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一話 『夜、彼女は街灯の下に』

「何やってんの、鴻崎」


 都会の沈まぬ明かりに少し靄が纏う、雲のない夜空の下。今宵は少し肌寒く、気温は二十度を下る。五月上旬。


 スマホの液晶が視覚に知らせる時刻は、


 22:12――


 随分と遅い時間。頼りない一本の白色街灯が照らす小さな、公園の二人掛けベンチ。そこに一人、見覚えのある彼女の顔が生気なくその時空に取り残されていた。


 その瞬間、彼の心はかつてない痛みを伴った。


 羽知・誠也。俺が目を覚ましたのはマンション五階の角部屋、玄関ドアを蹴破り一番手前のドアを引いた部屋。「親は『仕事の都合』家を空けている」と周りには言っている。もう長い事声も顔も見ていない。今では朦朧とした記憶の断片に過ぎない。


 けれどそれは昨夜の出会いをきっかけに、次第に明瞭度を上げだした。


 羽知は高校生になって、バイトを始めた。二か月も経てば慣れ、退屈を感じ始めた。


 そんな羽知は疲れ果て、息絶えたようにカーペットに倒れ寝ていた。


 ちなみにバイトはコンビニ。


 あくびを一つ。寝相が悪かったのかはたまた寝場所が悪いのか痛む体を、哺乳類然とした四つん這いから人間らしい二足歩行の形態へ移行。


 後頭部を掻きながら眇めた目がスマホを睨む。


 06:32――


 スマホは手品よろしくするり手をすり抜けて足元のラグに落ちる。それを拾うでもなく後にして洗面所へ向かう。昨夜、風呂を入り忘れたせいで気分が非常に悪い。そのことが表情に表れていた。政治を恨み、国を恨み、世界を恨んでいる顔だ。が実際そんなことはなく、ただ寝起きだからそんな顔なだけである。億劫だ。


 スラックスを脱ぎ――身にまとっていたものをすべて洗濯機に放り、眠気を熱いシャワーで洗い落とす。体には悪いだろうが直そうにも今更。これが朝のルーチン。


 同時に歯磨きまで済ませた。


 髪を雑に拭い、ドライヤーで雑に乾かし、保湿クリームを適量顔面に塗り込み、ヘアワックスで適当に髪を整えた。最低限のマナーを済ませ、着替えつつ朝食を考える。


 いつだか作り置いた味付けゆで卵をそのまま頬張り、テレビをつけた。


 今日は晴れらしい。しばらく晴れが続きそうだ。そういうことをアナウンサーが嬉々と言う。いつも嬉々としているが……


 晴れはうれしい、曇りあるいは雨の時は低気圧で気力が削がれ、鬱になる。


 ゆで卵二つ目に手を伸ばそうとしたとき、ふと脳内にノイズが走った。何かとても気になっていた内容が何なのかもやもやと思い出せない。そういう不快感。


 多分どうでもいいことだろう。とんでもなく他人事だった気がする。


 パクパクと二口でゆで卵を胃に押し込む。腹は満たされないが別に頭を使うようなことはなく、困るようなこともない。適当に個包装のチョコをつまみ、昨日炊いたご飯を塩むすびに食べ、番組が変わり、デジタル時計が八時を指したと同時にテレビを消し、家を出た。


 羽知・誠也が通う公立の学校には訳あり生徒が居た。よそが口を挟むことでもなければ、よそが介入しなければいけない、そういう家庭事情の生徒。その中でも噂に上がるのは一組の女子生徒。鴻崎・結菜。ものおとなしいといった雰囲気。フレームの薄い黒縁眼鏡を愛用し、繊細な繊維のような黒いロングヘア、高くスッと通る鼻梁、整った二重、微かに色の薄い双眸の見てくれは悪くない。それ故に初めのころは色恋沙汰に現を抜かす女子より乙女な男子が告白したりした。が二日と経たず別れ、口をそろえ、「あいつヤベェから」という。


 詳しくは言わないのがせめてもの優しさだろう。それとも言えないのか。


 けれどまぁ恋愛面は置いておいて鴻崎の学業面は優秀だ。ただし体育などの授業は不得意なのか上下長ジャージで見学している姿をよく見る。


 羽知からすれば謎多き女生徒だ。多分他の生徒も同様に「謎」と思っているだろう。


 羽知はそんな彼女、鴻崎と言葉を交わしたことがない。別に進んで話しかけようとも思わない。噂に聞くからどんなものなのだろうと少しだけ気になる。


 

 けれど或る日を境に、羽知は彼女を見るたびに歯の浮くような感覚に襲われるようになった。

 

 俺にとって鴻崎は『見る分には良い異性』という印象。

 

 ミステリアスな魅力など俺にはわからない。だから同時に、


『関わりたくない異性』でもあった。


 けれどそんな鴻崎と会話を交わす機会があった。それはバイトの帰り道のこと――


 シンと静まり返った住宅街にポツンと残る小さな寂れた公園。そこは避難所に指定されている場所だ。様々な苦情により、遊具の一切が排除された、このご時世を反映した広場。


 隅にある一本の街灯が寂れに拍車をかける。


 その下。雨、風、陽で白く色あせた水色のベンチに腰を掛ける彼女の姿。疲れた目を眇めると、それが鴻崎・結菜であることが分かった。長い髪、線の細い身体。像が結びつく。


 羽知は悩むときの癖で頭を軽く掻き、現在時刻を確認して声をかけると気持ちを固めた。目の前で困っている人間を放っておけない性分だ。


「何やってんの、鴻崎」


 応答はなく。当然だと羽知は声をかけてから気が付く。羽知は噂などで彼女を知っている。けれど残念な事に肝心の鴻崎が羽知の存在を認知していない。構うことなく、言葉を続けた。


「もう結構遅い時間だけど。帰んなくていいわけ? 親とか、心配すんじゃねぇの?」


 鴻崎の前に立ち、見下ろして言う。遠くからでは定かではないその闇に落ちた顔が、近くで、それも見下ろしてときたらもう面を上げてくれなければわからない。


 声に若干の苛立ちが乗る。


「そんなんだから学校でも好奇の目向けられんだ」


 ようやく羽知が同じ学校の生徒だと察して面を上げた。街灯の光を一面に浴びた肌の血色は悪く死人みたいだ。白色を返した薄いレンズの向こうに構える乾いた瞳が不気味に瞬く。数回の瞬きを経て潤いを戻し、胡乱。


「……私に、何か…………」


 それはわずかな怯えを孕んだ声だった。動き出した時を思わせるように湿った風が間を吹き抜けた。


「……もう結構遅い時間だけど、帰んなくていいわけ? あぶねぇだろ」

「危ない?」

「女子が一人、こんな場所にいたら危ないだろ、ってこと」


 別に治安が悪いわけではない。けれどこんな時間、公園に一人というのは些か不安だ。見逃すのは未必の故意。


「危ない……」


「そう、危ない」


 すると鴻崎は口を引き結んで視線を落とし、


「……安全な場所なんて、あるんですか……」


 靄のかかった空よりも暗い、底のない瞳の深淵。耳朶を打つ冷たく硬い声が羽知の顔を険しいものへと変える。


「ここよりもよっぽど、家のほうが安全だろ」


 次は乾いたように諦めを内包した苦笑を漏らす。そのひどく不気味な態度に羽知は付き合った男子が言う台詞を思い出す。


「とにかくさ、早く帰んな。遅かれ早かれ、気にした住民が警察とかに通報するかもしれねぇよ?」


「この際……それも、いいかもね」


 無性に腹が立った。


 こんな女のために費やす時間などない。けれどそれが知っている顔ときたらそうはいかないのが心情。親しくはないけれど、殺されてしまったり、事件に巻き込まれたりという話を聞けば実質、見過ごした俺が加担したも同義。酷く後味の悪い結果を浮かべる。けれどそれ以上に、不鮮明な感情が心に波を立てる。


 羽知は深くため息をつき、鴻崎の隣に腰を下ろした。


「あのさ、親と喧嘩でもした? それでいづらくなって、家出紛いなことしてんの?」


 視線を隣に流す。鴻崎は驚きと警戒を孕んだ視線を返した。細い眉根を寄せ、皺とは無縁そうな眉間に深く皺を刻む。確かに、親しくない男子が隣に腰を下ろしたらそういう反応を示すだろう。けれど二人掛けのベンチでそれ以上離れることは叶わない。こぶし二個分程度の距離。


「……あなたには関係のない事では? 正直なところ、あまりそうぐいぐいと来られると……気分が悪くなるんです」


「鴻崎がさっさと家に帰らないのが悪いんだろ。自業自得。とりあえずなんでこんな時間に公園にいるんだよ」


「……だから、あなたには関係ないと――」


「言ってくれねぇと俺も帰れねぇ」


 時間にして十秒。一……二……三とカウントするととても長く感じられる時間、二人は顔を合わせた。先に目を逸らしたのは鴻崎だった。とても不快そうな顔で。空嘔吐き。


 ただ、再び見合わせた顔はより一層血の気を引いた。唇を思わず小さく開き、すぐさま固く引き結んだ。その双眸を闇に落とし、本能が絞り出せと発した言葉が羽知の耳朶を打つ。おそらく本人すら自覚していない本心の声だったのだろう。だからこそ、生意気なガキでしかない羽知は動きを止めた。あまりにもその言葉は重かった。


「探したよ、結菜」


 背後から圧し掛かる低い大人の声。羽知は声を出さず、ただ潜めていた。「彼は?」的な言葉を感じたが、それに反応した覚えはない。


 目の前が明るくなったのは、鴻崎がいなくなったから。


 規則的な足音が遠く、アスファルトを踏むものに変わり。空を見上げた。


「そっか……鴻崎って……」


 何を意味しての言葉なのかは羽知にもわからない。なんとなくつぶやいてみたかった。


 軽く言葉を交わしてもすぐに別れる理由の一端すら見つからなかった。けれどただ、今も鮮烈に焼き付けられた「助けて」というか細い消入り誰にも届かない言葉が、鴻崎と言葉を交わしたことに対する後悔を羽知に抱かせた。


 異変が生じたのはそれから一時間ほど過ぎての事だった。


初めまして、H.Mireiです。

今作は勉強の合間に書いています、更新頻度は未定です。

好みであれば今作もお付き合いよろしくお願いします。

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