■ ドイツ降伏直後(1945年7月)の欧州情勢
■ 1. “連合国の勝利”だが、祝賀ムードは希薄
通常の歴史では5月のVEデーで欧州は勝利に沸いた。
しかしこの世界では、
• 日本派遣軍の消耗が甚大(戦死2.5万、戦力半壊)
• 米軍も史実より損耗大
• ソ連軍は依然として前進を継続し、停戦の兆しなし
という状況。
特に
★「ソ連がドイツ降伏後も前進を停止しない」
ことが最大の問題となり、
連合国側の政治指導者は安堵より警戒を強めていた。
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■ 2. ソ連軍:降伏後も“戦略的既成事実化”を続行
● スターリンの判断
スターリンは
• 日本の参戦により“西側の結束が強化”された
• 米英だけでなく“日本軍”が東欧に展開している
• もし自国の支配圏を拡大しなければ、戦後秩序が不利になる
と判断し、勢力圏拡大を急ぐ。
● ソ連軍の行動
ドイツ降伏(7月1日)後も以下の地域へ前進を継続:
• チェコスロバキア西部
• オーストリア東部(ウィーンから更に南へ)
• ハンガリー西部の橋頭堡強化
• ポーランド西部の駐留軍増強
さらに、旧ドイツ領に進駐した米英軍の前にソ連軍が割り込む
という危険な行為も発生。
→ 史実よりもはるかに深刻な“武力による勢力圏争い”が起こり始める。
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■ 3. 連合国(米・英・日)の立場と焦り
● 米国
ルーズベルト死去後のトルーマンに近いが、
あなたの世界線ではルーズベルトは健康悪化で政権を降りており、後継大統
領がより“反ソ強硬派”
。
米参謀本部は、
• 日本軍が欧州に参加
• 東部戦線に思いのほか戦力を展開できた
• 欧州での補給線が史実より安定
という事情から**「ソ連を抑えられる」と判断しやすい**
。
→ ソ連の行動に強く反発。
● 英国
チャーチルはスターリンを深く不信。
1945年7月時点では選挙前であり、まだ政権は維持されている。
チャーチルは“欧州戦終了=対ソ戦準備”とすら考えており、
★「日本軍は対ソ戦の貴重なカード」と評価。
● 日本
日本政府は、
• 欧州派遣軍が壊滅寸前
• 国力も消耗している
• 国内はまだ“反ソ感情”が強い
という状況だが、米英との協力を優先し、
“ソ連の前進には反対”という姿勢を崩さない。
しかし、日本としては
「ここで本格的な対ソ戦は勘弁してほしい」
というのが本音。
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■ 4. 東欧・中欧での米英日 vs ソ連の“接触線”
● 最も緊張が高い地域
1. オーストリア:ウィーン西方~ザルツブルクのライン
→ 日本軍が担当しており、ソ連軍と接触。
2. チェコスロバキア西部:プルゼニ周辺
→ 米軍が抑えるが、ソ連軍が侵入を試みる。
3. ドイツ東部:エルベ川流域
→ 連合軍の割譲地域を巡って対立。
● 日本軍が“最前線の最も危険な地域”を担当
日英米は、日本軍を
• 山岳戦が得意
• 夜戦に強い
• 規律が高い
• 反ソ意識が強い(政治的に扱いやすい)
という理由で、ザルツブルク〜インスブルック方面の防衛に配置。
この配置が後に
★ 日本軍とソ連軍が最初に衝突する理由
となる。
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■ 5. フランス・イタリア・バルカンの情勢
● フランス
• 社会主義勢力が躍進
• 東欧の動きに強く反発
• しかし国内再建が優先で対ソ強硬には出づらい
● イタリア
• 国王派と共和派が対立
• 北イタリアにはまだ武装SS残党、共産パルチザンも活発
● バルカン(特にユーゴスラビア・ブルガリア)
• チトーがソ連影響下で勢力拡大
• ギリシャでは内戦が勃発しそうな雰囲気
• 東地中海で英軍が懸命に抑止
史実以上にバルカン半島が“火薬庫”化している。
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■ 6. “戦後秩序”に向けた米英日 vs ソ連の激しい外交戦
● ポツダム会談前に関係が悪化
会議は7月下旬の予定だが、
その前に情勢は急速に悪化する。
• ソ連はポーランド完全支配を要求
• 米英は東欧の自由選挙を要求
• 日本は米英寄りの姿勢を取り、ソ連を刺激
双方の譲歩は全く見えず、
史実のような「冷戦の開始」どころか、
★「早期の軍事衝突直前」の雰囲気が漂う。
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■ 7. “最初の発火点”となる事件が発生寸前
ドイツ降伏直後の7〜8月には、
• ソ連軍車両が日本軍警戒線を越境
• 日本兵が威嚇射撃
• ソ連兵が発砲し負傷者発生
といった小競り合いがすでに複数発生している。
米軍・英軍は、
「日本軍は規律が高く、挑発しないが、
一度交戦すれば徹底抗戦する。」
ことを把握しており、
ソ連もまた日本軍を警戒する。
このため、緊張が最も高い地域は
● “オーストリア南部”
=日本軍が防衛し、ソ連軍が突き進もうとする地点
となっている。
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■ まとめ:
ドイツ降伏の瞬間から、冷戦は“ほぼ戦争直前”の危険水域へ
あなたの世界線では、
• 日本の連合国参戦
• 派遣軍の中欧駐屯
• 各地の戦線の遅延
• ソ連の拡大欲求増大
• 米英の反ソ姿勢強化
が重なり、
史実より**はるかに早い“東西対決”**が到来している。
史実では1948年頃に固まる「冷戦構図」が、
この世界では1945年夏にはすでに形成されている。




