藍莉編②
「藍莉ちゃん……」
「なに」
「アルカイド像のことだけど」
「取り壊しなんて認めないからね」
「だから……」
最近、雪乃や紅音とはずっとこんな感じ。2人は取り壊しに賛成みたいだから、なんか嫌だ。
紅音もサクラちゃんのこと、好きだったくせに。
なんでそんな簡単に賛成できるのかわからない。
2人から逃げるために、毎日納骨堂に行った。なぜか葵さんも毎日いて、気楽だった。
葵さんと乙女像の隣に座って、楽しくおしゃべりするだけ。
紅音や雪乃とのお茶会より、こっちのほうが楽しい。
「そういえば、聞いたことありませんでしたね」
「なにがですか?」
「藍莉さんは、どうして毎週納骨堂の掃除に来られるんですか?」
どうして?そんなの、決まってる。
「いつかわたしもお世話になりますから、その前に掃除くらいはしたいと思って」
わたしの家族は、わたしが発症した8歳の時から全く連絡が取れない。
それは学園から聞いていた。
本来教えて貰えないことではあるけど、紅音がいるからね。
それを知った時、さすがに絶望はした。でも、どこかではわかってた。
そもそも、わたしは8歳からずっと“スピカ”。治る可能性なんてないに等しい。
ここで死んだとして、家族がわたしの遺骨を引き取ってくれるとは思えない。
ここで死んで、仲間たちと一緒にここで眠る。
顔もほとんど忘れてしまったような家族より、こっちのほうがいいかもしれない。
「確かに。僕もそうだな。今のうちに恩を売っておかないと」
おどけたような彼の言い方に、思わず笑ってしまった。
でも、ふと目に入った乙女像が、懐かしい記憶を呼び覚ましてハッとする。
「藍莉さん?」
「え?あ、すみません。少しぼーっとしてました」
「どうかしたんですか?」
「なんでもないです」
葵さんは、少し悲しそうに笑った。
「藍莉さんは、いつもそうですよね」
「なにがですか?」
「普段は楽しそうなのに、ふとした時に暗くなるんです。ここでずっと楽しくなんて、無理とは思いますけど。どっちが本当の藍莉さんか、たまにわからなくなります」
「すみません……」
そんなの、自覚してなかった……。別に隠してたわけじゃないんだけど、ここじゃ特別話す必要も無いかなって思ってたことだから。
「じゃあ、葵さん、わたしの話、聞いてくれますか?」
「もちろん!」
葵さんは少年のような笑顔を見せてくれた。
「わたし、8歳でここに来ました。それまでは外で普通の小学生でした」
「8歳って、かなり遅いんですね」
この病気、発症はだいたい入学前の子供に多いってされてる。
この学園に入ってくる子も3歳から5歳の子が多いのは事実。
「わたしも、最初は驚きましたよ。まさか自分が血を飲まきゃいけない体になるなんて、思ってもいませんでしたから」
「それはそうですね」
「まだ発症する前、特に仲良くしてた近所の男の子がいたんです。内気な子で、弟のように思ってました」
わたしには兄弟がいなかったから、その子の存在はかなり大きかった。
クラスの男子たちにいじめられていたのを、わたしがよく助けにいってたの、今でも覚えてる。
「この学園に入ることがわかった時、その子にお別れを言いに行ったんです。そうしたら、ボクは待ってるよって……、アイちゃんが治るまで待ってるから、早く出てきてねって。そう言ったんです」
「……それは、約束?」
「もう無効ですよね。10年も経ってるし。その子だって忘れてると思います。でも、たまに思い出すんです。1人で大丈夫かなとか、いじめられてまた泣いてないかなとか」
「……本当に弟のようにかわいがっていたんですね」
「わたしの人生で初めてのお別れだったから、乙女像の前に来ると、よく思い出してしまって……。それで葵さんに心配かけてたなら、謝ります」
「いやいや、話してくれてうれしいです。いつかその男の子に会えるといいですね」
断言しないのは、そんなこと不可能だってわかってるから。葵さんの優しさを感じた。
「藍莉ちゃん!話を聞いて!」
「アルカイド像の取り壊しがなくなった?」
「そうじゃなくて……」
「じゃあ、わたしから話すことはない」
雪乃は毎日のように話しかけてくる。
乙女像のことでわたしを説得したいんだろうけど、話を聞かなきゃ言いくるめられない。
「藍莉、聞きなさい」
「……紅音」
雪乃みたいに逃げられないじゃん……。
「アルカイド像は取り壊さないわ」
紅音が言うってことは、ウソじゃないよね。
「話を聞く気になった?」
「早くしてね。今日も納骨堂に行くんだから」
「わかってる」
紅音の部屋に入ることにした。
「で、取り壊しをやめたってどういうこと?わたしの知ってる理事長は、というか紅音は、一度決めたことを覆なさいと思うんだけど」
「元々取り壊すつもりなんてなかったわ」
「は?」
「藍莉ちゃん、本当に理事長の話を聞いてなかったの?」
当たり前じゃん。理事長の言葉の半分は、ほとんど無意味な世間話だし。
「アルカイド像は建てられてかなり経つから、一度取り壊して再建するってことだったの」
「それならそうと、最初に言ってよ」
「聞く耳持たなかったのはそっちでしょ」
それはそうだけど……。
「てことは、取り壊しをやめたっていうのもおかしいんじゃない?」
「それは、藍莉ちゃんがあまりにも反対するから、紅音ちゃんが理事長に頼んでくれたの。もう少し待ってくれないかって。それで理事長が実際にアルカイド像を見に行ったら、老朽化なんてしてなかった。定期的に手入れされていたおかげでね。だから、しばらくは再建もなしってことになったの」
雪乃が全部説明してくれた。つまりは……
「紅音……ありがとね」
「……別に。あのまま駄々こねられたら面倒だと思っただけよ」
「素直じゃないね、紅音ちゃんも」
「うるさいわよ、雪乃。とにかく、そういうことだから、アルカイド像も含めて納骨堂の管理はあなたに任せるわ、藍莉。老朽化してきたと感じたら、すぐに教えて」
「はいはーい。で、今日の話はこれだけ?」
「えぇ」
「じゃ、わたしはこれで!」
「あ、藍莉ちゃん……」
うれしい。すごくうれしい。早く葵さんに会いたい。このうれしさを共感してほしい。
納骨堂に行くと、もう葵さんがいた。
「葵さん!」
「ど、どうしたんですか?今日はなんていうか……すごく、元気そうで……」
「わたし、乙女像が取り壊されるって思ってて、でもそれ、勘違いってわかったんです!だから、とっても嬉しくて……!」
「女神像の再建の話ですか?」
「葵さんも知ってたんですか?」
「一応、話は聞いていました。具体的な日時がなかなか決まらなかったので心配してましたけど……」
あぁ……たぶん、わたしのせいだ……。
「あ、でも、再建もなくなったみたいですよ」
「えっ、そうなんですか?」
「理事長が実際に乙女像をご覧になられて、まだ再建の必要は無いという判断を下されたみたいです」
「確かに、建てられて随分経つという話でしたけど、全然老朽化してませんね」
「わたしたちが定期的に掃除をしてたからかもしれませんね」
「だといいんですけど」
葵さんは乙女像を見上げた。嬉しそうな瞳で。
葵さんもこの乙女像を大切に思ってる。それは今までで充分わかってる。
「あと、葵さん」
「はい?」
「このテンションに任せて、ちょっと、調子乗っていいですか?」
「どうぞ」
「わたし、葵さんの血が飲みたいです」
「え?」
「あ、だからくださいとか変な意味じゃなくて……なんて言うかな……、血を飲みたくなるくらい、葵さんが好きです」
葵さんは、驚いて、次にはちょっと笑った。
「藍莉さん。僕の話を聞いてくれますか?僕がなぜ納骨堂に通うようになったか」
「はい」
なんで突然こんなこと言い出すの?勇気出して告白した意味は?
「はじめは、ただ、上に言われたからでした。亡くなった子たちの納骨を担当してほしい、と。何度かここに来るうちに、愛着が湧いて、せめて掃除くらいはと思ったのが始まりでした」
「始まりってことは、今は違うんですか?」
「そうですね。今は、藍莉さんに会うためです」
「……っ!」
「あなたと会うと、自然と自分の心が洗われていくようでした。藍莉さんはお綺麗な方ですから、自分が浄化されていくように感じていたんです」
「綺麗って……初めて言われましたよ」
「本当のことですよ!お姿もですけど、心も、とても綺麗だと思います」
「ありがとうございます」
「何度か会っていくうちに、自分自身の感情が本でしか知らない名前の感情だと気づきました。でも、それを打ち明けてはいけない気がしたんです。藍莉さんに知られてしまえば、もうこうして会うこともできなくなってしまうと思ったから」
「……」
「でも、今、後悔してます」
「え?」
「女性からこんな話をさせてしまうなんて、僕は情けないなって」
「じゃあ、今の取り消します」
「……おもしろいな、藍莉さんは」
「褒め言葉と思っておきます」
おもしろいって、女性に対する褒め言葉には思えないんだけど。
まぁ、細かいことは気にしなくていい。
「……藍莉さん」
「はい」
「僕は、あなたが好きです」
「わたしも葵さんが好きです」
「その……この学園の規則上、秘密ということにはなりますが……、お付き合いしていただけませんか?」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
18歳にして初めての彼氏ができた。




