勇者様は死に戻りの力を私的に乱用している
「ウチの店は大盛り残したら裸踊りだから。ほら」
隻眼の女店主はわざとらしく肩を竦め、張り紙を指差す。
確かにそこには食べ残しへのペナルティが記されていた。
初めて入った店で勧められるがまま大盛りを頼んでしまい、食べきれなかったことも事実。
しかし僕は彼女が不正したことを知っている。
「そんな張り紙さっきまでなかったじゃありませんか。それにこんな量……話と違います!」
遡ること数分前。
初めての店と豊富なメニューに浮かれていた僕に、注文を取りに来た店主はその口で確かに言っていた。
『ウチは色んな種族の客が来るから量少なめなんだ。大盛りでもよその店の一人前くらいの量しかないよぉ』
『え〜そうなんですか? じゃあそれで!』
と軽率に答えて出てきたのがこの岩のような肉塊である。
僕の頭より大きいそれを胃に収めることは物理的に不可能。
そんなこと、誰にだって分かるはず。作っている本人ならなおさらだ。
「おいおい少年、不注意を人のせいにすんのか〜?」
店主は軋む床にピンヒールを打ち付けながら迫る。
冒険者上がりだろうか。目前に近付いた彼女は見上げるほどに背が高く体格も良い。あとおっぱいも大きい。
「ほら、腹はち切れさせるかパンツ下ろすかさっさと選びな」
舌なめずりをしながら大きな手をこちらに伸ばし――しかし彼女の指は僕の鼻先でピタリとその動きを止めた。
勇者様だ。赤髪を靡かせ、意志の強さを感じる瞳が店主を射抜くように睨み、その手首をギリギリと握っている。
僕が口を開くより早く、彼女はこちらを制止した。
「いい。私に任せろ」
「おい、他人が手を貸すのはルール違反――」
彼女は世界を救うため旅をしている勇者である。
いくら店主が歴戦の冒険者だったとしても、その剣戟に反応することなどできはしない。
勇者は人間の常識を遥かに超えた速度で短剣を抜き、そして。
“己”の首へ突き立てそれを掻き切った。
*****
初めて入ったが、なかなか悪くない店だ。
メニューも豊富だし、注文を取りに来た隻眼の女店主も親切。
彼女はメニューを指しながらにこやかに言った。
「ウチは色んな種族の客が来るから量少なめなんだ。大盛りでもよその店の一人前くらいの量しかないよぉ」
「え〜そうなんですか? じゃあそれ――」
しかし僕の言葉を物理的に封じる者があった。
勇者様だ。赤髪を靡かせ、意志の強さを感じる瞳が店主を射抜くように睨み、僕の口を押さえる手がブルリと震える。
「ここの店主はショタコンババアだから大盛りにするのはやめなさい」
「あ?」
お陰で僕たちは食事にありつくことなくその店を蹴り出された。もちろん出禁だ。
当然である。開口一番にあの暴言。
「勇者様……なんであんなこと言ったんですか……?」
「なんでも」
勇者様はそれ以上なにも答えない。
初めて入った酒場、ガタイが良くてちょっと怖いが気の良さそうな女店主。なにも不審な点など無かったのに、勇者様はまるでなにかを見てきたよう。
……いや、多分本当になにか見てきたんだ。
うちの勇者様は死に戻りしている。
それは魔王から世界を救うという重責を果たすため、女神様から授けられた神聖な能力だ。
まぁ女神様の意図した使い方でないにせよ、勇者様のお陰でいろんなトラブルを回避できているんだと思う。多分。
「まぁ仕方ありません。気を取り直して、ドラゴン退治張り切って――」
「無理だ」
はたと足を止めて振り返る。
勇者様はブルブルと身震いをしていた。
体の震えは勇者様が死に戻りをしてきた際の生理的な反応であることを僕は経験則で知っている。
多分、今まさに死に戻りを経てこの時間まで戻ってきたのだ。
しかし、この顔は。まるで氷水にでも浸かっていたように青く、唇は完全に色を失っている。
「む、無理? 無理って」
「無理なんだよ」
勇者に“無理”なんてない。
だって彼女は何度でもやり直せるのだ。死んだとしてもまた別の方法を試せば良い。何度でも、何度でも。
……いや、しかし。
彼女があらゆる方法を試したとしたら? そのうえで出た結論が「無理」なのだとしたら。
「敵はそんなにも強大なんですか」
「強大なんてもんじゃない。ヤツは……狡猾で邪悪で、それで、それで……っ!」
勇者は頭を抱え、そして崩れ落ちるように座り込んだ。静かに首を振る。
「私たちの手には負えない」
愕然とした。
彼女は強い。彼女以外に世界を救える人間などいない。少なくとも僕は心の底からそう思っている。
そんな彼女にここまで言わせるなんて。
しかしこの近辺のダンジョンに巣食うドラゴンが持つという“竜の邪眼”がなければ魔王城への道は開かれない。
ヤツを倒せなければ――僕らの冒険は詰みだ。
背中を伝う汗を感じながら、僕はなんとか笑顔を振り絞った。
「と、とにかく一度宿に戻りましょう。そこで詳しい話を」
「ねぇ。もう逃げちゃおうか」
彼女は僕の手を取った。
虚ろな目を虚空に向ける。
「あそこなんかどうだろう。ついこの前立ち寄ったあの街。ほら、海が見える……覚えてるだろう?」
「……ええ」
そんな記憶、僕には一切ない。
でも彼女にとってそれは実際にあったことなのだ。この世界線では発生しなかった出来事なだけで。
「あの時は楽しかったな」
勇者は遠い目で僕には分からないなにかを見ている。
彼女との旅は実際にはほんの1年程度。
しかし幾度も失敗と巻き戻りを繰り返してきた彼女の体感時間はそれの何倍、下手したら何十倍もあるのかもしれない。
彼女が切り捨ててきた、死が待ち受ける行き止まりルートの中にもきっと輝く記憶はあったんだ。
思い出を共有することはできないけど……だからって僕はそれを否定するようなことはしない。
「一緒に海にも入ったよね」
「……はい」
「ふふ。君は私の水着姿に見とれていたな」
「…………はい」
「美しい浜辺、海に沈む夕日、そして重なる二人の影――」
「………………それ本当にあった記憶ですか?」
僕がなにも言わないのをいいことに、勇者様はたまに記憶の捏造をしてくるから油断ならない。
とうとう我慢できず口を出すと、彼女はそれをかき消すような声を上げた。
「とにかくもう無理だ。私は冒険をやめる!」
僕は口を開きかけてやめた。
何度もやり直せる彼女に、どんな激励や説得が通じるというのか。
残念だが仕方ない。
「分かりました」
「えっ、じゃあ」
「頭を下げて先程の店に戻りましょう。あそこは冒険者の酒場。少なくとも僕より腕の立つ人間がいるはずです」
「ん?」
彼女は怪訝な顔をした。
内心安堵する。やはりこの方法はまだ試していないらしい。
「僕が冒険を降ります」
そもそも僕は勇者様と並んで戦えるような魔法使いじゃない。
元はただ王都までの道案内を任された、ちょっと魔法の使える村人でしかなかった。
そこで魔王軍の奇襲を受け、共に戦ったところなぜか気に入られ今に至る。
ここまで来られただけでも奇跡としか言いようがない。
……いや。
きっと彼女は僕が酷い目にあうたび、時間を戻してやり直しているんだ。何度も何度も。それこそ、死への恐怖を失うほどに。
そうじゃなきゃ僕みたいなのがこんなところまで来られるはずない。
そしてとうとう限界が来たんだ。
「ここらが潮時です。もっと優秀な仲間と一緒に冒険を進めてください」
「……えっ」
勇者様は切れ長の目を大きく見開く。
やがて雷の落ちたような音があたりに響いた。
「イヤだイヤだイヤだイヤだ!」
「ゆ、勇者がそんな子供みたいなこと言わないで下さいよ」
予想以上の反応に思わず怯むが、しかし引くわけにはいかない。
「少なくとも僕がいない方が絶対スムーズに冒険ができます。ドラゴンだってきっと倒せますよ」
「君がいなければとっくに正気を失ってる。君のお陰で冒険を続けてこられたんだ」
「じゃあちゃんと状況を説明してくださいよ。なにが起きてて、どうすれば勝てるのか!」
いつだってそうだ。
勇者様は説明が足りない。
全部一人で背負いこんで、攻略法をゴリ押しで見つけて、気付いたら攻略が終わってる。
ずっと腹の底にあった言葉が、ポロリと溢れた。
「僕だって、本当は勇者様の役に立ちたいんです」
勇者様はハッとした顔で黙り込んだ。もう駄々をこねたりはしなかった。
精悍な顔つきで、まっすぐにこちらを見ている。
僕の言葉が届いたのだろうか。願わくばそう信じたい。
「……約束してほしい。私の言うことに理由を聞かず従うこと。それから」
勇者様は少し言い淀んだあと、突然こちらに背を向けた。
こちらを見ずに、少し上ずった声で言う。
「私以外を見ないこと」
「なんでですか?」
「なんでも」
それ以外、勇者様はなにも言ってはくれなかった。
確かに竜の邪眼を持つドラゴンは、自在にその姿を変えて人を惑わすという。
理由を聞かず勇者様の言葉に従う、そして彼女以外を見ない、となると――やはり彼女が警戒しているのは幻影魔法や精神攻撃?
いずれにせよ、かなり厳しい戦いになるだろう。
という僕の予想はあっけなく外れた。
「えっ、なんで?」
ダンジョン最深部に似つかわしくない素っ頓狂な声が反響する。
見上げる先にいるのは赤い竜。
噂通りの巨体だ。ぬらぬら光る赤い鱗で視界が埋め尽くされる。
ここまでの道程も決して平坦な道ではなかった。分かれ道やトラップの張り巡らされた難解な迷宮であり、順調に進んでも踏破には数日かかるのが普通である。
しかし僕たちが要したのはたったの数時間。
それは勇者様が家の近所でも散歩するみたいに、あらゆる罠や敵を掻い潜り最短距離で最深部へ到達。
そしてドラゴンのあらゆる攻撃を見切り、完膚なきまでに叩き潰したからだ。
勇者様は面倒くさそうに剣についた血を払う。
「トドメを刺したいのは山々だが、竜の邪眼は魔王城への鍵。死んだものではダメなんだ」
「いや、そうじゃなくて……」
彼女はここに至るまで何度も死に戻りをしている。
それは彼女の動きを見ても明らかだ。
しかし彼女はドラゴンを倒すことができなかったから、何度も死に戻りを繰り返していたのではなかったのか?
思わず杖を下ろす。
しかしその時気付いた。勇者様はその鋭い視線をドラゴンから逸らしていない。
「来るぞ……!」
慌てて身構える。
そうだ。なにを油断していたんだ僕は。
ダンジョンの主ならば第二形態があってもおかしくはない。
ドラゴンの体が光に包まれ、グニャリとその姿を変える。
僕は杖先をドラゴンに絶えず向け続けた。
杖先は徐々に下がっていき、やがて見下ろすほどのサイズに変わる。
そしてそれは口を開いた。
竜の咆哮とは似ても似つかぬか弱い声。
「こここ、殺さないでくださいー!」
光か溶けた中にいたのは裸の女性――いや、少女だった。
“竜の邪眼を持つドラゴンは、自在にその姿を変えて人を惑わす”
命乞いのため敵の同族に姿を変えるのは悪い手じゃない。
それは確かに攻撃を躊躇わせるような姿だった。
幼子のような丸い大きな瞳、絹のような髪、肌は透けるように白く、あとおっぱいも大き――
「これからコイツは命惜しさに君を懐柔しようと様々な手を使ってくる」
鎧を着た腕がぬっと伸び、強引に僕の視線をドラゴンからそらす。
そこにあったのは僕の胸中をすべて見透かしたような勇者様の顔。思わず足がすくんだ。
「しかし私たちはコレを生きたまま冒険に連れて行かなければならない。約束を覚えているな?」
理由を聞かず勇者様の言葉に従う、そして彼女以外を見ない。
戦闘時における物理的な意味で言っているものだとばかり思っていたがどうやら違うらしい……。
僕は呆れを通り越して恐怖すら覚えていた。
「分かりました、けど」
僕は彼女のことをなにも理解できていなかったらしい。
まさかこの少女に化けたドラゴンを冒険に連れて行きたくないから死に戻りを繰り返していただなんて夢にも思わなかった。
これからの冒険に頭が痛くなる思いなのは僕も同じだ。またいつ冒険を放り出そうとするか分かったものじゃない。
僕は勇者様に懇願した。
「死に戻りの力を私的に乱用するのはやめてください……」