帰るべき場所へ帰る
いつもの休日、青々しい空と光の反射でキラキラ光る海、辺りからは鬱陶うっとうしいくらいの羽音を鳴り響かせる蝉たちが町中に聞こえていた。
僕はいつもの場所、防波堤に腰を下ろしてぼぉっと海を眺めていた。
ここにくれば自分を忘れられる。楽しいこと、苦しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、全ての感情が一面の青い無へと帰す。波の音が鼓膜を震わせ、その一定の間隔はまるで一種の時計のようだった。
波が来て、一つまた一つと帰って来ては帰って行く。
「まるで自分のようだな」
僕がそう言うと背後から声がした。
「何が自分のようなの?」
はっとして後ろを振り向けばそこにはこの辺では見かけ無い制服を着た一人の少女が立ってこちらを見下ろしていた。
(誰だこいつ、ここら辺の高校では無いようだが、観光かなんかか?)
少女はタタタと僕の隣に来て座るなりニヤニヤとこちらをのぞき込むように見てきた。
「なーに中二くさいこと言ってるのぉー?ニヤニヤ」
「ち、違う!僕はただ感情に浸ってたというか……なんというか……………と、とにかく!ここは僕の場所だ帰れ!」
頬を紅潮させて、自分の縄張りを守る猛獣のように敵愾心てきがいしん丸出しにした口調で言ったが彼女はまったく気にしないといった感じだ。
自分の居場所を邪魔されたくないあまり少し強めの口調で言ったが彼女はまったく気にしないといった感じだ。
「いいじゃん、減るもんじゃないしー、それよりさっきのもう一回言って!ほら、まるで自分のようだかなんだか」
「やだよ!ってかもう全部言ってるじゃん!」
「ちぇー、ちょっとくらいいいじゃん」
少女は口を膨らませてぷいっと顔を逸らすが僕は一人の時間を邪魔され、挙句やかましい話にも付き合わされたせいでかなりムカついていた。
「君がここにいるとこの場所の価値も下がるんだ。だからさっさと帰れ」
散々悪口を吐かれ、少女はムスッとした顔で僕を見た。
「酷いこと言うなぁー、私だってここがいいんだもぉーん!何言われたってどきたくない!」
子供の言い訳のような返しにもう何を言ってもダメだなと思い、僕はついに折れた。
「はぁ、もうわかった。ここに居ていいから」
「やったね♪」
少女は不純物など何も無いかのような満面の笑みで言った。僕はその笑顔に少し気が緩みそうになったが頭を左右に振ってどうにか冷静さを保った。
「ところでなんでここじゃなきゃダメなんだ?海なら他の場所からでも見られるだろうに」
少女は少し間をはさんでから海を見て言う。
「だってここが一番海に近い場所でしょ、海の青さと波の音を聞いていれば楽しいこと、苦しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、全ての感情を忘れることができるでしょ」
少女のどこか悲しさを孕んだその言葉に少年は驚きを隠せなかった。まさか自分と同じ思いを持った人がいるなんて思いも寄らなかった。
僕は少女の哀愁漂うその横顔を見てなんとなくこの少女の隣にいないとダメだなと思わされた。
なんでそんなことを言うのかを聞くよりも、ただそばにいてあげたい。僕はそっと彼女の頭に手を乗せる。
「ふふっ、なーにーよー?同情でもしてくれるの?」
「俺はただお前の言ったことに素直に共感を持っただけだ」
「な、なによちょっと生意気ね………」
「まぁ少し賑やかになるくらい別にどうってことは無い。居たいだけここに居ればいいだろう」
「そ、そう………ありがと………」
少女はうつむいてそう言ったが何故か顔が少し赤かった。
「ああ」
少年の相槌を最後に二人は会話をすることなくただ景色を眺めてるだけだった。
夕日が地平線へと差し迫った頃、少女は立ち上がって言った。
「また明日もここに来るから、その時も一緒に海を眺めましょ、私ここが好きになったかも」
「まさか毎日ここに来るつもりか?」
「もっちろん!明日は何か話しましょ!あたし古川凪っていうの、あなたの名前は?」
「北川蒼人」
「あおと……じゃあ、あおっちゃんね!じゃ、また明日!」
「お、おい!はぁ、なんだよあおっちゃんって」
この日、少年こと北川蒼人はまだ何も知らなかった。
古川凪という少女が蒼人と同じ学校に入学していていて、嫌という程振り回される羽目になることを、そして蒼人の人生を左右する歯車がもうすでに存在していることを。
今まで忘れていた時間が突然動きだし、明日が高校の入学式だと思い出した四月このごろ、蒼人は走って帰るべき場所へ帰って行く。