雪乃編③
「雪乃、もう無理」
数日後、藍莉ちゃんが言ってきた。
「なにが?」
「理事長の呼び出しよ。今日こそ雪乃が行ってよね」
そういえば、忘れてた……。
「あれから毎日よ。あれ絶対、雪乃が来るまで続ける気!」
「でも、美晴ちゃんを1人にはできないわ。今も、机に陰口を書いた紙が入ってたりするくらいの嫌がらせは続いてるのよ」
「じゃあわたしが美晴のそばにいる!」
「そんなに嫌なの?理事長と話すのは基本紅音ちゃんでしょう?ただ立ってるだけじゃないの?」
「親子喧嘩を毎日目の前で見せられて、頭がおかしくならないと思う?!」
「あぁ……」
それはさすがにわたしでも無理かも。
「それを聞いたら、わたしも行きたくないわ」
「理事長の呼び出しを無視できないって言ってたのは誰?」
「紅音ちゃんは無視していいって言ってるわ。理事長の娘の許可があればいいんじゃない?」
「じゃあわたしだって行きたくない!」
「だったら紅音ちゃんにそう言ってみたら?」
理事長も、いい加減折れればいいのに……。
「雪乃さん、帰りますか?」
「えぇ。じゃあ、藍莉ちゃん、よろしくね」
「あ、ちょ……っ!」
別の仕事があると逃げられていいわね。
「雪乃さん、理事長先生って怖い人なんですか?」
「どうして?」
「雪乃さんも藍莉さんも、理事長先生に会いたくないっておっしゃっていたので」
「理事長というより、怖いのはその娘だよ」
「紅音さん?」
「えぇ。あの2人の親子喧嘩、大変だから」
「え……。入学した時にしか会ってませんけど、理事長先生って、すごく優しそうだと思ってました……」
「とっても優しいわ。けど、それが紅音ちゃんには伝わらないみたい」
「親子って難しいですね」
そんな話をしながら、今日も薔薇園に来た。
「ほとんど終わりましたね。最後かな?」
最後の1つとなったケースを取り出しながら、美晴ちゃんが言う。
「これが終わっても、来月頭にはすぐに次のが来るの。またお手伝いをお願いしてもいい?」
「もちろん!なんでもします!」
「ありがとう。助かるわ」
美晴ちゃんが手伝ってくれるおかげか、あと2人は今回一度も来なかったけどね。
スポイトで薔薇の花に1滴血を垂らし、なにも変化がないことを見て、残りは土に流す。
そうすることで、太陽の光がない温室で、他に手入れをしなくても、勝手に育って新しい花をつけてくれる。
わたしたちの血にそんな不思議な効果があるとは思えないけど、本当に、この薔薇は不思議。
「やっぱりここにいた」
この声……!慌てて入口を見ると、初老の男が立っていた。
「……雪乃さん……」
美晴ちゃんが慌てて駆け寄ってくる。最近藍莉ちゃんや紅音ちゃんがいても喋るようにはなったけど、まだそれ以外の人たちは怖いみたいね。
「紅音ちゃんはいませんよ、理事長」
「そうみたいだね。どこにいるか知らないかい?今日は理事長室に来るように言っておいたんだけど、いくら待っても来ないんだ」
「毎日呼び出されるからじゃないですか?」
「話をしてくれないからね」
「反抗期なのでは?」
「……そちらは、美晴さんだね?話は聞いてるよ。大変だったみたいだね」
「……あの……えっと……」
「理事長」
美晴は答えなくていい。
「この学園は、男女の接触を避けていますね。それは理事長も例外ではないはずです。わたしたちは学園から任されている仕事もありますので仕方ありませんが、彼女は無関係です。接触は避けられた方がよろしいのでは?」
「……その通りだね」
「あと、紅音ちゃんと話をされたいのなら、女子寮にいると思いますよ」
「そっか……。あそこには近づけないよ」
「ここも、女子寮の温室ですが?」
「……雪乃さんにもしばらく会っていなかったから、元気な姿が見られてうれしいよ」
理事長はやっと出ていった。
「雪乃さん、すごいですね……」
「そう?もう慣れてるから。大丈夫?」
「あ、はい。すみません」
「いいのよ」
どうやらこのまま放置というわけにはいかないみたい。
「美晴ちゃん、今日は先に帰っててくれる?」
「わかりました」
直接手を出すことはないはずだから、今日だけなら……。
「まるで妹を見送る姉みたい」
「何を言っているの?藍莉ちゃん」
妹なんて……。ただの護衛対象。仕事を手伝ってくれる助手。それだけ。
「早く行きましょう」
紅音ちゃんが先に歩き出した。
「今日で諦めてくれるといいね、紅音」
「……」
藍莉ちゃんのからかう声に答えないのは、まだ諦めないことがわかってるから?
あの理事長が、そんな簡単に諦めるはずないね。
「今日は3人揃っているんだね」
紅音ちゃんを先頭にして理事長室に入ると、さっそく理事長が笑顔で迎えた。
「……何の用ですか」
紅音ちゃんは嫌そうなのを全く隠さない。
「もうわかっているはずだよ。本当のことを教えてくれないかい?」
「何のことですか?」
シラを切るつもりみたい。わたしと藍莉ちゃんは、何も言わずに黙ってるだけ。
「学園のことは報告してほしいんだ」
「報告するようなことは起きてません。男子寮と間違われてるのでは?」
「そんなことは有り得ないよ」
「わかりませんよ。理事長もお年ですから」
理事長にこんなこと言えるの、紅音ちゃんしかいない。
「雪乃さん、なにか知らないかい?」
「……」
美晴ちゃんをわたしが引き受けてるから?
「……理事長が気にされるようなことは、女子寮ではありません」
「雪乃さん、珍しい友達ができたようだね」
「わたしだって、友達くらいできますわ。紅音ちゃんや藍莉ちゃんとは別のクラスですから、同じクラスに友達がいたって不思議ではないはずです」
「確かにその通りだね。ただ、キミが友達になった子は、医務室の使用回数が多いと聞いているんだ。それも怪我での使用がね。この前は顔に火傷があったとか。気にならないかい?」
なるほど……。如月先生も、そういうのは報告してるのね。
「……いじめとか、ない方がおかしいと思います」
藍莉ちゃん?何言ってるの?
「社会というだけで何も起きない方が不自然ですし、さらにわたしたちは、常に生きるか死ぬかの瀬戸際にいるんです。精神的に不安定で誰かに八つ当たりするしかないというのは、仕方ないと思います」
「じゃあ、藍莉さんは、いじめがあることを認めるんだね?」
「事実ですから」
「藍莉」
「嘘吐いたって仕方ないでしょ、紅音。理事長は全てお見通しみたいだし」
それを聞いて、紅音ちゃんも黙った。
「それで?理事長、どうするんですか?実は6割が治るんだって公表して、治る子と治らない子の差別を始める気ですか?」
「そんなことはしないよ。先生たちに間に入ってもらう」
「やめて」
それは紅音ちゃんが止めた。
「大人が入ればさらにややこしくなります。先生たちは黙っててください」
「キミたちだけで解決できると?」
「はい」
自信しか感じられない紅音ちゃんの返事に、理事長は小さなため息を漏らした。
「……わかった。任せることにするよ。でも、報告はしてほしい」
「嫌です」
「どうして?」
「ここ最近毎日呼び出されてるので、もうあと1年くらいはここに来たくないです」
また紅音ちゃんは……。
「わかりました、理事長。報告は欠かしません。それでは、失礼します」
代わりに言って、紅音ちゃんを連れて外に出た。
「雪乃、勝手なことしないで」
「紅音ちゃんこそあんなところで駄々をこねないで。話を長引かせたくないのよ。美晴ちゃんを1人にしてるんだから」
「……」
紅音ちゃんを黙らせて、さっさと寮に戻った。
「やめて!」
寮が近づくと、悲鳴に近い叫び声が聞こえてきた。
「この声……」
間違いない。美晴ちゃんの声だ。
寮の方じゃない。……森の中?晴れてるのに、森の中に入ったの?
「あ、雪乃!」
藍莉ちゃんの声がしたけど、気にせず美晴ちゃんを探した。
森の中で数人の女子が集まってた。
「何してるの?!」
「……!」
彼女たちが慌てて逃げようとする。
「止まりなさい!」
後ろから紅音ちゃんの声がしたから、任せていればいいわね。それより……。
「美晴ちゃん?!」
どこかにいるの?
「ゆきの、さ……?」
木の根元に、小さくうずくまってる美晴ちゃんを見つけた。
「痛い……痛いの……痛い……」
美晴ちゃんは、日除けのアームカバーやタイツを全くしてなかった。
日傘もなくて、服から見えている肌が焼けただれている。
「美晴ちゃん!」
「雪乃さん……助けて……!痛い……痛いの……!」
……ひどい……。顔も焼けて、目が、開いてない。手足の火傷の痕からは血が滲んでる。
「美晴ちゃん、わたしよ。もう大丈夫」
美晴ちゃんの手を握って呼びかけると、口角が少しだけあがった。
「雪乃!」
「あ、藍莉ちゃん……美晴ちゃんが……」
「……。早く医務室に」
火傷にあたらないように気をつけながら、美晴ちゃんを医務室に運んだ。
「先生、美晴ちゃんはどうですか?」
「顔の火傷はそこまでひどくないわね。でも……腕や脚の方は、少し……傷が残るかも」
包帯だらけになった美晴ちゃんは、ベッドで寝てる。
こんな話、今できてよかったかも。美晴ちゃんに聞いてほしくない。
「それから、視力はもう戻らないかもしれないわ」
「え……?」
「太陽はこれまでずっと避けてきたもの。突然直視すれば、慣れてない眼球が傷つくのも当然なの」
腕の傷痕に、視力……。
「美晴にアームカバーをさせないまま外に連れ出し日傘まで奪った生徒たちは、今部屋で謹慎させています。如月先生、彼女たちのカウンセリングをお願いしても?」
「えぇ、もちろん。後で順番に回るわね」
紅音ちゃんと先生が話す声が、どこか遠くで聞こえる。
「……紅音ちゃん」
「なに?」
「彼女たちのクラス替えをお願いするわ」
「ミリアのこと?」
「えぇ」
「どうして?」
「許せないの。美晴ちゃんをここまで……。次に会ったら、何もしないでいられる自信がないわ」
「……そう。これから先生たちと話し合って処分を決めるわ。クラス替えはその後ね」
「お願い」
口が重い。頭がグラグラする。
……八つ当たりだ。美晴ちゃんを守れなかったのは、わたしの責任なのに。
彼女たちを責めるのは間違ってる。
「……如月先生、しばらく席を外してくれませんか?紅音ちゃんと藍莉ちゃんも」
医務室に誰もいなくなって、やっと美晴ちゃんを見つめられた。顔も手足も、全部包帯。
「……さい……」
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。守れなくて。傷つけてしまって。
「ごめんなさい……っ」
「雪乃さん……?」
「……!美晴ちゃん……!」
包帯に包まれた右手を握る。
「……雪乃さん……泣いてる……?」
「美晴ちゃんを守れなかったから……悔しいの。すごく、悔しい……」
「泣かないで……雪乃さん」
美晴ちゃん……。
「わたし……目、見えない……です……」
「……うん……。如月先生は、視力が戻ることは無いって言ってたわ」
「そっか……」
「ごめんなさい、美晴ちゃん。わたし……」
「いい……雪乃さんのせいじゃないです……。わたし、今、幸せなんです」
「え……?」
「あの時、一瞬だけ、雪乃さんの顔が見えた気がしたから。だから、幸せです。わたしが自分の目で見た最後の風景が、雪乃さんでよかった」
「……美晴ちゃん……」
「大好きです、雪乃さん」
「え……」
「調子のっちゃいました。でも、本当ですよ。大好きなんです。雪乃さんの血を飲みたいと思うし、わたしの血を飲んでほしいって思います。雪乃さんだけですよ、こんなこと言えるの」
あぁ……。この胸に広がるなにか。暖かくて優しい、何か。
「雪乃さん……?ごめんなさい。びっくりさせちゃいましたよね?気にしないでください」
「……黙って、美晴ちゃん」
「え?」
「安静にしてなきゃ」
近くにあったハサミで腕を切った。
「……雪乃さん?何してるんですか?この匂い……。雪乃さんもどこか怪我してるんですか?」
「大丈夫よ」
傷口に口をつけて、軽く吸う。久しぶりの感触が、口の中を満たした。
そしてそのまま美晴ちゃんの口に近づける。
「雪乃さん……?……!」
口の中を満たしていたものが、流れ出ていく。
「……ん……っ」
口の中にわずかに残る液体を飲み込んで、美晴ちゃんを見た。
美晴ちゃんも戸惑ってはいるけど、喉が小さく動く。
「……これ……」
「わたしの気持ちよ」
「雪乃さん……!」
美晴ちゃんが腕を伸ばしてきたから、わたしから抱きしめた。




