雪乃編④
「雪乃さん?」
「ここにいるわ」
目が見えなくなった美晴ちゃんと、同じ部屋にしてもらった。
わたしが静かにしてると、美晴ちゃんは必ず声をかける。
「よかった……」
「どこにも行かないわよ。わたしがどこかに行く時は、必ず美晴ちゃんも連れていくから、安心して」
「はい!」
その笑顔だけで、わたしの方が幸せになる。
テーブル上の筆箱からカッターを取り出して、腕に軽くあてて引いた。
薄く血が滲んで、それを美晴ちゃんに差し出す。
「美晴ちゃん、飲んで」
「あ、ありがとうございます!」
美晴ちゃんは両手でわたしの手を持って、傷に口をつける。
自分の血が啜られる感覚にはもう慣れた。
「……ん、今日もおいしいです!」
「ありがとう」
「雪乃さんの血がおいしいからか、最近薬を飲まなくても大丈夫になったんです!あれ、美味しくないし」
「飲まなくていいわよ。血がほしいなら、いくらでもあげるから」
「そんなことしたら、雪乃さんの血、全部飲んじゃいますよ」
それでもいい。……って思ってしまう。恋愛は怖いわね。
「あ、でも……、雪乃さん、カッター、貸してください」
カッター?どうして?美晴ちゃんの手に持たせる。美晴ちゃんは自分の手に傷を作った。
「美晴ちゃん?」
「これ、飲んでください」
「……わたしはいいのに」
「ダメですよ。いつもわたしばっかり雪乃さんからもらってるから、それじゃ雪乃さんが貧血になっちゃいます。飲んでくれないなら、わたし、もう雪乃さんの飲みませんからね!」
それは困る……。仕方ない。美晴ちゃんのためにも、あんまり飲みたくはないけど、少しだけなら……。
「……ん……」
ヌメっとした液体が、一瞬で口の中に広がった。同時に心の中に広がるこれは……幸福感?
わからない。でも、幸せ。喉も潤されて、お腹というか心が満たされる。
もっと飲みたい。もっと。全てわたしのものにしたい。
「……っ!」
……わたし……なに考えてた?美晴ちゃんを……。
「雪乃さん、もっと飲んでいいんですよ?」
「……もういらないわ」
「そうですか?じゃあ、またほしくなったら、言ってくださいね」
薬で補えるのは、あくまで血液の成分と、貧血を防ぐ鉄分だけ。
本物の血液を口にすれば、あれが偽物だってことはすぐにわかる。
薄味で、しかも個体。本物とは全然違う。
だから、本物を知ると薬を受け付けなくなる子もいる。
わたしは違うと思うけど……、でも、さっきのは……。
「美晴を殺しそう?」
「えぇ」
美晴を部屋に残して、1人で藍莉ちゃんの部屋を訪ねた。
「なんでまた。恋人でしょ?」
「だからよ。血がほしくなるわ」
「じゃあほしいって言えば?」
「……一応吸血行為は禁止されてるんだけど」
「今更でしょ。屋外でしか会えない男女のカップルは知らないけど、同性カップルは、風が匂いを運ばない室内でやってるわよ」
「なんかいやらしい言い方やめて。それはわかってるわ。紅音ちゃんが黙認してるから、わたしもそれにどうこう言うつもりはない。でも……」
「でも?」
「この前、美晴ちゃんの血をもらった時、もっとほしいって思ったのよ。このまま全てわたしのものにしてしまいたいって。さすがにこれは、危険だわ」
「そう?恋人なら当然なんじゃない?」
「ここの恋人たちは、常に同じことを感じてるって?」
「雪乃だって、初恋ってわけじゃないでしょ?前は男子寮の子と付き合ってたし」
「そんな昔のこと言わないで。あの時は……なんか違うの。任せてればいいというか、受け身だった」
「今は、相手が相手だからね」
盲目になってしまった美晴ちゃんに、全て任せることなんてできない。そもそも、美晴ちゃんから光を奪ってしまったのは、わたしの思い込みが原因だったんだから。
「いっそ割り切ったら?」
「割り切る?」
「あの子進行性なんだし、これから治る可能性はほとんど0でしょ。わたしたちと同じ。だったらここで2人幸せに暮らしましたの方が幸せじゃん」
「美晴ちゃんを殺したら、それも無理だと思うわ」
「だから、これから先、雪乃は美晴ちゃんの血以外を飲まないって、美晴ちゃんに約束するの。そうしたら美晴ちゃんもうれしいと思うし、万が一殺されても文句はないんじゃない?」
「……そういうものなの?」
「わたしに言えるのはそれだけ!ほら、帰って!」
藍莉ちゃんに恋愛相談なんてしたのが間違いだったか……。
「雪乃さん、どこに行くんですか?」
「いいから」
美晴ちゃんの手を引いて、寮を出た。目的地はすぐそばの温室。
「ここ……薔薇園?」
温室の中に入ると、美晴ちゃんもさすがに匂いに気づいたみたい。
「七不思議というか、ジンクスがあるでしょう?学園内の花園で愛を誓うと……っていう」
「聞いたことはありますけど、あれ、本当の話なんですか?」
「どうかしらね。花園というか薔薇しかない薔薇園だし、男子寮と女子寮の近くにそれぞれ1つずつあるから、学園内にも2つはあるし。そもそも一般の生徒は知らないはずの場所よ」
「じゃあ、どうしてここに?」
「そのジンクスを信じてみたくなったの」
「え?」
といっても、あのジンクスに出てくる薔薇がどの薔薇を指してるのか知らない。ここ、薔薇しかないし。
「……美晴ちゃん」
「はい」
「わたしは、あなたを永遠に愛することを誓います」
売店で買った玩具の指輪を、美晴ちゃんの指に通す。
「……雪乃さん……!」
「美晴ちゃん?」
びっくりした。突然抱きついてきたから。
「わたしも……わたしも、大好きです!雪乃さんしか好きになりません!」
本題は別にあったんだけど……もういいや。今言える雰囲気じゃない。
「雪乃さん」
「なに?」
「キスしていいですか?」
「……どうして?」
「付き合ってるのに、まだしたことなかったじゃないですか。それより深いことはしてるのに」
なんか言い方がおかしいけど、吸血ってことね。キスより深いかどうかは疑問だけど。
お互いの体液を交換するっていう点では、同じ部類じゃない?
美晴ちゃんの手が、顔を這う。
「美晴ちゃん?」
「雪乃さんは黙っててください。わたしからします」
美晴ちゃんからって……見えないんじゃ……。けど……なんていうか、手が……いやらしい。
「……っ、美晴ちゃん……っ」
「雪乃さん、かわいいです」
「か……っ、かわいいって……っ!」
「今、顔真っ赤ですよね?」
「そんなこと……っ!」
「わかりますよ。ここ、頬でしょ?すごく熱くなってます」
すごい……。目が見えてないとは思えない。
美晴ちゃんの指先が、やっと唇に当たった。
美晴ちゃんもそれを感じ取ったのか、嬉しそうに口角をあげる。
次には、それがわたし自身のものに当たってた。