雪乃編②
「確かに火傷はしてるけど、そこまでひどくはないわ。早く見つかってよかったわね」
如月先生は手当てをしながら笑顔で言った。
美晴ちゃんは目を閉じて横になって、じっと治療を受け入れてる。
「美晴」
「はい」
紅音ちゃんの声で、美晴ちゃんが目を開ける。
「あの場に日傘はなかったわ。どこにいったの?」
「……」
さっき藍莉ちゃんが言ったせいか、もう風に飛ばされたなんてことは言いそうにないわね。
「聞き方を変えるわ。あなたの日傘を取っていったのは誰?」
「……」
「言いなさい。このまま放置するわけにはいかないの」
「あ、紅音ちゃん……」
そんな詰め寄って、美晴ちゃんが話せるはずがないってことには、気づかないのかな、この2人は。長い付き合いでも、さすがに呆れる……。
「紅音ちゃん、わたしに任せてくれるって言ったでしょう?」
「……そうね」
まず紅音ちゃんを黙らせて、美晴ちゃんの顔の高さに視線を合わせるように、ベッドの隣に膝を着いた。
「美晴ちゃん、安心してね。ここにはわたしたちと如月先生しかいないわ。わたしたちはもちろん、如月先生も、ここでの話は誰にも言わない。ですよね?先生」
「えぇ、もちろん」
手当てを終えた先生が、笑顔で頷く。
「もう誰にも美晴ちゃんを傷つけさせない。約束するわ。怖い時は、わたしのそばに来て。わたしがそばにいれば、美晴ちゃんを傷つけてる子たちはなにもできないでしょう?他にも、美晴ちゃんが安心できるなら、なんだって協力する。だから、教えてほしいの。美晴ちゃんをここまで怖がらせているのは誰?」
「……ほんとに……?」
目に涙をためて、弱々しい声で、ようやく口を利いてくれた。
「……本当にもう解放されるんですか……?」
「本当よ。約束するわ」
「……あの人たちに、近づかなくていいんですか……?」
「えぇ」
「……」
「話してくれる?」
「……雪乃さん、だけなら……」
「わかったわ。紅音ちゃん、藍莉ちゃん、外で待ってて。如月先生も、すみませんが」
みんな出ていったのを確認して、もう一度美晴ちゃんを見る。
「誰もいないわ」
美晴ちゃんは静かに周りを見回して、自分で確認した。
「美晴ちゃんをいじめてるのは、誰?」
「……ミリアさんです」
“アルニラム”の子。
今の彼女たちの中では最年長で、最も長く“アルニラム”の中にい続けた子。
やっぱりというか……まぁ、予想通り。
「ミリアさんがリーダーで、他の子たちは従ってるのね?」
彼女は1人でここまで大きなことをできるほどの子じゃない。
周りにおだてられてるってことは、充分予想できる。
「わかった。教えてくれてありがとう、美晴ちゃん。この話、紅音ちゃんと藍莉ちゃんには話してもいいかしら?」
「え……っ」
「絶対に周りに漏らさないように、わたしからもお願いしておくわ。ダメ?」
「じゃあ、紅音さんと藍莉さんだけなら……」
如月先生にはやめた方がよさそうね。……理事長も、たぶん。
理事長に話すかどうかは、紅音ちゃんが決めるか。
「疲れたでしょう?今日はもう部屋に戻った方がいいわ。送っていくから。立てる?」
「……はい」
一応支えるけど、1人で歩けるみたい。
黒タイツとアームカバーのおかげで、腕や足の火傷は避けられたから?
火傷が顔だけでよかった……。痕も残らないみたいだし。
医務室を出ると、紅音ちゃんたちがいた。
視線を合わせると、紅音ちゃんはわかってくれたみたいで頷いてくれる。
美晴ちゃんのためにも、ここは何も言わないで通り過ぎよう。
「じゃあ、夕食の頃に迎えに来るから、それまで休んでね。何かあったら内線で呼んで。わたしが来る時も内線で事前に連絡してから来るから、それ以外は誰が来てもドアを開けないで。いいわね?」
美晴ちゃんの部屋のドアの前で、最後の確認。
「……はい」
美晴ちゃんは不安そう。
「大丈夫。約束したでしょう?絶対に守るわ」
「……はい」
美晴ちゃんが不安そうにわたしの手を離した。
「じゃあ、また」
部屋に戻る前に、紅音ちゃんの部屋に寄って、わたしの部屋で話があるといって呼び出した。
もちろん、藍莉ちゃんも。
「なんで雪乃の部屋?紅音の部屋じゃダメなの?」
「美晴ちゃんに、なにかあったら電話してって言ったのよ。ここじゃなきゃダメでしょう?」
「それはどうでもいいわ。それで?雪乃、美晴はなんて言ってるの?」
「話してくれたのは、いじめの主犯だけよ。ミリアちゃんらしいわ。……予想通り?」
「そうね」
「ミリアって……。あぁ、あの変な……」
「そんな事言わないの、藍莉ちゃん。確か、藍莉ちゃんのファンでしょう?」
「お菓子とか作ってくれるのはいいけど、明らかに血の匂いがするから怖いのよ」
それは……。さすがに怖いかな。藍莉ちゃんのファンは熱狂的な子が多いから。
「あ、紅音ちゃん、一応言っておくと、美晴ちゃんは紅音ちゃんと藍莉ちゃんになら話してもいいって言ったの。先生たちには話してほしくないみたいだったわ」
「……そう」
「え、じゃあ紅音、理事長への報告、どうするの?」
「本人がそう言ってるって伝えるわ」
紅音がそう言うなら、それでいい。
理事長への報告までわたしの仕事に入ってたら、さすがに無理だもの。
「……あ」
内線が鳴ってる。
「もしもし」
『……ゆきの、さ……』
「美晴ちゃん?どうかした?」
『……たすけ……そと……』
「待ってて。すぐ行くわ」
状況はわからないけど、なにかあったみたい。
「ごめんなさい、行ってくるわ」
「紅音、わたしたちも行く?」
「そうね」
3人で行くことになった。
美晴ちゃんの部屋の前に、10人ほど集まってるのが見えた。
「なにをしているの?」
「あ……」
中心にいるのはミリアちゃん。一瞬驚いた顔をしたけど、次には笑顔で
「ミハルさんが怪我をしたって聞いたので、アルニラムを代表してお見舞いに来たんです」
「……それ、どこで聞いたのかしら?」
紅音ちゃんが呆れて聞く。
「え?」
「その話は誰も知らないはずよ。どうしてあなたが知ってるのか、教えてくれない?」
藍莉ちゃんも、確信をつこうとしてる。
「それは……」
「その前に、そこ、いいかしら?」
2人とも、中で美晴ちゃんが怯えてるってこと、考えてないんだから……。
ここで話を聞くより、美晴ちゃんを安心させる方が先でしょう。
「紅音ちゃん、彼女たちから話を聞くのは、後日にするか、別の場所でしてくれない?」
「……わかったわ。後日、話を聞かせて」
ミリアちゃんたちは慌てて走っていった。
「美晴ちゃん、わたし、雪乃よ。開けて」
ドアをノックして呼びかけてみるけど、返事がない。
「美晴ちゃん?」
「藍莉、管理室からスペアキーを取ってきて」
紅音ちゃんの指示で、藍莉ちゃんが走っていく。
「美晴ちゃん、わたしよ。怖がらなくていいから、出てきて」
「雪乃、やめなさい。余計に怖がらせるわ」
それはわかってるけど……。
でも、ここで声をかけるのをやめると、美晴ちゃんを孤独にしてしまいそう……。
「雪乃、これ!」
藍莉ちゃんが戻ってきて、スペアキーで開ける。
「美晴ちゃん、わたしよ」
呼びかけながら入ると、美晴ちゃんはベッドの上に座ってた。
「雪乃さん……!」
「もう大丈夫よ」
泣いてる美晴ちゃんを抱きしめて言った。
「美晴ちゃん、今日はわたしの部屋に来ない?一緒にいましょう。ベッドは広いし、2人寝ても狭くはないわ」
美晴ちゃんは、何度も頷いた。
「雪乃さん!」
ここ数日、美晴ちゃんは笑顔を見せてくれるようになった。
授業が終わると、すぐにそばにきてくれる。それだけ信頼されてるみたい。
「帰りましょうか」
「はい!」
「そろそろ、その“さん”ってやめない?雪乃でいいのよ?」
「それはダメです!雪乃さんは雪乃さんですから!」
明るくて少し頑固ではきはきと喋る子。本当はこんな子だったんだ……。
「雪乃」
紅音ちゃんと藍莉ちゃんが隣の教室から出てきたところだった。
「理事長の呼び出し」
藍莉ちゃんが嫌そうに言う。
「いつもの紅音ちゃんだけじゃなくて?」
「3人よ」
珍しい。理事長がわたしたちまで呼ぶなんて。
「理由は?」
「……」
紅音ちゃんの目が、静かに美晴ちゃんに向いた。
「美晴ちゃん?」
「紅音は、理事長に聞かれても、美晴のこと何も言ってないんでしょ?」
「……当然」
「だから、わたしたち3人を呼び出すことで、わたしたちが常にそばにいる美晴ちゃんも間接的に理事長室に来るようにしかけて、本人から聞こうとしてるってこと?」
藍莉ちゃんの言葉に、紅音ちゃんは嫌そうに顔を顰めた。
「……あのぼんくら、変なところで頭が回るんだから……」
「理事長をぼんくらなんて言わないの」
苦笑いしか出てこないよ、この親子には。
「あの……?」
美晴ちゃんがきょとんってしてた。
「紅音ちゃん、悪いけど、わたしはパスさせてもらうわ。後日伺いますって伝えてくれる?」
「行く必要なんてないわ」
「……そういうわけにはいかないわよ……」
理事長の呼び出しをなかったことになんて、できるわけがないじゃない……。
「じゃあ今日は、わたしと紅音の2人で行ってくるね」
「えぇ、お願い」
「行くなら藍莉1人で行って。昨日も一昨日も呼び出されて、わたしはもうあの人の顔なんて見たくないわ」
「わたしだってできることなら行きたくないって。ほら、行くよ」
珍しく藍莉ちゃんの方がしっかりしてる……。
「雪乃さん、行かなくていいんですか?」
「えぇ。紅音ちゃんも言ってたでしょう?行く必要なんてないって」
「でも……わたし、雪乃さんのお仕事の邪魔してるなら……」
「邪魔なんてしてないわ」
むしろ大人しくそばにいてくれた方が、仕事になるんだけど。
なんてことは、言っちゃダメ。って、美晴ちゃん、暗くなったじゃない……。
「美晴ちゃん、午後から予定は?」
「え?あ、ありません」
「じゃあ、お手伝いをお願いしてもいい?」
「……!はい!」
そろそろしなきゃなと思ってた仕事があったから、ちょうどいい。
「ついてきて」
「はい!」
なんだか、ペットでも飼ったような気分だわ。
「わぁ……」
寮を通り過ぎたところが目的の場所。
「これって……薔薇ですか?」
「えぇ、そう。綺麗でしょう?」
「はい!すっごく綺麗!ここって、いったい……」
「秘密の薔薇園。わたしはそう呼んでるわ。わたしと紅音ちゃんと藍莉ちゃん、それと先生たちしか知らない場所だから」
「え……そんなところに、わたし来ていいんですか?」
「いいのよ。手伝ってくれるんだもの」
「……わかりました。何をすればいいですか?」
「薔薇たちのお世話よ。簡単に言うとね」
「簡単に……?」
温室の入口にある冷蔵庫のような機械の中から、たくさんの試験管が入ったケースを取り出す。
「それ……」
「定期的に採血されるでしょう?これはその時の血」
定期健診は月に一度、数人ずつ実施される。
採血はその中でも重要な項目で、集められた血液は名前のラベルがついた試験管に入れられ、ここで保管される。
「ここの薔薇、特殊なのよ。普段から、わたしたち吸血鬼症候群の患者の血を吸って育ってる……吸血薔薇ね」
「吸血薔薇……?」
「だから、吸血鬼症候群の血をかけても何も起きないけど、普通の人の血をかけると枯れるの」
「でも、ここにあるのは生徒の血ですよね?」
「だから、治っているか否かを確認するために、一つ一つ、薔薇の花にかけて確かめるのよ」
「治ることってあるんですか?」
「本当は教えちゃいけないのだけどね。6割は治ると言われてるわ。わたしたちに与えられている階級は病気の重症度。“クー”の子たちの半分は治るのよ」
「……“アルニラム”は?」
「残念だけど、絶対に治るって断言できるほどの結果は出てないわね。でも、治らないとも言いきれないわ。この前完治して卒業していった子は、“アルニラム”になって1ヶ月くらいだったのよ」
「それはよくあることですか?」
「いいえ。“クー”から“アルニラム”にあがって治った話は、ほとんど聞かないわ。稀なケースね。進行性の場合、治る前に悪化して“スピカ”になる方が早いもの」
美晴ちゃんも在学中に“アルニラム”になった。こんな話を聞かせるのは残酷?
でも、事実だから。嘘は吐けない。
「その……この前卒業していった子、今は幸せに暮らしてますよね?」
「さぁ。学園の外のことなんて、わたしたちにも知ることはできないもの。わたしが知ってるのは、ご家族が引き取りを拒否されて孤児になったってことだけね」
「え……」
「よくある話よ。生まれて数年で手放して10年以上も帰ってこない我が子を、その期間ずっと大切に思ってくれる家族は少ないの。帰ってくるかどうかさえわからないのだから、死んだことにしてしまうことだってある」
「じゃあ、その子はどうなったんですか?」
「同じようにこの学園を卒業して大人になられた先輩が運営する会があるの。紹介はしておいたから、なんとかしてくれるわ。わたしたちはそう信じるしかないのよ」
「……そう、ですか……」
さすがにショックすぎた?
「美晴ちゃん?」
「……学園でも死んだことになって、家族にも死んだことにされるって……すごく悲しいですね」
「学園でのことは、本人が決めたことよ」
「……それでも……。わたし、忘れません。亡くなってしまった子も、卒業していった子も、誰一人、絶対に忘れません。学園でも家族の中でも死んだことになってしまった子たちは、わたしの心の中で生き続けます」
「それはわたしたち3人が続けてきたことなの。美晴ちゃんが引き継いでくれるなら、心強いわ」
「はい!」
「じゃあ、早く検査をしてしまいましょう」
「はい!」
試験管とスポイトを美晴ちゃんに渡した。