知花編④
翼が亡くなって、もう何日経ったかわからない。
翼も大志くんもいない学園は、なんにもない無機質な空間に思えた。
朝いくらゆっくり準備をしても、呼びに来てくれる翼はいない。
忘れ物をしても、叱ってくれる翼がいない。
どんなに落ち込んでも、あの場所に大志くんはいない。こんなところ、もういたくない。
翼の部屋は綺麗な空間になっていて、翼がいた痕跡なんて何一つ残っていなかった。
だから、1人で大志くんとの待ち合わせ場所に来た。
この場所だけはなくならない。
ここで大志くんと過ごした思い出は、ここにくれば、映画のようにいつでも再生される。
大きな木に背中を預けて、空を見上げた。
「いた……っ」
葉っぱの間から漏れる日の光が、顔に突き刺さって、鋭い痛みに変わる。
すごく痛くて、顔も、腕も、足も、身体も、心も、全部がすごく痛くて、涙が出た。
「痛い……痛いよ……!」
その時、すぐ横の茂みがガサガサッと揺れた。
「大志くん……?」
違う。わかってる。いるわけない。
「雪乃さん……」
「森に入っていくのが見えたから」
雪乃さんはいつもの綺麗な笑顔で、でもどこかちょっと寂しそうに見えた。
「……あんなに綺麗だったのに……」
雪乃さんの手が、涙に濡れた頬に当たる。
あの滑らかだった頬は、いつの間にかまたガサガサ肌に戻ってた。
「禁断の果実は、甘くて美味しい毒の実。その毒に勝つか負けるかは、その人次第」
「……」
「翼ちゃんのご遺体は、ご家族が引き取りに来られたわ。6年前に亡くなられたお姉さんと同じお墓に入ったのよ」
「……そうですか」
「祝福してあげて。あんなに大好きだったお姉さんに会いに行った翼ちゃんも、自由を手に入れた大志くんも」
「……できません」
「今はね。いつかでいいの。いつか……、自由になった時でもいいし、また新しい友達ができた時でもいい。その時にとびっきりの笑顔を太陽に見せつけてやるのよ。空は、翼ちゃんがお姉さんと暮らしてる場所。それに、大志くんがいるところにも繋がってるからね」
だからかな。雪乃さんの笑顔が、いつも綺麗なのは。
今まで見送ってきた、たくさんの友達に見せているからなの?
「気が済んだら、寮に戻ってゆっくり休んでね」
雪乃さんはもう一度素敵な笑顔を見せて、背中を見せた。
「雪乃さんは」
「え?」
「雪乃さんは、禁断の果実の毒に、勝ったんですか?」
「……わかんない」
小さな子のいたずらする時のような笑顔で、雪乃さんは歩いていった。
2年後、16歳になってすぐ、わたしは大きな門の前に立っていた。
見送りは誰もいない。
ただ学園からもらった書類を、門の横の守衛室のおじさんに見せれば、その門が開く。
「久しぶり」
門の外には、変わらない笑顔の人がいた。
「大志くん……」
「おめでとう、知花ちゃん」
「……ありがとう」
もう日傘はいらない。お下がりでもらって使っていた翼の日傘を閉じた。
「……あったかい……」
柔らかい太陽の光に、両手を広げた。
「荷物、持つよ」
「あ、ありがと」
大志くんの腕、すごく男の子っぽい……。
筋肉なのかな?ちょっとだけ日焼けした腕の一部が、ところどころ盛り上がってる。
「このまま家に帰る?」
「あ、ううん!その前に行きたいところがあるの!」
大志くんと一緒に来たのは、翼のお墓。
「翼、久しぶり」
黒い石は答えないけど、翼が目の前にいる気がした。
「お墓になんて行けないって思ってたけど、来れたよ。翼が助けてくれたのかな?」
翼が天国で神様に頼んでくれた。わたしはそう思ってる。翼、優しいもん。
「これからは毎年来れるから、寂しいなんて言わないでね。……って、もう言わないか。翼はお姉さんといるんだもんね」
『当たり前じゃん』
「でもさ、来ないで、なんて言わないでね。わたしだって、翼に会いたいんだから」
『わかってる。知花は、わたしがいないとダメだからね』
「……じゃあ、今日はもう帰ろうかな。これからはいつでも来られるんだから、今日だけで話したいこと全部言ってしまうのはもったいないし」
『そうしなさい』
「じゃあね、翼」
『じゃあね』
翼のお墓に背中を向けて、後ろで待っててくれた大志くんに笑顔を見せた。
「帰ろっか」
「そうだね」
自然と伸びたわたしの手を、大志くんが握り返してくれる。
暖かい日差しの中を、2人並んで歩き出した。