十九話 『好意がなくてもそれが男女であればデートとなる』
そんな日からしばらくすぎて、土曜日――
気だるさの浮かぶ面を上げればその皺は一層深いものとなった。どこまでも透き通り、果てのないような見ているだけで気が遠くなる、空。露出した皮膚を容赦なく灼き貫く、陽。
快晴。
つい昨日一昨日までの曇天はどこへ消えたのだろう。こうまで天候が一変すると「もしかして俺、別の世界に来ちゃった?」っていう錯覚に陥る。けれどそんなことが起こればわかるだろう。再び空を見上げ、滲んだ玉汗を拭った。
デート。
好意を抱いている相手とお出かけすることをデートと言うらしい。別に好意がなくても男女二人きりで遊びに出ればデートだと言われるらしい。
10:20――
駅前集合ではなく、公園集合にした。せっかくなら駅までも一緒に行きたいな、と。
握ったままのスマホを確認し、二十分が経っていた。予定の待ち合わせ時間十分前。随分と早く来てしまったものだと我ながらに思う。おそらく鴻崎が来たらこう言うのだろう、「うんう、今来たところ」と。口元が緩んだ。
別に、楽しみにしている。という訳ではない。待たせてしまうのは申し訳ないから三十分前行動を心掛けているだけのこと。本当は楽しみで昨夜寝つきが悪かった。
――ごめん、少し遅れるから先に駅に行ってて
ポップアップ表示された通知に思わず肩を落とす。
「ま、仕方ない」
女子は往々にして準備に時間がかかるし時間にルーズ。経験則そういうことのほうが多い。
その程度で苛立ったり人格否定したりするようならたぶん、その人は友達を、彼女を作ることに向いていない。
鴻崎を待つ間、駅構内のコンビニに立ち寄り、飲み物を買った。お茶を二本。
改札前の柱を背後に、左手に握ったスマホを一分に二度の頻繁で見る。
――あと五分
そうメッセージが来てから六分が経った。羽知は後頭部に手を当てた。
――大丈夫か?
もしかして来る道すがら、怖い人に誘拐されたり、事故に遭ったり、そういうことが考えられないわけではない。けれどそれはありえないと確信できる。でありながらも悪い焦燥に駆られ、スマホでそういった事故情報がないか探すが。幸い見当たらない。
安堵と同時に遠く、羽知を呼ぶ声がした。暗澹な面持ちはぱぁと日の出を見るように。
「――お待たせ! ごめんね、ちょっと、いろいろあって……もう呆れて帰っちゃったかと思ってた……よかったぁ」
ツカツカと底の厚めのサンダルを鳴らし、駆け寄って来た鴻崎は日頃の運動不足がたたったのか呼吸が粗い。普段あまり開かない口は今では指三本は入りそうだ。膝についた手を放し、メガネを外し、カバンから出したハンカチで額を軽く押し拭い、背後で緩く結われた黒髪を靡かせた。
頬の血色がよいのは走った、ということもあるだろうが化粧が施されているから。薄らと。けれど印象は大きく変わる。
視線は少し下がり、先ほどから深い呼吸と共に持ち上がる胸部。それは男の手では十分に覆いきれないものだった。
「帰るわけないだろ」
羽知は湯気立つ鴻崎の顔の前にペットボトルを向けた。まだ十分に冷たく、ほてった体にはよく染みるだろう。
「お茶だけど、飲む? まだ冷たいし」
「ありがとう、いくらだった?」
「そのくらい奢らせてくれ……とりあえず、行くか。あと三分で電車来る」
比較的空いている車内。階段を駆け上がり羽知の息も少し上がっていた。背中が汗ばむ。
けれど疲れなど面に出さない。
鴻崎は座り、羽知はガードするように前に立つ。
そんな様子を見た鴻崎は微笑み見上げて、
「座らないの?」
「いや、次の次で乗り換えだし……」
「ずっと立ってたんでしょ? 少し座ったら? それに……なんだかそうやって前に立たれてると位置的に……恥ずかしい」
羽知は察し、おとなしく隣に座ることにした。気を紛らわせるように開いたスマホ。画面はホームのまま。バグっているわけではない。
隣に女子、鴻崎が居ながらスマホに傾倒するなど到底許されるべき行為ではないと思い、スマホはポケットに仕舞った。それからほとんど言葉を交わすことはなく、目的地の駅を出た。
そして迎える照り日。空調快適な車内で忘れていた。ジトと皮膚が汗を吐き出すのを感じた。あまり気分のいい物ではない。
手でサンバイザーを作る鴻崎に、羽知は話しかける。
「食べ終わった後、ほかに行ってみたいところとかあるか?」
手を払い、しばらく考えるようなしぐさを見せる。けれど馴染みなく、あいまいに肩を下げた。
「んー……私、あまり地元から出ないから……誠也君は? どこかおすすめスポット的な場所とかあるの?」
「さぁ。俺もいうてあんま来ないから。ま、テキトーに回るか」
今回のお目当て、この前テレビで観た、というカフェに訪れた。
夏先取り、という天候の下、並ばせられた。帽子とか、ポケットサイズの扇風機でもあれば。
頭のてっぺんで分厚いステーキ肉が焼けそう、そういう頃合いでようやく店内に入れた。
メニューの表には期間限定と銘打つ、メロンの切り身が三日月のように立ち、丸く抜かれた果肉が並ぶパフェ。そのお値段ときたらバイト二時間分。
斜めに突き立てたメニューで顔を隠し、眉根を寄せた。
――もしかして鴻崎って、申し訳ない表情をしているくせに案外がめついのでは?
さては、お金払うの私じゃないし、みたいなことを……
いや、俺が「なんでもいい」「奢るから」って言ったわけだし。頭を振った。
「ちょっと、高い?」
鴻崎は眉を顰め、メニューの隅から羽知の顔色を窺う。羽知は頭を振った、
「このくらいどうってことはない、決まったか? 俺はこれにする」
胸を張って見せた。けれど胸筋などない薄い胸だ。これでは頼られもしまい。
「じゃぁ、私はこれで」
鴻崎は一番小さいサイズのパフェを選んだ。値段は三割ほど安い。女子に気を遣わせるなど男として情けない。けれどそうしてくれると助かるので頷いた。
注文を済ませようやくひと段落。甘い香りが漂う、ふいに店内を見渡す。客層の多くは大学生くらいの女性。そんなこともありか雰囲気は華やか――がやがやとにぎやかだった。パフェが到着してきゃっきゃ嬌声を上げ、パシャパシャと始まる撮影会。
お洒落で男一人では入りにくい店内の雰囲気と相殺。
待つこと十分。到着したパフェをとりあえず一枚、スマホで記録し、相田に送り付けた。
既読はすぐについた。羨ましそうな旨のスタンプに続いてLOVEと掲げられたスタンプが送られてきた。彼はいまバイト中のはず。休憩中だろうか。でなければ店長に報告してやる。
羽知はスマホを仕舞い、視線をパフェの向こう側の鴻崎に向けた。
鴻崎は口元を緩め、同じように写真を撮る。
そのなかなか見せないレアな表情を目に焼き付けた。
そんなパフェを滞りなく食べつくし、食後の一服を嗜んでいた。ほんのりと甘みのあるブレンドハーブ茶。猫舌ゆえに温くなってから飲んだ。
それから会計を済ませ、店を出る。暖かい気候にほんのり高い湿度。やはり涼しい店内で外のことなど忘れていた。
ビル群をなぞり、空を見て思わず目を眇める。すると隣から鴻崎が言った。
「いい天気だね」
「もう夏も近いしな。次はどこ行く? ゲーセンでも行くか」
視線を合わせて訊くと鴻崎は微笑んだ。
「あ、いいねぇ」
「決まりだな」
土曜日ということもあり人は多く、一歩でも距離が離れたら最悪、迷子になってしまいそうだ。そういう状況で、鴻崎は羽知の背後を歩いていた。
鴻崎は羽知の袖を引いて、
「歩くのちょっと早い」
そう指摘され、初めて自分の歩調が速くなるのを恥じた。少し興奮しすぎていた。
「あ、悪い、気を付ける」
と少し足を止めて言い、羽知は恥ずかしいながらも安全を考慮して、
「手、繋ぐか……そのほうが安全だろ……別に、嫌なら――」
間も無く差し出した手がぎゅっと握られた。柔らかく、小さな手が溶け込むように、吸い付くように、握ってきた。細いくせに柔らかい。
熱いのは多分、この気候のせいだ。手が次第にジメジメするのも多分、この気候のせいだ。
それから二人は羞恥心に焦がれ、緊張にぎこちなく手をつなぎ歩いた。足は止まり、喧騒の原因を横目にする。
本当にゲーセンなんかでいいのか。そう思うも右左、前方にカップルが多いので多分大丈夫なのだろうと思う。むしろ定番なまである。
入店し、店内を興味深く見渡す鴻崎。
「何かいいものあったか?」
「……あれなんかは?」
「……プリクラか」
鴻崎はしばし俯きながら袖を引く。そして何も言わない羽知の反応を確かめるべく上目遣いに見てくる。そんな顔をされてしまえば羞恥を払い、欣然と赴こう。
暖簾の要領で仕切りを払い、プリクラの箱に入る。そうしてしまえば簡易的な個室になる。カーテンを閉めて二人はぎこちなく、見合う。すぐさまレンズを見る。
「ここにカメラあるんだな」と、意味もなくレンズに指を向ける。
「そう、なんだね……これ、どうやって撮るの?」
「あぁ、まぁ、とりあえずお金入れないと」
二人の雰囲気はもはや証明写真を撮るときのそれだった。ここに慣れている人物が一人いれば全く違ったのだろうが、撮った写真のコマ割りを見て思わず苦笑が漏れる。
「なんか、証明写真に使えそうだね」
「だな……もう一回、撮るか……今度は、ちゃんと……」
「ちゃん……と?」
「ちゃんと、こんな感じに……」
ネットで拾ってきた画像を見せると鴻崎は顔を赤くした。一、二度周囲の温度が高くなった気がしなくもない。
「もうすこし、こっち……」
「でも、そんなに近いと……――ッ⁉」
「よく言うよ、保健室で大胆に寄って来たくせに」
「あ、あれは! あれは……だってほら、背中だったし、それに……なんていうか、そういう雰囲気で……」
「ま、いいから……」
「うん…………誠也君、鼓動すごい……」
「聞いてくれるなよ……恥ずかしいんだから」
改めて表示された画像は目も当てられない恥ずかしさがあった。
――何馬鹿なことしてんだろうな、俺たち。
思わず愛おしく口元を緩めてしまう。
18:00――
気が付けばもう晩御飯の時間になっていた。
適当に寄ったカラオケで時間をつぶしていた二人は電車に揺られ、自宅最寄り駅に帰る。
心なしか席での距離は肩を触れさせるほど近いものとなっていた。
「晩御飯、食っていくか?」
「んーちょっと一度、家に帰らないとわからない」
「じゃ、これそうだったら連絡してくれ、そうしたら迎えに行くから」
「うん、ありがとう。今日とても楽しかった……これ、大切にする」
これ、とは今日撮ったやつのこと。鴻崎は恥ずかしそうにそうに笑って見せた。
――やっぱり、今日行けそうにない、ごめんね
鴻崎は結局来なかった。




