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十一話 『天井の斑点と、心の種火』

 俺は人生で初めて――という訳でもないが『久しぶり』に告白された。


 その言葉を言い渡されるまでの短い、たった十秒程度で鼓動は張り裂ける限界に達す。キリキリ痛む。耐え難い痛み。思わず強く歯噛みした。けれどその脈動は短く、「好き」と言われ渚の波が引く様に不気味な程冷却される。

 

 心なしか体の芯が冷たい。

 

 波が引けばまた押し寄せるが、その兆候はなかったのは多分、腑に落ちたからだろう。

 

 羽知の心に燻っていた不明瞭な感情に鴻崎が名前を付けたようなものだ。

 

 燻り滾ろうとしていた火種は消沈した。張り詰めたズボンも次第に緩くなる。


 羽知は心落ち着かせ平静を保ち、エサを待つ魚のように顎を上げる。目は天井の意味不明で不気味な斑点を捉える。


「……好き、俺のことを……?」


 けれど声に困惑が色濃く乗ってしまう。そんな格好悪さ。


 鴻崎はぐにぐにと背に顔を、溶けいる猫のようにくっつけ、体の芯に伝える。


「…………うん」


 腕の力は変わらず。そのままホラー映画のように吸収されてしまうのではないか。けれど一分も経てば少し緩んだ。接触面に体温が濃く移る。心地よい。


 鴻崎の言う「好き」という好意の言葉にどんな言葉を返すのが正解か、頭ではわかっていた。けれどそれを言うには少しばかり喉にチクリ、キツイ突っかかりを覚えた。


 少なくとも羽知は、「鴻崎が俺のことを好きかもしれない」と仄かに身構えていた。こればかりは相田のでたらめな揶揄のおかげ。


 本番に弱いタイプの人間はいざその状況に陥れば言葉を失う。今の羽知はまさにそれ。血色悪く倒れないだけマシだ。


 前提として羽知は鴻崎のことを嫌いじゃない。変な奴とは思うが、嫌じゃない。


 沈黙に約十分が費やされた。そろそろと羽知は言葉を吐く。


「……俺は、鴻崎を何も知らない。俺はこう見えても臆病者だし思慮深い。もっと、鴻崎を知ってからでも遅くはないだろ。付き合うのは」


 それっぽく臆病に、でたらめを並べて、自分の答えを見失ったことの言い訳を思い連ねる。


 鴻崎は細い腕を動かし、羽知のへそ辺り、腰辺りで落ち着く。手の熱がしっかりと腹に伝わる。鴻崎は落ち着いた口調で言った。


「別に、付き合ってほしいわけじゃないよ。ただ、私が誠也君を想っているっていうことを知ってもらいたいだけ。素直な私の気持ちだから」


 鴻崎は言いながら抱く力を少し強め、顔を埋め、耳を塞いでも響くように言った。


「私のことを知って、誠也君は変わらず付き合ってくれる? ほかの人みたいに、面倒くさいとか、思わない? きっと思うよ、離れるよ」


 この「付き合って」はおそらく、友達として、とかそういう事だろう。


 尻窄みな語調。けれど体に直接、骨を伝って、波紋のように響く言葉は幾分強く感じた。


 羽知は自信なく、けれど心中悟られないように低く強く言った。


「そんなこと、聞いてみないとわかるわけない」


「なら、言わないよ。私、誠也君が好きだから。言ったらみんなと同じように離れちゃうから。少しでもその可能性があるなら、私には言えないよ」


 甘えるような声音が纏わりつく。内臓に一言一言絡まる。かわいい動物の嬌声ともとれる。その声がまた羽知の、消火した薪に種火を宿す。そして感情が燻る。


「…………かも、しれないな……」


「そうだよ。みんな、そうだよ。私って面倒だから」


 その言葉に羽知は否定を示さない。肯定も示さない。けれど沈黙が肯定と受け取られる。


 特に学生なんかはそういう重たい人とか、暗い人とか、見る分には面白い人とかを友達に、ましてや恋人になどにしたいと思いもしない。


 かわいいけれど中身が悪ければ結局すぐ破局する。学生ならではの事象。


 一緒に居て明るくなれる、楽しくなれる。そういう人を本能的に求める。


 当然羽知もそうだ。面倒の相手など御免だ。そう思っている自分が居るからこそ、この感情がいきり立ても、その答えを安易に口に出すのが拒まれた。


 頭は正直で冷静だった、体も正直だった。


 きっと大人になればそもそもそういった人種を嫌厭するだろう。そういう本能があるからこそ、「いま付き合ったところで改善しない限り長続きはしないのだろうな」と、羽知は漠然と心の中で思う。


 そんな側面も愛せてこその付き合いなのだろう。けれど今の羽知には選べない。


 鴻崎とはせいぜい、友達どまりの、あるいはその少し進んだ友達以上恋人未満、そういう関係性が最もストレスがないかもしれない。相手の好意を無碍にする下種の所業。


 結局その後、体育に戻ることはなかった。


 授業が終わる少し前に更衣室へと向かい着替えを済ませた。


 教室で揶揄われたのは言うまでもなかった。


「おいおい、なんで戻ってこなかったんだぁ~? 女子も噂してたぜ? 『できてんじゃないか』ってな。二つの意味で」


 相田は椅子に浅く腰を下ろし、ツンツンとコンビニおでんを突く要領で突いてくる。その指を圧し折ってやろうかと画策を提案するが理性に棄却された。底なしのウザさにうんざりとしながら羽知は言った。


「なんなんだよ、二つの意味、って。それにできてねぇし。何? コイバナに餓え過ぎなんじゃない? お前らって。あ、お年頃の盛りの付いたサルか」


「んで? 本当に何してたんだよ。いくら何でも三十分は長すぎだぜ?」


「はぁ……そんなことを気にするより先にテスト勉強の心配しろ」


 相田は露骨に振られたくない話題に眉を吊り上げ、椅子に深く座りなおした。


「お前はしてんのかよ、テスト勉強」


「学校に来てる、それが一番の勉強だろ?」


「それで点が取れたら苦労はせんな。せっかくだし、勝負しようぜ」


 勝負内容は簡単、合計点数が高かった方の言うことを聞く。何を聞くのか最初に決めておくことにした。羽知は相田が稼いだ金額の半分を頂く。相田は「これからも友達でいてくれ」。ふざけて言っているのか、あるいは相当な裏があるのか。わかりかねるがとりあえずお互い承諾。


 梅雨の気配も近づき、テストも目前に。低気圧に圧し潰されそうだ。


「そういや誠也お前、今週の土日、シフト入ってるよな」


「は?」


「いや、は? じゃなくて、今週末テストだろ。テストサボんの?」


「…………クソが……」


 相田に憤りをぶつけるのはさすがに理不尽極まりない。これは羽知の失態だ。


 時間を確認し、店長の携帯に電話。店の電話だとなかなか出ない人だ。電話越しに頭を下げる、という無意味な行為を経て。


「店長なんだって?」


「『テストなら仕方ないね』って代わりに相田を推薦しといてやったよ」


「――勝ちたいからってそれはねぇッ⁉」


 相田の抗議に羽知は割と真面目な顔で言った。


「冗談」


 それから相も変わらず真面目に退屈なテスト前授業を受け、お昼。


 相田はパンを買うために教室を出て行った。取り置きしている故ほかの生徒のように走る必要はなくのんびりと歩く余裕の風格。


 羽知は一時間目の事もあり、頭に鴻崎を思い浮かべながら弁当を広げる。弁当箱にはコンビニで買ってきた総菜を詰めただけ。ポテトサラダとか、焼きサバとか、ハンバーグとかそういうの。好きなものしか食べたくないので栄養面のバランスは後回し。考え物だ。


 ――鴻崎、ちゃんと飯食ってんだよな……。


 抱きしめられた時のその痩身を思い出す。平均より些か細すぎる気がした。


 一口サイズに切ったハンバーグでご飯三口。その調子で食べると大体おかずが残る。弁当のさめた少し冷たいご飯は嫌いじゃない。


 しばらくして戻ってきた相田が羽知の机にポイっと放った。羽知は怪訝に眉根を寄せながらもそれが何か、手に取り白い包みを少し捲ると現れる緑の塊、メロンパン。


 羽知が胡乱な眼差しを向けると相田は軽く微笑み、


「やるよ」


 羽知は「毒入り」などありえないだろうが、と思いながらも疑い気に見る。


「なにそれ、優しすぎて怖い。毒入り? それとも激辛なやつか。ロシアンメロンパン」


「おいおい、人のご好意を疑うとはいただけんなぁ。甘いのがお好きだろ?」


「まぁいいや、ありがたく頂こう」


 夜食にでもしようかとカバンに仕舞う。


「なぁ相田。鴻崎のこと何か知ってるか」


「なんか、ってなんだよ」


「なんでもいい、知ってること」


「付き合った男子が続かずすぐ別れる理由、とかか?」


 相田は双眸を細め、羽知を見据える。そのニヒルな瞳の意図はしらず、羽知は不思議と後ろめたくも、コクリ頷いた。


 ――詮索されるのは好きじゃない。脳裡に克明に染み付いていた鴻崎の表情と音声が鮮明に浮かびあがる。後ろめたさを確り胸に抱える。


 相田は睨んだ顔を緩め、肩を下げた。そして一口カレーパンを咀嚼し、それを牛乳で流し込み言った。


「お前ら仲いいんじゃねぇの? 自分で聞けばいいんじゃね?」


「詮索するな、って言われてんの。そういうの嫌いなんだってさ」


 そう聞くと相田は腕を組み瞑目する。


「んなら、教えられんな。『嫌い』って言ったんだろ? 聞かれるの」


「本当は何も知らないんだろ?」


 相田は心外だと組んだ腕を解き、パンを持った手のほうを向けてくる。


「いいや、少なくともお前が知らない、調べても見つからないような話は持ってるつもりだぜ。何せ俺は顔が広いからなッ!」


 相田は前髪をかきあげ、額を見せる。そしてキメ顔。これはアレの合図。


「確かにそうかもな。鴻崎にとって聞かれたくない話なんだろうしな。嫌がらせしてんのと変わらねぇよな。変なこと聞いた。忘れろ――ッと」


 人間そう簡単に忘れることはない。物理的ショックを与えなければいけない。そのむき出しの額に強烈なデコピンをかました。


「――ッてぇなッ! ま、お前ってなんやかんや面倒見のいいやつだし、鴻崎との相性はよさそうだな」


「勝手に見定めんな。見込み違いも甚だしい――ぞッ」


 二度目のデコピンをかました。相田は死に際の敵みたいな大袈裟なリアクションで椅子から落ちた。スタントマン顔負けだ。



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