内暴動と政権崩壊を招く」と主張し譲らず。
これは後の**「第二次大中華戦争」**の遠因となる。
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【5】 連合国は追加核攻撃を停止
ソ連が合意を履行するかぎり、連合国は核攻撃を行わない。
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■ 停戦後の世界
● 欧州
連合軍勝利は決定的だが、
ソ連は国家として崩壊せず、「核を持たない超大国」として存続する。
● 極東
• 朝鮮半島は焦土と化し、復興に20年以上。
• 満州は連合軍の勢力圏へ。
• 日本は構造的に戦後アジア外交の中心となる。
● 中国
国民党(南京)は沿岸都市を保持し、
共産党は内陸部を保持する「長期内戦型二国家状態」へ。
ソ連はここへ援助を集中させるため、
欧州での戦争継続は不可能となった。




