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夜にやってきたのは敵国の女

 

〇 謎の女性 〇


 ホルム王国ヒュルトゲン地方の村に住む青年アルミンは、高校卒業後、継父母が営む小さな宿で働いていた。


 アルミンは真面目かつ素直な性格の好青年で、特に不自由なく宿の仕事に黙々と励む日々を送っていた。


 そんなある日、夜も更け土砂降りの雨が降りしきる中、受付で呼び鈴が鳴り響いた。


「はい、今参ります」


 そう言ってアルミンが受付へ向かうと、全身ずぶ濡れのボロボロのトレンチコートを着た女性が、年期の入った大きなトランクケースを持ち、服や髪から水を滴らせながら立っていた。同伴者はおらず、どうやら一人のようだった。


「宿泊の予約をしておらず申し訳ないのだけど、今晩ここに泊めさせていただけないかしら。雨に降られて帰れなくなってしまったの。一泊だけでいいわ」


 彼女は訛りのあるホルム語で不安気にお願いした。


 正直、飛び込みの客は歓迎できないし、こんな片田舎を一人でうろついているというのも怪しい気がしたが、女性を雨が降る夜道に放り出すわけにもいかず、アルミンは彼女を受け入れる方向で考え出した。


「わかりました。部屋をご用意しましょう。まず、台帳にお名前の記入をお願いします」


 彼女は台帳に“エーデル“と記入した。


 所定の受付を済ませるとアルミンはエーデルを中へ案内した。その時、彼女が重そうに運ぶトランクケースを持ってあげようと手を伸ばした。


「お荷物をお持ちしますよ」


「お構いなく、自分で持ちますわ」


 エーデルはそう不愛想に断ると、他人に触られるのを嫌がるようにして、そのトランクケースを抱え込んでしまった。


 アルミンはエーデルを部屋まで案内すると、まずは風呂に入って汚れを落とすように促し、温かい食事を用意して再び彼女の部屋へ向かった。


 汚れを落としたエーデルの姿を見たアルミンはその美貌に息をのんだ。


 髪は滑らかな金髪で、鼻は高く、清廉な顔立ちをしており、クール系美人という感じである。身なりはボロボロであったが、醸し出される雰囲気からして良家出身の貴婦人であることが、村から出たことがない田舎者のアルミンにも分かった。年齢は明らかにアルミンよりも上の大人の女性であったが、彼はその美しさに目を惹きつけられた。


 しかし、エーデルの顔には生気がなかった。瞳はきれいな碧眼なのに、目は虚ろで、心労からか目元には濃い熊と皺ができていた。


「それにしても、こんな夜更けに何をしていたんですか。それにあの泥だらけの格好、何か事件にでも巻き込まれたのですか」


 アルミンは話を切り出した。


「実は私、森へ行って来たの。と言っても、目的地に着く前に道に迷ってしまってね。雨にも降られて、諦めて引き返したというわけよ。でも帰り道にも迷ってしまって、全く情けないわ。それで彷徨っていたところ、偶然あなたの宿に辿り着いたという次第よ。一時はどうなるかと思ったけど、あなたのお陰で助かったわ」


「森って、このヒュルトゲンの?」


「そうよ」


「一人でですか?」


「ええ、まあね」


「何をしに行っていたんですか?」


 アルミンは思わず質問を重ねてしまった。こんな美女が一体何の目的があって、あんな不気味な森へ行きたがるのか不思議でならなかったのだ。



「私は供養をしに来たのよ。戦争中、出征した親戚や友人だった人たちが、あの森の戦いで戦死してしまってね。だから、その戦没地に行って、お祈りをしようと思っているのよ」


 供養とは、ゲールー兵ではなくホルム側の戦死者のための供養だろうとアルミンは思った。なぜなら、戦後でもホルムとゲールーは平和条約を結んでおらず、両国の国交は断絶したままで、ホルム政府はゲールー人の入国を禁止していたからである。ゲールー帝国は世界大戦で敗北した後、国家が崩壊して内戦状態となり、現在でもゲールーの政情は不安定で、とても外交関係を結べる状態ではなかった。なので、ゲールー兵の遺族がホルム王国へ供養の旅に訪れるはずがなかった。


 そもそも、あの森に立ち入る事自体が危険な話であった。森にはゲールー兵の亡霊が出るのだ。


「あのう、言いにくいんですけど、僕は森に行くことはやめた方がいいと思います。狼みたいな獣もいますし、それに恐ろしい亡霊が出るんですよ」


「ゲールーの亡霊兵士ね。聞いたことあるわ、でも迷信でしょ」


 忠告をエーデルに軽く流されたので、アルミンは向きになった。


「本当に出るんですよ。外部の人はあんまり信じてくれませんが、ゲールー兵の亡霊が本当に出てきてホルム人を襲うんです。僕も見たことあります。あいつら、今でも戦争をしているつもりなんですよ。ゲールー帝国なんてとっくの昔に滅んだのにね」


「あらそう」


 エーデルは少し気を落としたように俯いてしまったので、アルミンは言い過ぎたと思った。


「すみません、熱くなってしまいました。でも、心配いりませんよ。今度、魔術師が来てくれることになっているんです」


「魔術師?」


「はい、魔術師に亡霊たちを退治してもらおうと、村が計画しています」


 アルミンはエーデルに朗報を伝えたつもりだったが、彼女は安堵の表情ではなく、驚きの表情を浮かべた。


「その魔術師はいつ来るのかしら?」


「確か、数日中には来ます。もしよければこの宿に滞在して、魔術師が亡霊を退治してから、森へ行くのはいかかですか」


 話を聞いたエーデルはなぜか急に焦り始めた。


「確かに良い提案ね。でもね、私にはそんなに待っている時間がないの。どうしても今日か明日には森へ行かなくてはならないのよ」


 彼女の眼差しはかなり真剣で、一刻も早く供養に行かなくてはならない、何か深い訳がありそうだったが、個人的な事情を突っ込んで聞くことは失礼に思えて、アルミンは質問の内容を変えた。


「森の中のどのあたりに行きたいんですか?」


「森に立て籠もったゲールー軍が司令部を置いていた所よ」


「ああ、連隊司令部跡のことですね。激戦地だった場所です。しかも森の中心部で、亡霊が一番よく出る場所ですよ」


「亡霊の話はこの際関係ないわ。それより森の地図はないかしら?あればいただきたいわ」


「残念ながら地図はありません。亡霊が出るお陰で測量しに行けないんです」


 地図がないことを知らされると、エーデルは八方ふさがりになった様子で、眉間に皺をよせて下唇を噛んで考え込んでしまった。そんな彼女に同情したアルミンはある提案をした。


「もしよければ僕が案内しましょうか。僕は森へは何度か狩猟をしに入ったことがあって、土地勘があります」


「あなたが怖がっている亡霊は大丈夫なの?」


「実は亡霊が出ない抜け道を知っています。どうしても森へ行く用事がある時はそこを使うんです」


 エーデルはこの申し出は予想外だったようで、少し考え込んでから言った。


「申し出に感謝するわ。是非お願いします。手間賃は弾むわ、これは前金よ」


 そう言ってエーデルがアルミンに手渡したのは、大きさがオリーブの実ほどある菱形のダイヤモンドで、それを見た彼は仰天してしまった。


「うわ、ちょっと待ってください、こんなの貰っていいんですか!」


「いいのよ。私にはもう何の価値のないものだからね。それに今、現金の持ち合わせがなくて、それ以外でお礼ができないのよ。案内が終わったら、もっとおっきい宝石もあげるわね」


 ダイヤモンドが平然と取り出されてきたことにアルミンは恐怖を感じた。しかし、彼の宿は戦後復興のために多額の借金を抱えていたので、今回の案内料でそれを完済できるのではないかと思いつき、そのまま受け取ってしまった。

 それに、このエーデルという女性が悪い人には見えず、警戒心も湧かなかったのである。


 森へは明日朝出発することとなり、エーデルとの打ち合わせを済ませるとアルミンは彼女の部屋を出た。

 部屋を出る寸前、彼がエーデルの方に一瞥をくれると、彼女は部屋の壁に飾ってあるヒュルトゲンの森の戦いを描いた戦争絵画を、悲しそうな面持ちで見つめていた。


 なんだか変なお客さんだなぁ。そう訝しみながらアルミンはエーデルから貰ったダイヤモンドを掌に乗せて、何気なく観察してみた。すると、側面に紋章が小さく刻まれているのが分かった。それはどこか見覚えのある紋章であった。




〇 悪夢 〇


 床に就くと、アルミンはダイヤモンドの紋章が何なのか思い出そうと、懸命に記憶を探った。

その紋章を見てから謎の胸騒ぎがして仕様がなかったのだ。遠い昔、どこかで見ているはずなのに、全く思い出せない。しかし、何故だか彼の心の中で、その紋章に対する恐怖と怒りが入り混じった感情が沸き立ってきていた。


 考え込んでいるうちにアルミンは眠り込み、夢を見た。それは戦時中、ホルムがゲールー軍によって占領されていた時代のこと。アルミンがまだ小学生低学年の頃の記憶だった。


 その日、幼いアルミンは家族と一緒に昼の食卓を囲んでいた。


 どこにでもある家庭の日常。そこへ突然、けたたましい馬の蹄音が聞こえてきたので慌てて外に目を向けると、ゲールー軍の騎兵隊が津波のごとく村に突入してくるのが見えた。


 ピッケルハウベという特有のヘルメットを被ったゲールーの兵士たちは、馬から降りると、銃剣をギラギラさせながら村の家々に押し入り始めた。


 ゲールー兵の殺気立った様子から、不吉な展開を予感したアルミンの父は、妻とアルミンを自宅の裏の窓から外へ逃がそうとした。しかし、すぐさまゲールー兵がアルミンの家にも踏み混んできたため、結局脱出できたのはアルミンだけだった。

 

「森まで走れ」


 そう父はアルミンに指示したが、アルミンはそうせずに近くの茂みに隠れて息を潜め、事の成り行きを凝視した。


 アルミンの両親は外に連れ出され、他の村人たちと共に広場に集められた。周りは武装したゲールー兵たちに囲まれ、機関銃まで設置されていた。しばらくすると、立派なカイゼル髭を生やした将校が、馬に跨って村人の前に堂々と登場してきた。


「私はロイトバイン騎兵連隊の連隊長である!これより、最高司令部の命令により、この村の物資を徴発することとなった!各家庭はあるだけの食料、水、医薬品を我々に提供せよ。見返りは軍票で支払う。言っておくが、我々に歯向かうとただでは済まさんぞ」


 そう豪語したカイゼル髭の将校であったが、村人の中からゲールー軍に協力しようという者は現れない。

 

 それもそのはず、戦時中ということもあって、村は飢えに苦しんでいたので、提供できる物資などない。それに、この時期には自由解放軍の反撃が始まっており、ゲールー軍は敗走を続け、ホルムの領土は奪還されつつあった。ヒュルトゲン地方はまだゲールー軍の支配下にあったものの、今やゲールーの敗北は時間の問題となっていたため村人も強気だった。


「もうお前らの言いなりにはならんぞ。この村にはお前たちに恵んでやる物など何もない。ゲールーはもうすぐ負けるんだ。悪あがきなどせず、早くホルムから消え失せろ!」


 そうゲールー兵たちに食ってかかったのはアルミンの父だった。他の村人たちも父に同調して反発の声を上げ始めた。長いゲールーの弾圧によって溜まっていた鬱憤が噴出しだしたのである。


「静かにしろ!劣等人種のホルム人のくせに生意気を言うな。小国ホルムが近代化できたのは、一等国家であるゲールー帝国が支配してやったお陰なのを忘れるな!」


 カイゼル髭の将校は怒鳴り返した。しかし、アルミン父も引き下がらない。


「文明人を気取るくせをして、略奪なんて野蛮人みたいなことをするのか」


「貴様ら歯向かうつもりか。そうか、では、お前たちの支配者が誰か思い出させてやる!」


 カイゼル髭の将校は遂に激昂し、腰の軍刀を抜き父に向って振り下ろした。その時、アルミンの母が夫をかばおうと前へ出た。そして、そのまま切られたのだった。

 妻を目の前で殺された父は激怒し、絶叫した。そして、その将校を殺そうと飛びかかったが、父もまた、周囲にいた兵士たちから撃たれて死んだのだった。


 アルミン夫婦の殺害を見せられた村人たちはパニック状態となり、男たちはゲールー兵に襲い掛かった。


 いよいよ収集がつかなくなると、カイゼル髭の将校は部下に一斉射撃を命じた。ゲールー兵たちは群衆に向かって小銃や機関銃を乱射し、逃げようとする人は騎兵に追いかけまわされた挙句軍刀で切り殺されていった。そうして老若男女問わず村人は皆殺しにされたのだった。


 虐殺を終えると、ゲールー兵たちは民家に押し入り、食料や医薬品だけではなく、金目になりそうな家財まで奪っていった。そして最後には、家屋に火をつけて村を焼き討ちにしたのである。


 自分の村で残虐行為が展開される中、アルミンは茂みの中に身体を埋めて、ただただ怯えていた。恐怖で身体が硬直してしまい、叫び声もあげられず涙も流せず、目の前で展開される惨劇に恐怖し茫然としていた。


 蛮行の限りを尽くすと、このロイトバイン連隊は撤収し始めた。その時、最前列の騎兵が2つの旗を高らかと掲げた。一つはゲールー帝国の国旗、もう一つはこのロイトバイン騎兵連隊の部隊旗であった。そして、その部隊旗に描かれていた紋章こそ、エーデルにもらったダイヤに刻まれていたのと同じ紋章であった。



 そこでアルミンはハッと目を覚ました。息は荒れ、額からは滝のような汗をかいていた。


 アルミンにとって、占領期間・戦時中のことはトラウマで、思い出したくもなかった。

 この焼き討ちによって孤児となった幼いアルミンは、隣の村で宿を経営する寛大な夫婦に引き取られたが、戦時中はその日暮らしの生活が何年も続き、戦後も生活を安定させるのに相当苦労したのだった。なにより、表には出さないが、両親の死の悲しみは今でも重くアルミンに伸し掛かっている。


 しかし、悪夢を見たことで、アルミンにははっきりしたことがあった。それは、エーデルはゲールー人であることと、両親を殺し、村を焼き払ったあのロイトバイン騎兵連隊と何かしらの関係を持っているということである。思えば彼女のホルム語にある訛りは、ゲールー語の発音であった。


 恐らく、エーデルはヒュルトゲンの森の戦いで死んだゲールー兵の娘か妻のような身内なのだろうとアルミンは推察した。すると、エーデルの目的はゲールーの亡霊兵士に接触することであり、魔術師による除霊の話を聞いて焦った理由も説明がつく。

 そもそも、エーデルがヒュルトゲンの森へ来た目的は、本当に供養なのかも怪しく思えた。亡霊を供養するというのも変である。ゲールーという野蛮な国の人間が考えることだ、きっとホルムにまた災いをもたらすようなことをするに違いない。


 そうやって敵国人としてのエーデルの想像を膨らませていくうちに、アルミンの中では、平穏な生活によって心の奥底に眠っていたゲールーへの憎しみが蘇り、激しい復讐心へと変わっていった。


 エーデルの目的は知らないが、思い通りにさせてやるものか。明日、森へ行ったらあの女の正体を暴いて、場合によっては殺すことにしよう。もし彼女がゲールー兵の遺族だったら、ゲールーの亡霊兵どもにその処刑を見せつけることで、家族を殺したゲールー兵にも自分と同じ苦しみを味わわせてやる。そうアルミンは決意した。


 こうして、心優しい青年アルミンは、一夜のうちに復讐の鬼と化したのだった。


お読みいただきありがとうございます。

続きは明日投稿します。

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