三話 『勝手な自己満足に彼女は付き合わせられる』
17:05――
リビング。テレビをつけるとニュース番組。画面左上に時間がデジタル表示されていた。
セットした炊飯器は約一時間後に炊ける。鴻崎が初めに言った感想は「意外ときれいにしてるんだ」一応、親が仕事の都合上家を空けている、という事情を話した。鴻崎は警戒心を隠さない。無理もない事。けれど本当に邪な考えはない。いきなり襲うなど、ない。
「ま、適当に座って」
ソファのほうを指さして促す。
本当なら先に風呂を済ませたいところだが、さすがに怪しまれてしまいかねない。
洗面所で手を洗い、ブレザーをハンガーにかけた。
何を作ろうかと袖を捲りながら冷蔵庫を前に考える。
「鴻崎ってアレルギーとかある? 苦手なものとか」
「とくには……酸っぱい物は嫌い」
「梅干しとかか?」
「……大嫌い」
鴻崎はなんだか居心地悪そうにそわそわとしていた。
「私、何か手伝おうか……申し訳ないし。簡単なことだったらできると思うから……」
「別にいいよ、招いたのは俺なんだし。出来るまでまだ時間あるから、お菓子でも食べる? アイスとか。チョコ系の」
「そこまでしてもらわなくても……あの、やっぱり私帰る……」
「せっかくここまで来たんだし。それに、行くのは公園だろ? ちゃんと家に帰るのか?」
「…………帰る」
「何の間だよ」
適当につかんだお菓子を背の低いテーブルに散らばらせた。羽知は対面のソファに腰を下ろし、促すように一つチョコのお菓子をつまんで口に放り込んだ。
「……どうして?」
「何が?」
「だから、どうして私に構うの」
「さぁ? とりあえず困ってそうだったから。後悔しないために、自己満足を満たすために構ってるだけ。だって嫌だろ? あの時こうしていなかったからこうなったなんて後悔。やらないで後悔するより、やって後悔するほうがいいんだよ。甘いな、チョコ」
鴻崎は口に二つ、チョコを頬張り納得したのか視線をテレビに向けた。羽知はその横顔を見て、しばし考える。そうしていると鴻崎が視線をこちらに向けて落とした語調で言った。
「私、面倒な女、しらない?」
「面倒? どうなんだろうな」
「聞くでしょ、そういう噂」
羽知にとって、噂話などどうでもいいことをこの上ない。軽く息を吐き、ソファから尻を話し、視線を台所に向けて言った。
「あいにく、噂には疎いんだよ」
それからご飯が炊け、卵、鶏肉、ピーマン、タマネギ。簡素なオムライス。何か文字でも描こうかと考えた。柄にもない、やめた。
「安心しろ、毒なんて入ってないから。味だって、別に悪くないはずだ。ケチャップかけるか?」
ケチャップを鴻崎のほうに送り、一足先に食べ始める。その様子を見て毒が入っていないと判断した鴻崎は小さく「いただきます」と疑いながらも手を合わせ、ケチャップはかけずに一口。これまた小さい。羽知にとっては小さいスプーンも彼女にとっては少し大きめだ。
鴻崎は左手を口元に添え、
「ん……おいしい」
と、思わずつぶやいた鴻崎だった。
「そりゃよかった。おかわりならあるぞ」
湯気でメガネが曇るも憚られることなく、黙々と食べ進めた鴻崎だった。
「洗い物、私にやらせて」と鴻崎は食い下がる。そのくらいなら、と甘えることにした。
テレビではちょうどバラエティ番組が盛んだ。あと少しで二十一時になる。
「鴻崎の家ってさ、門限とかない系? 割と放任主義?」
家庭事情など踏み込んだことを聞くつもりはない。門限とか主義とかそういったことを聞くくらいはいいだろう。聞かれたくなければ答えない。
熱いお茶が注がれたコップを置いて、両手に包んだまま、鴻崎はしばらく口を結び、握った手を胸に当てて、
「門限とかはない、けど別に放任主義、ってわけじゃない。あと一つ言っておくけど、私、詮索されるのあまり好きじゃないから。というか好きじゃないから」
「だよな、まぁ。悪い。でも好奇心で聞いたわけじゃないからな」
鴻崎はコップに唇をつけ、手元のスマホに視線を向ける。
22:00――
だらだらと過ごしていたらこんな時間になっていた。しばし驚きを噛み締めた。
結構遅い時間になったということを手元のスマホで確認した鴻崎。
「もう夜も遅いから、そろそろ私は帰る」
「今が遅い時間だってちゃんとわかってんだ。そうだ、帰る前にちょっといいか?」
「ん?」
することといえばトークアプリで連絡路の確保。
「家の近くまで送っていくよ。外は暗いし」
羽知がベランダのほうを見てそういう。鴻崎は首を小さく横に振り、
「大丈夫。家、近いから」
「ならエントランスまでは送っていくよ」
知り合って二日目の異性、男子に家を教える人間などまれだろう。
窮屈なエレベーターは早く、会話を交わす間もなく一階へと到着した。
「じゃ、いつでもメールしてくれていいからな」
「すると思う? ま、返信くらいならしてあげるけど」
鴻崎は微笑み、
「今日はありがとう、ごちそうさま」
その背中が見えなくなってから羽知は住まいに戻った。
玄関ドアを開けると微かに鴻崎の残り香を感じた。普段と違った家の香りは不思議と悪いものではなかった。
鴻崎にとって今日のことは少なくとも、あんな公園のベンチに寂しく座っているより良かったのではないだろうか。羽知は微かな満足を感じた。