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十六話 『性格』

 翌朝。


 今日も飽き足らず、どんよりと色の濃い雲は雨を降らせた。もはやそれは恵ではなく禍を齎しそうだ。そして今、毎日のことだが低気圧にやられ元気もない。けれど学校には行かないといけないと調教されている故休むということを罪に感じる。


 ぱっぱと身支度を済ませ、朝食にしようとキッチンに立つ。


「あ、マジかよ。米炊き忘れてんじゃん」


 後頭部に手を当て、食パンに手を伸ばす。これはつい先週買ったばかり、だというのに二日ほど消費期限が過ぎている。特に気にせずトースターで焼き、四角く切ったバターをのっけて食べた。当然腹が満ちるわけもない。


「珍しいな、学校で朝ごはんとは」


 と相田がコンビニおにぎりに噛り付く羽知に言う。ちなみに具は塩鮭。程よい塩加減で活力が満ちる。


「俺としたことが疲れすぎて炊飯器セットするのすら忘れていたらしい」


「軟弱だなーそんなんで就職したらどうすんだよ、残業」


「残業がないところを選ぶよ」


 衣替えを済ませ、涼し気な半袖シャツ姿の相田はカバンを机に置き、適当なお菓子を取り出す。個包装でおやつとして優秀。


「飴やるよ」


 個包装の絵柄に眉根を寄せる。


「おっ、さんきゅ。んでこれ、何味?」


「食ってみりゃわかる」


 カバンからのぞく超酸っぱい系の飴。食後の口直しに食べたら最後。湧き出る唾液。


 悶絶するその様を見て相田は抑えられんと馬鹿笑い。


「なぁ、それもう二個、貰ってもいいか」


「お、なんだハマったか?」


「わけない」


 飴はポケットに仕舞った。


「飴、食べるか?」


「……これ、酸っぱいやつでしょ、私、この前酸っぱいの嫌いって言わなかったっけ」


 同じく夏服に移行した鴻崎が眉根を寄せる。怪訝だというのにその顔には愛嬌がある。


 ちなみに鴻崎はやはり露出が好きではなく、黒のカーディガンを着ている。


「まぁ、食ってみないとわからん…………いや、俺も食べるから」


 心底嫌そうな顔をしながらも、


「誠也君も食べるなら、まぁ……食べる」


「じゃ、せーので」


「「せーの……」」


 鴻崎は酸味が沁みると頬を押え俯き、足をバタバタと動かす。口に転がすたびに電流が走る。


「すーっぱィ! 私酸っぱいの嫌いッ」


「かわいいな」


「え?」


 昼食時、喧騒に満ちた教室は一瞬にして静謐。ガタンと椅子が倒れる盛大な音が背後から響き、「いちゃつきやがって」とかそんな怨嗟の声を、そばだてた耳が拾う。


 先ほどまで壮絶な酸味に身じろいでいた鴻崎はそんなことも忘れ、何度も瞬き。ズレたメガネの位置を調整。そして次第に顔を紅に染めて、絞り出すような声で訊く。


「いま、なんて……」


「あー、いや。すっぱいな、って言おうとして……」


 言っていながら無理。と自覚する。助けを求めるように教室前方、黒板の上、スピーカの右横にかけられたアナログ時計を見る。まだ五分もあった。時間を言い訳に教室に逃げ帰るのは不自然だった。


「メガネ……かわいいよね……」


 その言葉を発した瞬間周囲の視線が落胆に変わる。そんな目で見るな。そう心の中で訴えた。


「あ、あぁ。メガネか……うん、かわいいかはわからないけど気に入ってるの」


「あぁ。うん。似合ってるよ。鴻崎って、視力どのくらいなの?」


「0.5くらいかな、眼鏡外しても見えないことはないけど、この距離だと黒板の文字は微妙」


 さらっと鴻崎はメガネを外し、黒板のほうを見て、すぐにかけなおした。メガネを取ったその表情、横顔は理性の制御系を暴走させるに十分足りうる。


「……な、なに、そんなじっとみて……やめてよ」


 鴻崎は顔を赤く染め、両手で視線をカット。


 あっという間に残り二分。そろそろご退場しようと羽知は言った。


「あ、ごめん……。そろそろ、時間だから、俺教室戻る」


「もうそんな時間か。うん、そうだね、じゃ」


 教室に戻り相田が小突き、


「ったく、意気地ねぇ男だ。そんなんだと別の男子にとられっぞ?」


「ないだろ、どうせ、付き合っても数日で別れるだろ」


「ま、そうだな。だからってのんびりしてるとあきられるぞ?」


「それはありえそうだな……」


 しけた面を浮かべると相田は羽知に胸に拳を押し付けた。


 相田は別に悪い奴じゃない、そう心の中で塗り変えた。けれど苦手だ。


 それから放課後。いつも通り教室でだべり、適当に帰りだすころ。一組を覗くと鴻崎が掃除をしていた。その様子を見た相田が羽知の背を強く突き飛ばした。俺でなきゃ転んじゃうね。


「何ッすんだよ!」


「じゃぁな」


 相田は男子達とニヒニヒ笑いながらつるんで帰った。羽知の両足は教室の床を踏み込んでいた。一組の教室に残っていた生徒からは変な目を向けられる。


 ――これではまるで俺が変人みたいじゃないか。


 視線を窓際のほうに向けると鴻崎が居た。彼女はよくみせる「あ」という間の抜けた顔をしていた。おそらく驚いているのだろう。


「よう。掃除? 今日に日直だったのか。手伝おうか」


「うんう、ちょうど終わったところ」


 羽知は黒板の「日直」のところに目を向ける。けれどすでに明日の生徒の名前に変わっていた。


「もう日直の仕事は終わりか?」


「あとは日誌を書くだけ…………誠也君、帰らなくていいの?」


「別に、今すぐ帰りたい理由なんてないし」


「じゃぁさ、その、一緒に帰らない? 別に、嫌だったら……」


「いいよ、帰ろう。じゃ、さっさと日誌書いちゃえよ」


「適当じゃダメだから」


「真面目なんだな……」


 毎回「楽しかった」「つまらなかった」「寝ていた」とか適当に一言で終わらせている羽知は後ろも見たくない。


 鴻崎の前の席に座り、終わるのを待つことにした。カリカリシュッサとシャーペンが紙をなぞる音が弱い雨音と二人だけの、自然光だけの暗い教室に響く。ちなみに残っていた生徒は気を遣ってはけてくれた。


 最後に見直して不備がない事を確認して閉じ、それは教卓の横のフックにかけておく。


「じゃ、帰るか」


「うん、帰ろう」


 傘を広げ、雨の中を二人は歩き出した。


 傘がぶつからないように、横に広がって通行人の邪魔にならないように、二人の距離は近くはない。そんなこともあり会話はほとんどない。ようやく広がっても多少は許される道に入り、羽知は歩幅を狭め、鴻崎を待つ。歩道側を歩かせる。


「家よってくか?」


「うんう、今日は大丈夫。それに毎日のように行ったら迷惑でしょ?」


「別に毎日来てるわけじゃないだろ。あと、気にすんな。鴻崎が家に来て迷惑なんて思ったことは一度もないからさ」


「ありがとう、誠也君。優しいね、本当に」


「別に優しくなんてねぇよ。普通のことだろ」


「みんな、誠也君みたいだったらいいのにね」


「本当に実現したら世の中は暗澹だな」


「そうかな。私はそうは思わない。だって、誠也君は私と仲良くしてくれるでしょ? 優しい人、って決めつけるには十分だよ」


「そっか……」


 普段、鴻崎と別れる道。足を止める。


「じゃ、私こっちだから」


「おう。また明日な」


「うん、じゃあねまた明日」


 鴻崎と別れ、しばらく立ち止まる。何を考えたのか傘を閉じ、雨を浴びた。顔を上に向け、雲を仰いだ。降り注ぐ雨の中を逆行するような気分になる。ふいに頬を伝う温い涙が混ざり合う。冷たい雨、けれど体は冷やされるどころか芯は熱を増し、熱くなっていく。


「優しい? 俺が……。……鴻崎……結菜がそうさせたんだよ……」


 ――お母さん。



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