◆ **フライングダッチマン作戦・第二段階
(オランダ・ベルギー突破 — フランス北部包囲)**
【1. 1950年6月18〜25日:
オランダ全土の電撃制圧】
上陸開始からわずか72時間後には、連合軍は
• 北オランダ(フリースラント、フローニンゲン、北ホラント)
• 中央オランダ(ユトレヒト州、南ホラント北部)
をほぼ掌握。
■ ソ連軍は壊滅的状況
• 補給線を英国空海軍に完全遮断される
• 撤退ルート(南方)は道路封鎖・橋破壊で絶望
• パリ方面のソ連指揮部は状況把握が遅れ対応不能
ソ連側の誤算は
「オランダの湿地帯は連合軍の進撃速度を落とす」
と思い込んだこと。
実際は、
• LVT水陸両用戦車
• M26パーシング
• 英軍センチュリオン
• 日本の機械化歩兵(輸送トラック・半装軌車)
が高速で進撃。
“オランダを3日で縦断”という前例のない早さだった。
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【2. 1950年6月26〜7月5日:
ベルギーへの怒涛の侵攻】
◆ 連合軍の侵攻軸は3本
1. 英軍:ロッテルダム → ブレダ → アントワープ
2. 米軍:ユトレヒト → ティルブルフ → ブリュッセル
3. 米軍+日本義勇軍:アイントホーフェン → ルーヴェン → ナミュール
■ アントワープ・ブリュッセル陥落(6月末〜7月頭)
• アントワープは英軍の戦車部隊が電撃突破
• ブリュッセルは米軍のM26戦車隊が市街北部を突破
• 市内共産党勢力は予想以上に弱体で抵抗は短時間
ソ連軍はフランス北部から急遽援軍を送るが、
空爆で移動を阻まれる。
連合軍はここで作戦の核心に入る。
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【3. 1950年7月1〜15日:
フランス北部で巨大包囲網形成】
◆ 目的は「フランスのソ連主力(約40〜50個師団)」を
北西から一気に包囲殲滅すること。
ここから連合軍の3つの突破矢が南へ伸びる。
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【A. 英軍:リール → カレー方面へ北上包囲】
英軍は一度ベルギー南西部に突破したあと、
フランス北岸へ折り返して包囲線を形成。
• カレー
• ブローニュ
• ダンケルク
を連続奪還。
今度は連合軍がソ連軍をダンケルク方面に追い詰める側となる。
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【B. 米軍主力:ブリュッセル → モンス → カンブレー → アラス】
史実のモンス包囲戦を逆方向から再現するような形。
• 米軍第1機甲軍団(パーシング、シャーマン改)
• 米軍第9軍団(重砲兵)
が高速で突破し、
フランス北部の要衝 アラスを制圧。
カレー〜アラスの線で西側の包囲線が完成する。
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【C. 米軍+日本軍:ルーヴェン → ナミュール → スダン(仏北東)】
ここが作戦最大の要点。
■ スダンの突破
第一次大戦、第二次大戦の激戦地スダンを、
今回は連合軍第四の軍が突破する。
• 日本航空隊が対地支援
• 日本の機械化歩兵が電撃的に町外れを確保
• 米第3機甲師団がアルデンヌを南北に突破
→ これにより、
フランス北部のソ連軍は完全に包囲される。
包囲網の規模は
縦250km × 横180km
史上最大級となる。
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【4. 1950年7月16〜30日:
フランス北部“大包囲殲滅戦”】
ソ連・仏共産主力は北仏全域で孤立。
• 補給断絶
• 航空支援ゼロ
• 西は海、北は連合軍、南は包囲軍
• 東側はアルデンヌで連合軍が塞ぐ
逃げ場は完全にない。
■ 包囲内の状況
• 兵士は食糧不足で士気低下
• 指揮命令系統は空爆で麻痺
• パルチザン(反共フランス人)が各所で妨害
特に日本部隊が担当した
スダン〜ランス〜アラス線の封鎖は極めて強力で、
ソ連軍の脱出口を完全に封じる。
■ 連合軍の殲滅作戦
• 米英は外側から圧縮
• 日本航空隊は包囲内部を低空で連続攻撃
• 米重砲兵の無停止砲撃でソ連防衛線を粉砕
7月末、
ソ連軍40個師団前後が壊滅または降伏。
第二次世界大戦のスターリングラード以上の損害となる。
欧州戦線はここで戦況が完全に逆転する。
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◆ 総括:
オランダ上陸からわずか45日でフランス北部のソ連軍主力を包囲殲滅
• オランダ北部の高速制圧
• ベルギーの即時突破
• 三方向からの南進
• スダン突破で完全包囲
• フランス北部のソ連主力殲滅
連合軍はここで
欧州戦線の主導権を全て掌握する。




