紅音編⑤
おかしい。ここ最近、ずっと。なんか変だ。雅の笑顔が頭から離れない。
雅を思い出す度に、飢えにも似た渇きが喉を支配する。
初めてのことだから確定はできないけど、これが恋というもの?
もう長くないというのに、今更初恋?バカみたい……。
とにかく、誰にも気づかれちゃダメ。藍莉や雪乃はもちろん、あの人にも。もちろん雅にも。
誰にも気づかれないようにしなきゃ……。
恋愛なんてわからない。誰にも知られない以上、相談することもできない。
だから、恋愛に全てを捧げた人を思い出した。相談することはできない。
でも、ここに来れば何か……何かがわかるかもしれない。
1人で考えるために来たのに……。後ろには雅がいる。
寮の前でたまたま出会って、なんでか一緒に来ることになった。
「ここは?」
「ただの木造の小屋よ。焼け焦げてるけど」
「火事でもあったのか?元々は何だったんだ?」
「何でもないわ。ここに建っている理由は知らない。焼ける前にも、何かに使ってたっていう記録はないの」
「じゃあ、なんで火事に?」
「……前に話した、もう1人の“ベガ”がここで自殺を図ったの。交際していた男子生徒と一緒に」
もう1人のベガ。わたしにここでの全てを教えてくれた先輩であり、初めての友達だったサクラ。
「恋愛の苦しみから逃げるために?」
「逆よ。逃げるなんてこと、あの人はしないわ。立ち向かったの」
「どういうことだ?」
「知っているでしょうけど、ここは恋愛禁止。その理由は、恋愛なんてすると薬を受け付けなくなる可能性があるから。好きな人と結ばれるには、ここを出なければいけない」
もちろんここを出るには、完治しなければいけない。
それくらいはここにいる誰もが知ってること。
「でもベガにもなれば、完治してここを出られる可能性もない。残念ながら、彼女の愛した人は治ってしまった。男子寮の第四階級の生徒だったから。2人離れるくらいなら、死んで、あるかもしれない別の世界で結ばれる方に賭けたいって」
「だからって焼身自殺までするか?」
「わからないわ。火に包まれるなんて、わたしからすればありえない。その恐ろしさすらどうでもよくなってしまうほど、相手の男が好きだったのかもしれないわね」
「……俺にはわからないな」
わたしは……どうかしら。
薬でも満たされない飢えから解放されるなら、受け入れてしまうのかもしれない。
少し前までサクラを理解できなかったのに、今は理解できそうになってる。
恋愛っていう感情は、こんなにも人を変えてしまうのか……。
「そのもう1人のベガとかいうヤツは、ベガとはいえ本当に治る可能性が低かったのか?数年あれば徐々に回復していく可能性もあるだろう?俺やお前は年齢的にもう無理だと思うが」
「……そうね。彼女も同じよ。火事が起きたのは彼女が19歳、20歳の誕生日を迎える1か月前のことだもの」
「そうか」
小屋の入口に、持ってきた白い薔薇の造花を供える。
「この前、彼女の妹が卒業したの」
「……」
「この前……っていうか、もうかなり前ね。彼女によく似ていたわ。進行性で、姉と同じようにここで一生を終える子だと思ってたのに、あっさり治ってしまった。友達も好きな人も捨てて、ここを出ていった……。少しだけ、悲しかったわ。姉妹とはいえ別々の人間。姉と同じ道を辿るはずはないのにね」
「妹が幸せなら、姉も喜ぶだろう」
「どうかしら。妹は自分に姉がいることも知らなかったみたいだし、姉も妹がいることを知らなかったかもしれない。かなりの年の差があったから。それに、妹はここを卒業した後、家族を頼れなかったわ。それでも幸せだといいんだけど」
「完治したのに、家族は受け入れなかったのか?そんなこと、ありえないだろ」
「よくあるの。家族は、我が子が病気だとわかった時、死んだことにして手放すのよ。治る可能性の方が高いのにね。娘を2人も病気に奪われて、ご両親にも環境の変化があったのかもしれない。一度死んだ人間を受け入れられない環境になっていたのかもしれない。そう思うしかないわ。大丈夫。妹の方は、ここの卒業生たちが集う会に保護されてるはずだから」
そう思うしかない。そう願うことしかできない。
サクラのためにも、あの子には幸せになってほしいから。
「元々、規格外の子だったのよ、妹は。偶然倒れた木の下敷きになるような子。運が悪かったのね。治った時も、検査では見つからなかったのに、突然倒れたの。太陽の光にあたらなかったせいで体が不調をきたしていた。いつの間にか太陽の光が必要な体になっていたの」
「太陽の光がなくても、普通の人間は倒れないと思うが」
「わたしもよくはわからないけど、太陽の光には人間の骨を作る成分を作る力があるらしいわ。吸血鬼症候群になれば、その成分が少量で済むらしいの」
サクラの妹は、その成分が足りなくなっていた。だから突然倒れたって、如月先生は言ってたけど。
「で、お前はこんなところに何しに来た?先輩だか友達だか知らないが、納骨堂じゃなくて焼け焦げた小屋に花を供えて、なにがしたいんだ?」
「……あなたには関係ないわ」
ただ、サクラに聞きたかっただけ。答えてくれないこともわかっているのに。
……サクラ、あなたは幸せだったの?苦しみながら人を愛し、最後は炎の中で何を考えたの?怖くなかったの?辛くなかったの?
わかってる。たとえサクラが生きていて、この問いに答えてくれたとして、だから何?
そんなことを聞いて、わたしは何をしたいの?何を知りたいの?これからどうするの?
わからない。全ての問いに答えが見つからない。だからもう……。