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海鳴の怪旅館  作者: 月臣
第一章 奇妙な繋がり
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奇妙な繋がり②

 月が美しい夜だった。

 月を見ながら寝たいけれど、満月の光を浴びていると自分の中の狂気が活性化されそうな気がして、カーテンを閉めた。満月はあの女の琥珀色の瞳に似ている。十年前この家で暮らしていた、母の綾女(あやめ)の瞳に。

 僕はいつもよりも早く目を閉じた。


 高校入学と同時に本家を追い出されるようにこの小さな一軒家に移住して、もう三カ月以上が経った。使用人がいなくて身の回りの世話の一切を自分ですることに、はじめは辟易としていた。でも、今ではすっかり慣れた。

 本家と同じ三鷹市内だけど、この辺りはかなり静かだ。自然が多く残り、虫の音がよく聞こえる。家から放り出しておきながら父が仕事の依頼を寄越してくるのには辟易とするが、一人の気楽さと静けさは悪くない。


「操。これは貴様が一人前になるための訓練だ」

 父はそう言ったが、嘘だ。単に厄介払いがしたかったのだろう。父が心の底で僕を畏れているのは知っている。


 僕は生まれた時から霊力が高く、幼い頃から家業を手伝わされていた。霊を祓う仕事、呪いを解く仕事、中には人を呪う仕事もあった。

 時には呪った相手を死に至らしめることもあった。霊力を呪いの力に変換する呪力を使うことで、物理的な攻撃なしで相手に害を齎す。並外れた霊力を持つ僕の呪力は凶悪で、何の能力もない普通の人間を呪殺することは容易だった。呪殺は法では裁けない、完全犯罪だ。


「これは単なる仕事だ、無情であれ。殺すも生かすも同じ仕事で貴賤はない」

 息子にそう教え込み、心を持たぬ悪夢の呪術師に育てたのは父だ。


 なのに父は、息子が人を呪って薄ら笑いを浮かべるような壊れた人間であり、自分をも凌ぐ強大な霊力を持っていると知るや、僕に恐れを抱くようになった。

 幼い頃から冷酷無比な躾をし、仕事とはいえ殺人を強要したことを息子が恨みに思って、法に触れずに自分を殺そうとするのではないか。そう疑心暗鬼に陥ったのだろう。

 だから、僕を外に放り出した。そして、見向きもしなかった三歳下の弟の(みこと)を、新たな後継者として育てている。


 人間が身勝手な生き物だなんてことは、とうの昔に知っていた。父が僕を捨てようが何とも思わない。だけど、落胆はした。

 紫月家が請け負うのは基本的に霊や妖怪、他者の呪いから依頼主を助ける仕事だ。無意味に祓われる霊や妖怪より、本当は人間のほうが極悪で、生きていてもしょうがないように思う。なのに、どうして僕が人間を助けなければいけないのか。

 仕事なんてやりたくない。でも、本家の援助を受けて生活している以上、仕事からは逃れられない。僕が子供で庇護される立場だからというのもあるけど、紫月家の血を受け継いだからには、大人になっても家から逃れられないだろう。


 孤狼の末路は暗澹としている。

 制御不能な兵器を野放しにできない。忌むべき奇才を脈々と繋ぐ紫月家の連中は、そう考えているだろうから。

 脳裏に自分とよく似た綾女の姿が浮かんで消えた。


「こうやって、死ぬまで血に縛られて生きていくのだろうねえ」

 闇に響いた独り言が胸に空虚を齎した。僕の人生はなんてつまらなくて、くだらないのだろう。

時々思う。いっそ、妖怪や幽霊の味方になって人間を消したほうが健全な世界になるし、楽しいのではないかと。


 まあ、そんな愚かなことはしないけど。いくら罪に問われないとはいえ、大量殺人鬼になる気はない。今のところは。


 ぼんやり天井を見詰めていると、自分の領域に何者かが踏み込んだ気配を感じた。

もしかして父が送った刺客か。恐るべき息子を秘かに殺してしまおうという魂胆かもしれない。

 ここ最近よく見るあのハチワレ猫も、何か関係があるのだろうか。


「ふふ、面白いね」

 僕はベッドを抜け出した。


 パジャマで刺客を迎えるのはなんとも間抜けだ。仕事着の白いカッターシャツに灰色のスーツベスト、黒いネクタイ、黒い細身のスラックスに着替えた。寝癖のついた髪はざっくりと手櫛で直して(どうせ寝癖か癖毛かわからない)、いつも通り左側だけ前髪を掻き上げて軽く整えた。最低限、格好がつく見た目になっただろう。


 今僕がいる事務所を兼ねた自宅は特に何もしていないけれど、仕事道具やコレクションを収納した二階建ての土蔵の周囲には、見えない結界が張ってある。

 仕事道具は盗まれてもまた買えばいいが、コレクションの中には再び世に解き放たれてはいけないものが多数ある。

 本家に居た頃は家の名が守ってくれたから不届き者の心配をしなくて済んだが、一人暮らしをはじめてからはそうはいかない。だから結界で不法侵入をすぐ感知できるようにしてある。


 外に出ると生温い夜風が頬に触れた。人の吐息みたいな不快な温度だ。

 庭を通って、白くぬっぺりと佇む土蔵に近付く。漆喰の壁が満月の光を浴びて、青白く闇に浮かんでいた。

 蔵の観音開きの黒い扉は閉まっており、小さな窓からは明かりが漏れていない。一見いつもどおりだが、錠前が開いている。


 そっと蔵の中に入る。扉を閉めると、忽ち濃い闇に包まれた。

 夜目はかなり効く。小さな窓から入る月明りだけでも十分辺りの様子が見えた。

 箪笥の上に座る胸に札が貼られたフランス人形、箪笥の隣のガラスケースに入った日本人形がこちらを恨めしげに見ている。どちらも怨霊を封じ込めた代物で、大事なコレクションだ。


 雑多に置かれた仕事道具を動かした形跡があり、板張りの床には足跡がいくつも残っていた。侵入したのは人間の可能性が高い。

 古く陰湿で不気味で秘匿めいたこの土蔵に真夜中に忍び込むなんて、なかなか度胸があるじゃないか。呑気に感心する。


 足跡の種類は二つ。一つは約二十四センチと小さく女性の可能性が高い。もう一つは約二十八センチと大きいので男のものだろう。


「ただでさえ浅い僕の眠りを妨げるとは、いい度胸じゃないか」


 強盗だろうか。それにしては何か盗られた形跡はない。我楽多が多いことは確かだけど、壁の幽霊画の掛け軸や、金の装飾を施した壺ぐらいは盗まれてもよさそうなものだが。


「さて、侵入者は二階か。それとも隠れているのかな」

 仕事着の袴や着物が収納されている大きなクローゼットの前に立つ。

 扉を開くのと同時に、中から何かが飛び出してきた。


「若旦那、逃げておくんなせぇ。ここはオレサマが!」


 短い赤茶色の髪をすべて後ろに流した青年が飛びかかってくる。

 青年は百八十センチの僕より少し低い背丈で、爪が異様に長い。切れ長の瞳は鶯色だ。

 全身から放たれる異質な気配。彼は人間じゃない。実体がはっきりしているので幽霊ではなく、妖怪だろう。


 珍しく予想が外れたな。


 青年と僕が対峙している間に、小さな影がすごい勢いで真っ暗な蔵の中を駆け抜けて、外へ出ていく。

驚異的な速さだ。こちらも妖怪かもしれない。

 逃げられるのは癪だが、まずは確実に一体仕留めよう。


「この僕と戦う気かい? いいだろう。化けの皮を剥いであげよう」


 右手の人差し指と中指をくっつけて立て、黄金色の霊気を纏わせる。

 強く息を吐き出すと同時に黄金色に光る指を水平に払って纏った霊気を放出すると、青年が壁に叩きつけられた。

 すかさず距離を詰めて、禍々しい黒い霊気を纏った左手で青年の首を掴む。この黒い霊気は負の感情を込めた呪力で、不規則に揺れて黒い炎のように見える。


「ち、力が抜ける」

「この黒い炎はあらゆるものの生気を奪う。安心しなよ、まだ殺さない。侵入の目的を聞きたいし、君の正体を見極めなくてはいけないからね」


 切れ長の鶯色の瞳に恐怖が宿った。だが、戦意喪失したわけではなさそうだ。僕の腕に爪を立てている。痛みは殆どないけど、腹立たしい。


「無駄な抵抗ご苦労様だね」

「くっ……そ。若旦那、すまねぇ」


 生気を奪われて変化を保てなくなった青年が本性を現す。

 どんな奴が現われるのか楽しみにしていたが、その正体にがっかりした。

 青年は大きな茶トラ猫だった。


 また猫のお客さんか。

 力を失った茶トラの首根っこを掴み、顔を覗き込む。唸りながらシャーと牙を剥く様はまるきり普通の猫だ。どうやら彼は猫又らしい。逃げた小さい侵入者は、今朝のハチワレ猫かもしれない。あの子は雄だったか雌だったか。通りすがりの猫の股なんてじっと見ないから、覚えてないな。


「多々羅を離せ!」

 鋭い声と共に小さい侵入者が戻ってきた。男の声、雄猫か。いや、違う。この声、あまりにも聞き覚えがある。

 僕は猫股の首を掴んだまま扉に視線を向けた。

 新円の月を背負い、扉の前に仁王立ちするチビに驚愕する。


「はあ、威吹? 何故、君が……」

「その声、操か?」


 威吹が目を見開き、阿呆みたいに口をポカンと開ける。

 屈辱的なのだけれど、僕も彼とまったく同じ顔をしていた。



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