1948年欧州の総崩れと同時期、朝鮮・満州・中国で赤化勢力が一斉蜂起・侵 攻する構図
■1948年:アジア方面での赤化勢力の一斉攻勢
(欧州で連合軍がダンケルクまで後退したのと同じ時期)
1. 朝鮮半島:李承晩政権への二正面攻撃
●1) 金日成勢力の蜂起
独立後の朝鮮は日本占領を経ていないため軍の基盤は脆弱で、
李承晩政権は「反日」を優先しすぎて国家防衛体制が完全に整っていない。
そこにソ連の後押しを受けた金日成勢力(人民軍派)が、
• 平安北道・慈江道・咸鏡南北道など北部山岳地帯
• 咸興・清津周辺の都市労働者層
• 東海岸の港湾労働組織
に対して武装蜂起を組織し、一気に北部全域で反乱を展開する。
金日成勢力は 日本の兵器を一切持たず、完全にソ連製兵器装備である。
ソ連は、「スパスナズ顧問団」「政治将校」を秘密裏に投入して蜂起を指導
し、
模内戦へ発展。
蜂起は「局地反乱」というレベルを即座に超えて 北朝鮮国家樹立を狙う大規
●2) 沿海州からのソ連軍侵入
欧州攻勢と完全連動し、ソ連極東軍(第25軍・第35軍の一部)は、
• 清津~羅津方面
• 豊頃(豆満江流域)
• 咸興の北方山岳地帯
から「人民軍支援」を名目に国境を越えて侵攻。
侵攻は宣戦布告なしで行われ、
“アジア版ベルリン侵攻” と称されるほどの突然性と強度を持っていた。
●3) 李承晩政権の大混乱
李承晩政権は反日政策に注力してしまい、
• 日本との安保協力は最低限
• 米英軍は欧州に集中して極東にはほぼ不在
• 軍隊は旧日本軍将校を排除しすぎて質が低下
という三重苦であったため、北部はたちまち瓦解。
政府はソウルに戒厳令を敷くが、
半島北半分はわずか2~3週間で人民軍が掌握する。
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■2. 満州:満州国軍+日本関東軍残存勢力 vs ソ連極東軍
欧州開戦と完全に同調して、ソ連は 最大級の攻勢を満州に仕掛ける。
●1) ソ連軍の攻撃方向
1945年史実の満州作戦を上回る規模で、
• 東部方面
• 北部
• 西部(外蒙古)
の三方から同時侵攻。
装備はT-34-85・IS-2・Yak-9・IL-10など戦後型で固められ、
満州国軍および日本の派遣軍は正面で全く歯が立たない。
●2) 満州国の存立危機
満州国は日本・米英の門戸開放政策により発展途上だったが、
軍事力は脆弱で、ソ連軍の電撃的侵攻により満州北部は一気に崩壊。
日本はシベリアと満州が危機に陥れば対ソ本土直通となるため、
• 北海道への防衛線構築
• 朝鮮・満州の海上補給線確保
• 米英への緊急軍需依頼(戦車・航空機)
など、国家総動員に近い反応を取らざるを得なくなる。
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■3. 中国大陸:中華人民共和国(中共)の総攻勢
中共は日本から兵器を得ていないため、装備は全てソ連供与だが、
ソ連が 欧州・アジアの二正面戦略の一環として大規模支援を行った。
●1) 中共の攻勢
ソ連からの援助は以下の通り:
• T-34-85戦車部隊
• Yak戦闘機数百機
• 大量の歩兵装備
• ソ連軍事顧問団
• 国境地帯からの間接砲撃支援
これにより中共は、
• 山西
• 河北
• 東北三省南端
• 華北の鉄道幹線
で一斉に国府軍に攻勢を開始し、国共内戦は一気に中共優勢へ。
●2) 日米英の対処
日本は重慶国民政府(蒋介石側)を支援するため、
• 満州からの援軍転用が困難
• 山東・華中への海上輸送も危険
• 米英は兵力を欧州に集中
となり、中華民国への支援は政治的支援・武器供与に限られる。
国共内戦は 1948年末~49年にかけて一気に中共が優勢となる。
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■4. アジアの戦況まとめ(欧州電撃戦との同期)
●欧州
ソ連の電撃戦+フランス共産党蜂起により
英米日連合軍は ダンケルクまで後退。
●朝鮮
北部で人民軍が蜂起、
ソ連軍がそのまま国境突破して侵攻。
北緯38度ではなく北朝鮮の大半が既成事実的“人民共和国”化。
●満州
満州国・日本派遣軍がソ連の三方面からの攻勢に押され、
第二の満州事変と呼ばれる規模の大崩壊が始まる。
●中華大陸
ソ連支援を受けた中共が大攻勢。
国共内戦は中共優勢になり、蒋介石政権が劣勢に転落。
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■この状況は「アジア版の総崩れ」と言える
欧州戦線での衝撃的な電撃戦と同時に、
アジアでも
• 朝鮮蜂起
• 満州全面侵攻
• 国共内戦激化
が一斉に発生するため、
日米英連合は完全に 二正面・三正面戦争に巻き込まれる。
そしてここから、
**1948~1955年を中心とする“全世界的な第三次世界大戦”**へ加速してい
く。




