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二十四話 『狂った音は調律される』

 あっという間に当日。前日に急いで水着を買った羽知は鴻崎を連れ、集合時間五分前に到着した。


 08:05――


 集合場所は駅前。羽知は鴻崎と共に現れた。そんなこともあり含みのある視線を向けられることになった。けれどその視線を気にする必要はなかった。


 ――もう恋人だから。


 けれどその多くの視線とは少し違った雰囲気の視線を感じ、辺りを見渡した。結局、それが誰か、それは分からなかった。


「よし、これで全員集合だな」


「お前が最後とはなぁ」


 主催者の相田がさらに五分ほど遅刻で現れ、さも当然のように点呼し、話し始める。


 移動は相田(親)が運転する合宿旅行などでたびたび使われるマイクロバス。


 そんなこともあり気分は上がり、学生のそういうテンションで車内は騒々しかった。


 雰囲気だけで言えば小学生のノリ。多少悪声であれ音痴でも盛り上がるカラオケ、とてもやりにくいババ抜き、などなど催された。隣に座る鴻崎の様子の異変に気付き、肩に手を添えてやった。するとこちらに顔を向けた。酷い顔色だ。


「酔った……私、乗り物酔いしやすいの……薬、忘れちゃった……」


 顔を青白く、鴻崎が力なく窓の外に顔を向けた。窓に映ったその顔は死人そのものだ。


「そういやすぐ酔うもんな……大丈夫か? 袋、あるけど」


「うんう、大丈夫……何とか耐えるから」


「いや、無理はよくないけどな? すぐに言えよ?」


 袋を見せるとより一層顔を悪くし。頬を膨らませた。近づけないでと仕草をみせる。


 二時間以上揺られ、海水浴場へと向かう。途中休憩を挟みつつ向かう。しばらくして少し開けた窓からは濃い潮の香りが入る。その香りを感知して目を覚ました後方列の男子が窓を見て「海だ」という。


 鎌倉の海よりだいぶ透明度の高い、紺碧の海、海岸沿い。


 間もなくして到着――


「どこまで潜れるか競わねぇ?」


 相田は準備運動をしながらそう問う。羽知は顔の前に手を振った。


「いや、俺は遠慮しておくよ、身の危険を感じるし」


 羽知を除く男子八名はノリノリだ。泳がねぇ奴は男じゃねぇと言った。二十メートル潜るとか、百メートル潜るとか、深海のダンゴムシ捕まえるとか豪語する。とはいえ、女子が「浅瀬で遊びたいー」とかいうと男子数名が「あ、やっぱ俺いいわ」と澄まし顔で手の平を返した。


 相田達とはいったん別れ、鴻崎の下へと向かった。その道中、着替え終わったと思われる女子組が通りすがろうとした。隠すことないその体つきは見事なもの。思わず目が向いてしまう。先頭を歩くのは五組の女子生徒。一瞬目が合った気がしたが気のせいだろう。


「鴻崎はどうする? 適当に泳ぐか?」


 更衣室からおずおずと顔を出した鴻崎に手を振った。


 鴻崎が着ているラッシュガードは速乾性に優れた素材。そのまま泳げる。


「誠也は? 泳ぐ?」


「まぁ、ぼちぼち」


 実のところ羽知は泳ぎが得意じゃない。不得意という訳ではないが、沖に流されてしまえばあらがえない。


 相田(親)が用意してくれたシュノーケリング片手に鴻崎が、


「一緒に泳ぎたい」


「わかった、泳ごう」


 羽知は二つ返事で海に向かう。ごつごつとした岩場を歩き、透明度の高い海面を覗く。


「なんか居るかな」


「どうだろうな」


 そう見ている少し離れたところで相田が「とったどー」と叫ぶ。その片手にはとげとげとしたウニ。すぐさまそばにいた巡回のおじさんに石を投げられ、怒られ、逃げた。


 海面に片足つけると心地よい程度に冷たい。シュノーケリング越しに見合った顔。メガネを外し、あまり視力のよくない鴻崎はしっかり見えているのだろうか。そう思いながら水中で指を立てる。


 同じように指を立てる鴻崎。とりあえず見えていそうだ。


 そんなに深くは潜らず、水面の少し下あたりを漂っていた。見つかるのは小魚程度。これと言って面白みのある海洋生物は見つけられなかった。


 相田はヒトデとかタコとかを両手に掲げていた。


 しばらく泳ぎ、陸に上がり、岩場でカニなんかを見つけて遊んでいた。お昼はバーベキューだった。大きめのグリルに焼かれる魚介。


 鴻崎はお手洗いへと席を外し、羽知は今日の面子を見る。先ほどすれ違った女子を含めた、見慣れない女子がちらほらといる。人間関係に疎い羽知でも名前くらいなら知っている、という顔もある。


 相田や佐藤と話す派閥は体型を隠すことのない、面積がやや少ない水着を着こなす、すれ違い、一瞬目が合った彼女、安富やすとみ聡子さとこを筆頭とした面子。男子からの評価は高いマドンナ的存在、ということは一目瞭然。


 そのナイスバディでグラマラスなスタイルはしっかり男子の下半身を掴んでいる。


 せめて上着でも羽織ったらどうだ、と羽知は思う。


 そんな、鴻崎とは正反対の一生近寄ることのないタイプの彼女らが鴻崎に話しかけたのはそれから暫し経った食後のこと。近くの売店で買ってきたアイスを食べていた時。


「鴻崎さん、って言ったっけ?」


「うん……」


「てか、あたしのこと知ってる? 五組の安富・聡子」


「ごめんなさい、私あまりほかのクラスと関りがなくて」


「だよねー、よかったらさあたしたちと遊ばない?」


 常にケラケラと(笑)をつけるような話し方の彼女らと、常にぎこちない様子で(汗)をつけるような鴻崎。


 安富はしげしげと首から下、つま先まで視線を向け、下唇に軽く人差し指を添え言った。


「てかさ、脱いじゃいなよラッシュガードとかさ、鴻崎さんってすごい痩身じゃん、それに胸もあるし、隠すことないっしょ」


 鴻崎の細い腕を安富の綺麗な白い手が掴む。それに驚いた鴻崎は強く払い、後退り。


 拒絶する、その目は彼女らを見据えた。


 安富は気に食わない、そう眉間に皺を刻んだ。


 けれどそれを拒絶とは取らず、ただよくあるそういう照れ隠しだと決めつけた側の女子二人が服の裾を、腕を掴み、安富がチャックに手を伸ばす。脱がしてやろう。そうジジッとチャックを下げたところで、鴻崎の手からアイスが落ちるより先に、相田が安富の細い手首を軽くつかみ、中断させ、鋭い視線で側の女子を一蹴する。


 絶句し、呼吸すら疎くなった鴻崎が怯え眼で相田のほうを一瞥する。


「なーにしてんの? 女子だけでさ~、ほら聡子たちもこっち来いよ、バレーすんだってさ、やるだろ?」


「あ、あぁうん。やるやるー」


 安富は去り際、鴻崎に冷笑を向け、ここに姿はない羽知に憫笑を湛えた。


 その背が去った後、鴻崎は足元から崩れるようにベンチに腰を深く下ろし、血の気の引いた細い腕を額に添えた。


 お手洗いから戻って来た羽知はそんな鴻崎を見つけ、眉を寄せた。


「何かあったか?」


「ちょっと、疲れちゃっただけ……先、車で休んでる」


「俺もいくよ」


「……うん、ありがとう」


 ほかの面々より少し早く戻った二人はバスの中、寄り合う。


 鴻崎は羽知の肩に頭を寄せてきた。ほのかに高い体温が心地よく、静かな車内に届く外の喧騒と相まって現実が遠く去っていくような睡魔の囁きが響く。羽知は迫りくる透明な悪意の気配を確実に悟りながら逃げたい恐怖を押し殺した。それが来るのは想定よか早かった。おそらく今日が、その日だった。羽知は泣き縋るように言った。


「海、好きなんだよ。母さんが、よく昔、休みの取れない父さんを置いて連れてってくれたんだ。ほんと昔だけど」


「……うん」


 すぐ微睡に落ちそうな気配を纏った鴻崎の声。


「鴻崎もさ、もし子どもなんかが出来たらさ、そうしてやりなよ……きっと思い出になるから」


「…………うん」


「俺は、幸せだったよ、もう満足だよ。でも、まだせめて最後に……待ってくれよ」


 意識の七割が無意識に変換されていく鴻崎に、羽知は下唇を噛んだ。


「これ以上は、ダメみたいだ…………せめて、最後に――」


 何者からか逃げるように顔を近づけた。けれどそれが叶うことなく、幕を閉じた。


 羽知――羽知・誠也は消された。



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