知花編③
「それで、翼ちゃんは落ち着いたの?」
「うん、なんとか」
その話を大志くんに話した。
「翼はいつもかっこよくて強いなって思ってたんだけどね、あれ見ると、本当はすごく弱かったんだなってわかったの。だから、わたしがそばにいてあげなきゃ」
「優しいんだね、知花ちゃん」
「友達だから、当たり前だよ。でも、わたしが恋愛なんて、バカみたいだよね。こんなお肌も髪もボロボロなのに、恋愛なんかしてる余裕ないって」
肌に手を当てると、いつものガサッとした感触じゃなかった。
「あれ?」
信じられなくて、もう一度指先で頬を撫でる。
「すべすべしてる」
「よかったね」
「なんで?なんで突然……」
「知花ちゃんは元々綺麗だったよ」
「そんな……」
少なくとも、大志くんに出会った頃は、まだガサガサだった。
夜に会うのだって、肌が見えないからその方がいいって思ってたのに。
なんで突然こんな……。
日が沈んで暗くなってから、またいつもの待ち合わせの場所へ向かう。
最近、翼と会ってないなぁ。
あの時様子おかしかったし、なんとなく関わりづらいんだよなぁ。
翼は、わたしがいないとダメなんだよね、きっと。
待ち合わせ場所が見えてきて、黒い人間の形のシルエットが見えた。
「大志く……」
声をかけようとして、足が止まった。
大志くんは、どこか悲しそうに、黒い星空を眺めていたから。
なんで?なんでそんなに悲しそうなの?なにかあったの?今出ていっていいの?
木の影から見つめてると、大志くんがこっちを見た。
「……あ、お、お待たせ」
「待ってないよ」
いつも通りの笑顔。さっきのはなんだったの?
「あの……、大志くん、なにかあった?」
「え?」
「いつもより、元気がなさそうだなって……」
「そうかな?」
怖い。大志くんになにかあったら。心臓がギュッと締め付けられる。
「……今日が、最後なんだ」
「え……?」
最後?こうして会えるのがってこと?
「ボク、治ったんだって」
「なお、った……?」
「だから、明日にはここを出ていくんだ」
あぁ……雷で打たれた時の衝撃って、きっとこんな感じなんだな。
稲光みたいに頭が一瞬真っ白になって、全身が一気に重くなって。
「……そっか。おめでとう」
「ありがとう」
嫌だ。泣きたくない。泣き顔なんて、大志くんには見せたくない。
おめでたい事なんだよ。原因不明でまともな治療法がない吸血鬼症候群は、自然治癒するのを待つしかないんだから。
だから、治ったのは、すごい奇跡なんだよ。泣いちゃダメ。絶対に。
「知花ちゃん……」
「なんか、ごめんね。気使わせたでしょ?」
「正直、知花ちゃんに言うかどうか迷ったよ」
大志くんに、悲しい顔をさせちゃダメ。一度目をつぶり、小さく深呼吸をする。
そして目を開けて、
「びっくりしたぁ!」
って笑って見せた。
「本当におめでとう。すごくうれしい!」
ちゃんと笑えるよ。
「知花……」
「翼……!」
翼の部屋に行って顔を見ると、一気に堪えてたものが吹き上げてきた。
「なに。どうしたの?」
「翼ぁ……!」
翼に飛びついて、その場でいっぱい泣いた。
「落ち着いた?」
翼のベッドに座って、翼が持ってきたコップを受け取る。
中に入ってる水を一気に飲み干した。
「……ん。急にごめんね」
「別にいいけど。で、どうしたの?」
「大志くんがね」
「うん」
「治ったんだって」
「え?」
「明日にはここを出ていくんだって」
「……そっか」
翼、思ったより驚いてない?
「よかったね。……って、言ってもいいの?」
「治るのはいいことだってわかってるよ」
「そうね。誰かが亡くなったって話はよく聞くけど、治ったって話は聞かないしね」
「うん。だから、大志くんにはちゃんとおめでとうって言ってきた」
「そう」
「でも……、でもね、すごく嫌」
「大志くんと離れるのが?」
「それもだけど……。なんで大志くんだけって……なんでわたしは治らないのって……思ってしまう自分が、嫌い……!」
また涙が出てきちゃった……。わたし、こんなに嫌な性格だったんだ。
「違うでしょ」
「……え……?」
「いい加減気づきなよ」
「なにが……?」
「もしクラスメイトの誰かが治ったって聞いたら、知花はそんなこと思わないと思うよ。わたしが知ってる知花は、心の底から祝福するはずだから」
「でも……」
「大志くんだからでしょ?」
「大志くん、だから……?」
「大志くんが外に出ていくから、会えなくなるから、それが嫌なんじゃないの?大志くんと一緒に行けないから、そう思うんじゃないの?」
そう、なのかな……。
もし治ったのが、大志くんじゃなかったら?翼とか、他のクラスの子たちだったら?
翼と離れるのは嫌だけど、確かにおめでとうって心から言えたかも。
じゃあ、わたし……
「大志くんのこと、好きなんだ……」
呟いた瞬間、翼がわたしの頭を撫でた。やっと気づいたかって顔で。
「ふふふ」
「知花?」
「好きって気づいた瞬間に、失恋確定だよ」
「そうね」
バカだなぁ。もっと早く気づいてれば、大志くんに伝えることだってできたのに。
「失恋は確定だけど、気持ちを伝えることは、悪いことじゃないと思うよ」
「無理だよ、もう。大志くん、明日には行っちゃうんだもん」
「見送りに行けば?それで、ちゃんと伝えるの。ちょうど明日は雨が降るらしいし。わたしたちには絶好の天気だよ」
見送り……。
きっと、大志くんのお友達とかもいるんだろうな。
先生たちとかいたら、見つかったらお仕置きだよ。
……でも……。処分を受けたっていい。もう一度会いたい。今の気持ちを伝えたい。
「ありがとう、翼。わたし、ちゃんと言うよ。明日、ちゃんと」
「わかればいいの」
「じゃあ、今日はもう寝るね。おやすみ」
翼の部屋の前で、もう一度翼に笑顔を向ける。
開けっ放しのドアを背中で押さえていた翼も、ちょっとだけ呆れたような笑顔を見せてくれた。
「じゃあ」
「おやすみ」
そう言って翼に背中を向けて歩き出した。
明日ちゃんと言う。ドキドキするけど、緊張するけど、どうせ会えなくなるんだもん。
振られたっていい。気まずくはならない。
「……っか」
「え?」
翼に呼ばれた気がして振り返った。
その瞬間、翼の身体がグラリと傾いて、ドサッという重い音が耳に届いた。
「翼?!」
嘘。なに?翼、なんで倒れたの?どうしたの?
「翼、翼!」
なんで起きないの?なんで動かないの?
「ねぇ、翼!」
なんで?
あの後、翼は医務室に運ばれた。
医務室の無機質なベッドの上で、たくさんの機械に繋がれて、苦しそうに息をしてる翼。
「翼……」
「知花さん、翼さんは大丈夫だから、部屋に戻って休んで?」
一晩中いたせいか、先生に言われるけど、嫌だって首を振った。
「翼と一緒にいる……」
一緒にいなきゃダメなの。翼が言ったんだから。離れないでって。だから、一緒にいるの。
翼の白い手を握る。暖かい……。
医務室のドアが開いて、誰か入ってきた。
「あなたたち」
「先生、少し席を外していただけませんか?」
この声……雪乃さんだ……。振り返ると、雪乃さんがいた。雪乃さんだけじゃない。
雪乃さん以上に生徒のあこがれの的、紅音さん。
そして雪乃さんと同じ階級の藍莉さん。
この3人は、この学校でもすごく強い権力を持つ人たち。
「なんで……」
「大切な仲間が苦しんでいると聞けば、お見舞いに来るのは当然のことよ」
雪乃さんは、いつもの綺麗な笑顔を見せてくれた。
紅音さんは、翼に近づいて、その何の意思も感じられない目で翼を見つめる。
「翼、大丈夫ですよね?」
紅音さんは全てを見透かしていそうだから、聞いてみた。
「……そうね」
そう返ってきただけだった。本当のことなんて、誰も教えてくれない。
「……ち……か……?」
「翼?!」
翼のくぐもった声がして、慌てて視線を移すと、翼の目が開いていた。
「……なん、で……」
「覚えてないの?倒れたんだよ。安静にしてなさいって」
「なんで……、ここに、いるの……?」
「え?」
「きょう、でしょ」
大志くんのことを言ってるのかな?
「それなら大丈夫だよ。翼の方が優先」
「……そんなの、頼んでない……っ!」
「つ、翼……」
叫ぼうとしても、翼の今の体力じゃ、それも無理みたい。
「……いって」
「嫌だよ、翼。わたしはここにいたいの」
「……さいご……なんでしょ……」
「でも……」
「こうかい、する……よ……」
「……」
「はやく……いって……」
「翼が……」
「ちゃんと……伝えて……けっか、おしえ……て、よ……?」
「でも」
「……まってる、から……」
「……っ」
そう言われて、やっと身体が動いた。
医務室を飛び出し、寮を飛び出して、雨の中を傘もささずに走る。
冷たい雨が身体中にあたるけど、そんなこと気にしてられない。
木の間を縫って、門を目指す。
「大志くん……!」
大志くんがいたのは、門じゃなかった。いつもの、わたしたちの待ち合わせの場所。
わたしの足、門に向かってたつもりだったのに、勝手にここを目指してた。
「知花ちゃん……」
「大志くん、ごめん……」
「なんで知花ちゃんが謝るの?」
「……」
一瞬唇が麻痺したように固まる。
「……すき……」
次には、勝手に動いていた。
やっと出てこれた言葉に引き込まれるように、雨とは違う暖かい雫が頬を濡らす。
「……大志くんが好き……」
歪んだ視界では、大志くんの顔なんか見えない。
これでいい。見えなくていい。大志くんの傷ついた顔は見たくない。
「……ありがとう」
「え……」
「嬉しい。すごく嬉しいよ。知花ちゃんも同じ気持ちだってわかって」
同じ、気持ち……?
「ボクも、知花ちゃんが好きだ」
「……っ!」
一気に視界が開けた。目の前に大志くんの指がある。
やっと見えた大志くんの顔は、もう随分見ていない太陽みたいだった。
「知花ちゃん、泣かないで。ボク、待ってるから。知花ちゃんがここを出てくる日まで、何年でも何十年でも、待ってるから」
「……大志くん……」
「約束」
小指を絡ませる大志くんは、すごく笑顔だった。
大志くんを見送り、すぐに寮に戻った。
ちゃんと言えた。それだけじゃなくて、気持ちを通じ合えた。
翼に言ったら、なんて言ってくれる?よかったねって笑ってくれるかな?
「翼……!」
医務室のドアを開けると、そこにはたくさんの人がいた。
雪乃さんたち3人はもちろん、先生たち、そしてイベントの時にしか見ないこの学園の理事長先生。
木のように立ち尽くす人間の隙間から、翼が見えた。
さっきまでつけられていた機械が、全て外されてる。
「翼……?」
嘘だよね?こんなの、ありえない。
「翼」
慌てて翼に駆け寄り、身体の上で重ねられていた手を持つ。
さっきの雨のように冷たかった。
「翼!」
どんなに呼んでも、翼は目を覚まさなかった。