表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海鳴の怪旅館  作者: 月臣
第二章 海辺の古旅館
7/26

海辺の古旅館④

 融けかけた夕陽が海に吸い寄せられていく。橙の光が紫紺の海に一本の炎の道を描くさまが美しい。

食堂の開放的な大きな窓から見える景色に目を細める。向かいに座る威吹も、うっとりとした顔をしていた。

 広い大食堂に揃った客は美空、大学生四人組、老夫婦、三十代前半の健康的なサーファーらしき男二人組で全員だった。


 夕食は先付の酢の物とゴマ豆腐と松風焼きの盛り合わせ、鶏と野菜の炊きあわせ、刺身、天ぷら、和牛の陶板焼き、茶わん蒸しとオーソドックスだが、飾り切りや鮮やかな彩が美しく、丁寧に作られていて味付けも抜群だった。

 なにより、デザートがただの果物でなく抹茶ババロアだったのが嬉しい。はっきり言って、和旅館だからスイーツは期待してなかった。


「美味しかったね。久しぶりにちゃんとした料理を食べたって感じ」

「なんだそりゃ、普段何食べてんだよ」

「サンドイッチとか、レトルト食品とか、お惣菜。自分で作るとしたらまあ焼きそばとかチャーハンかな。滅多に料理なんてしないけどね」

「ひでぇ食生活だな、心配になってくるわ」

「なら、威吹が作りに来てよ。君、いつも手作り弁当だもんね。料理得意でしょ」

「いいぜ。たまには作ってやるよ」

 威吹がにっと犬歯を見せて笑う。


 冗談のつもりだったから、面食らってしまう。

 紫月家に居た頃は大事な跡取りとして、お手伝いや親族に丁重に面倒を見られてきた。そこを出て金銭以外の援助を失い、ただの操という男はとても孤独な人間だと思っていた。

 でもどうやら、利害関係なく面倒を見てくれるお節介が傍にいるらしい。そのことを少しくすぐったく、暖かく感じた。


 ああ、僕らしくない。


 戸惑う僕にかまわず、威吹は「せっかくだから温泉に入らねぇとな」と、鼻歌混じりに歩いていく。僕も浴衣とタオルを手に威吹と温泉に向かう。


 渡り廊下を歩く途中、黒くうねる不気味な海が見えた。

 空には僅かに欠けた居待月が浮かんでいる。月光が海に銀の道を描き、その道を歩いて何かがやってきそうな気配がある。なんとも美しく妖しい光景。

 不吉な予感のする景色から目を背けた。

 こういう予感はよく当たるから嫌だ。


 大浴場には僕と威吹以外は誰もいなかった。貸し切り状態で風呂を楽しみながらふと思う。こうやって赤の他人と裸の付き合いをするのは初めてだ。

 小学校も中学校も修学旅行は欠席した。仕事があったからだ。

 無防備に緩んだ威吹を見ながら、自分も無防備になる。重たい鎧を脱いだように脱力した自分が鏡に映っている。まるきり普通の高校生の自分だ。

 こういうのも悪くない。自然と唇の端が綻んだ。


 僕と威吹は露天風呂もしっかりと堪能して、大浴場を後にした。

 予想通り何も起きなかったし、幽鬼の気配は感じない。警戒して姿を潜めている可能性もあるが、今回ははじめから何もいないに一票だ。となると、残る問題は連続バラバラ殺人の調査か。

 

 ロビー正面の階段の前で立ち止まり、小さなラウンジを振り返る。

 オレンジの柔らかな照明を反射しながら、金の振り子が規則的に揺れている。古めかしいぼんぼん時計の黒い短針は九時を示したばかりだ。

 聞き取り調査をしておこう。フロントの呼び鈴を鳴らす。


 事務室から出てきた女将に頼んで、従業員全員と話したいと伝えると、応接室に通された。

程なくして、まさき旅館の従業員達が現れる。

 短く刈った灰色頭に頑固そうな厳めしい顔立ちをした板前の梅田清士(うめだきよし)。円らな瞳に明るい表情が魅力的な入社三年目の仲居の三浦柑奈(みうらかんな)。ほっこりと和やかなベテラン仲居の折戸冴(おりとさえ)。そして手塚拓也。

 現在のこの四人が様々な仕事を掛け持ち、旅館の運営を回している。閑古鳥が鳴く旅館とはいえ、かなりの激務だろう。


「清士さんと冴さんは先代の私の両親が後を継いだ時から働いて下さっていて、私より旅館のことをよく知る、まさき旅館の要です」

「いやだわ、清乃ちゃんったら。凄腕料理人の梅さんはそうだけど、アタシは経験が長いだけのおばあちゃんよ」

 ころころと冴が笑う。


「ワシは忙しいんだ、話なら手短にしてくれんか」

 愛想のいい冴と反対に、梅田はつっけんどんな態度だ。


「梅田さんはこの旅館で怪現象に遭遇したことは?」

「ワシはない、霊の存在も信じとらん」

「信じていないのに、僕達の来訪を許可したのですか?」

「許可するもなにも、お得意の客がネットの噂を聞いて勝手に騒ぎ立てて、腕のいい祓い屋に解決させると息巻いてアンタらを雇ったんだ。拒否する間もなかった。あの色惚け狸、女将の前で格好つけようとして。こちとらいい迷惑さな」

「ちょっと梅さん、失礼よ」


 冴が梅田を肘で軽くつつく。梅田は小さく眉を寄せて軽く頭を下げた。

「すまない、アンタらを馬鹿にしてるんじゃあない」

 厳めしい頑固爺ってかんじだけど、嫌な奴ではないらしい。僕は営業用の愛想笑いで梅田の謝罪に応じた。


「構いませんよ。手塚君と清乃さん以外は、誰もここで妙な体験をした人はいないのですか?」

「アタシは特になにも。柑奈ちゃんはどうかしら?」

「わたしもです。力になれなくてごめんなさい」

「では質問を変えましょう。近隣で妙な事件が起きているとも伺っています。ここ一年ぐらいでバラバラ殺人が何件か起きているとか」

「そのことならオレが知ってるぜ」

 手塚が意気揚々と手を挙げた。


 またコイツか。

 内心呆れつつ、僕はポーカーフェイスの笑みを崩すことなく「話してもらえますか」と促す。


「それ、牛中の呪いだわ」

「牛中の呪い? なんだそりゃ」


 怪訝な顔をする威吹に、手塚がヘラっと笑う。


「勝浦市で四つの死体が見つかってんだよ。一年前、二〇一八年八月が最初の事件で、男子高生の市川の死体が見つかった。次は十二月に女子大生の長澤。今年三月に四十三歳の男の石田。六月に男子高生の加藤」

「四件もか、物騒だな」


 威吹が顔を顰めると、手塚が鼻の穴を膨らませて得意げな顔をする。


「警察が同一犯として捜査中だけど、人間技とは思えない無残な殺されかたのうえ、犯人に繋がる痕跡はいっさいナシ。ただ、被害者には共通点がある」

「共通点?」

「じつはみんな牛島中学関係者ってな。市川と長澤と加藤は牛中卒業生、石田は牛中の体育教師で野球部顧問」

「なるほどな、それで牛中の呪いだという噂が流れたわけか」

「そうそ。オレも実は牛中出身だったりするんだよなあ。市川と加藤は同級生」


 被害者と手塚が知り合いとは。どうりで事件に詳しいはずだ。


「他の二人も知りあいかい?」

「石田は俺が在籍中からいたけど授業をもってもらったことねーし、長澤も二つ上だから、よく知らねーわ」

「手塚、あんたも高校生だったんだな」


 少し驚いた顔をする威吹に、手塚はちょっと嬉しそうにへらりと笑った。


「オレ、ワケあって高校中退したけど、今年十八なんだわ」

「何故、高校に通ってないんだ?」


 君のことなんてどうでもいいんだけど。そう思う僕を余所に、威吹は手塚の自己主張とかまってオーラにご丁寧に反応を示す。


 わざわざ質問してあげるなんて、お優しいことだ。どうせ碌でもない話を聞かされるに決まっている。

 嫌な顔をする僕に気付かず、手塚が嬉々として威吹の質問に答える。


「中卒後からちょいワルでよ。ケンカにバイクで暴走、飲酒と喫煙。いろいろやったなー。んで高校追い出されてしてブラついてたところ、四カ月前に女将に拾われて真人間になったんだわ。派手なパツキンだったから黒に戻すの苦労したわー」


 ほら、どうでもいい話だった。


 自分の悪事を自慢する人間の気持ちなど、僕には理解できない。暴力とけち臭い法律違反を自慢したところで、その手を血に染めたことなんてないのだろう。

 まだ片手で数えられる年齢の頃、父の命令で初めて人を呪った記憶が甦る。目の前で捩じれる手足、悶絶して泣き喚く男、容赦するなという父の罵声。あの時の僕にはまだ、人の心があった。

 僕は冷めた目で手塚を見た。


「手塚君、僕は君の思い出話を聞きたいわけじゃない。殺された加藤君と市川君と面識があるようだけど、彼らが殺された理由の心当たりはある?」


 武勇伝の邪魔をされて、手塚はムッとした顔をする。


「あるかよ。加藤は同じサッカー部でダチだったけど、中学卒業してからは会ってねーし。市川は一年の時同じクラスだったけど、ちょっと話したことあるってぐらいだし」

「よく思い出すんだ、本当に何も思いつかないのかい?」

「警察もサジ投げてんのに、オレが思いつくかっつーの。牛中が怨霊にでも呪われてんじゃね? ハハ、オレもそのうち殺されたりしてな」


 ヘラヘラ笑う手塚に梅田が軽く拳骨を落とす。


「コラ、拓也。縁起でもないこと言うもんじゃあない。オマエは牛中の呪いだなんて騒いでいるが、ワシは信じとらん。この辺に住んでいたら、私立中学でも行かない限りは牛中出身さね。県外から嫁いできた冴や隣の鴨川市出身の柑奈は違うが、ワシも女将も牛中出身だ」


「梅さんの言う通りよ、拓也くん。アタシと梅さんはもうすぐ還暦で、数年後にはここをおさらばしちゃうんだから、拓也くんと柑奈ちゃんが次の柱になって清乃ちゃんを支えてあげなくちゃ。殺されるなんて言わないで」

「へへ、そこまで言われちゃあガンバんねーとな」


 梅田と冴に窘められ、手塚が嬉しそうに笑う。


「連続殺人関連で、この旅館で何か妙なことが起きたことは?」


 質問しつつ、僕は全員の顔をさりげなく見回す。

 手塚の顔に変化はないが、梅田、冴、柑奈には一瞬だが変化があった。梅田と冴は左の目元をピクリと小さく痙攣させ、柑奈は目を瞠っている。

 気まずさ、恐れなどの負の感情の気配。三人はすぐさまそれを消して、素知らぬ顔で『何もない』と答えた。だが、間違いなく何かを隠している。


 威吹も同じように感じたようだ。じっと僕の方を見てから、ちらりと三人に目をやった。

つついてみようか。

 そう思った矢先、意外な人物が口を開いた。


「バラバラ殺人のはじまりは去年の八月ではありません、二月です」


 静かな声で告げた清乃を、全員が驚いた顔で見る。

 突き刺さる視線を軽やかに受け流し、彼女は語り続ける。


「亡くなったのはここの仲居をしていた智子さんです」

「智子さんとは?」

「智子さんは、四年前の三月に私が女将になった直後、両親が雇った私の幼なじみです。華やかで美しい人でした。智子さんは去年二月、この辺りの路地裏で無残なバラバラ死体で見つかったのです」


 女将の告白に、梅田と冴と柑奈が困惑した顔をしている。


「清乃ちゃん、そのことは今回の連続殺人とは無関係よ。智子さんはホラ、男にだらしないところがあって、いろんな人に恨みを買ってたでしょ。旦那さんともそれが原因で離婚されて、地元に出戻ったんだもの。個人的な怨恨で殺されたのよ」

「智子の件は、警察も複数いた恋人か元夫が犯人と見当をつけて、別件として捜査しているって話だ。わざわざ祓い屋に教えるような事件じゃあないさね」

「そうですね、話すべきではありませんでした。みんなに悲しいことを思い出させてしまってごめんなさい」


 本当にその通りだ。梅田達は智子のことをタブーのように扱っているのに、清乃はどうしてわざわざ話したのか。


 注目を集めるためか。いや、清乃は手塚と違って目立ちたがり屋でもお喋りでもない。智子の無念を晴らしたくて協力してくれているとか。もしくは関連がありそうなことはすべて話すべきと考えたか。 

 清乃の意図を考える僕を、梅田が責めるように見る。


「そもそも、祓い屋はウチの旅館の怪奇現象を解決に来たんだろうよ。それがどうして、勝浦市の連続殺人事件の話になるんさね」


 不動明王めいた迫力ある表情だったが、僕は涼しい顔で受け流す。


「別件で殺人事件に関しても調べていまして。皆さんもこんな物騒な事件は早く解決したほうが安心できるでしょう。どうぞ、ご協力ください」

「そいつは警察の仕事だろうよ」


「普通はそうですね。でも、僕には僕の事情があるので。こちらの件に関しても知っていることや気付いたことがあればいつでも教えて下さい。お時間を頂きありがとうございます。今夜はこれで失礼します」


 慇懃に頭を下げると。威吹を連れて応接室を後にした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ