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第85話~飲み比べ~

~新宿・歌舞伎町~

~「陽羽南(ひばな)」歌舞伎町店~



 結果として、あんなにも長い時間がかかって準備を整えたのに、新店舗「陽羽南」リリン通り店の新規開店は、何のトラブルも際立ったイベントもなく幕を閉じた。

 せいぜい、冒険者ギルドのトップと商人ギルドのトップが店内で鉢合わせて、何やら妙な空気が流れただけだった、とはアランナの言である。

 店のオーナーとしてはこれほどホッとすることもない。事故なく営業できるのが一番だ。とはいえ、全く何事もない、というのも若干肩透かし感がある。

 そこから一日、二日、と日が経つにつれ、地球(アース)仕込みの料理や食材、酒の珍しさが一般市民の目にも留まるようになり、客足の鈍る日もなく、今日を迎えている。

 (ホール)から戻ってきて歌舞伎町店のキッチンに立ちながら、僕は目の前のカウンター席で姉のジーナが日本酒を飲みつつローズビートのピクルスをかじっているのを、のんびりと眺めていた。


「はー。やっぱいいわ、ここのゴハン。酒も」


 満足そうに料理に舌鼓を打ちながら、ジーナはまた日本酒の入ったおちょこを傾けた。今日飲んでいるのは佐賀の鍋島(なべしま)のひやおろし、ハーベストムーン。しっとりとした旨味が広がる中に、ローズビートの酸味がよく調和することだろう。

 酒も進んでいる様子のジーナが、ちら、と(ホール)に目をやる。


「エティちゃんの姿が見えないのはアレだけど、ま、『あっち』で元気にやってんでしょ? マウロ」

「そうだな」


 その言葉に、僕は目を細めながら返す。決して今カットしているタマネギで、目がしみたわけではない。

 エティ・ジスクールがこの東京から旅立っていって、こちら側ではおよそ10日ほど。彼女のいない店内風景にも慣れてきて、他の面々も普段通りに働いてくれているけれど、やはり時折、思い出す時はあるものだ。

 リリン通り店で調理に携わるようになってから、彼女の料理の腕はめきめきと上達した。元々冒険者ギルドの酒場でも仕事をしていた身、料理の基礎は身についていたようで。今では立派な料理人である。

 彼女の名前が出たのが聞こえたか、パスティータが空のジョッキをキッチンに運びながら笑う。


「たまにこっちにも顔出すけれど、元気そうだよね。こないだ司祭様がお店に来たんでしょ」

「らしいよ、お酒は飲まずに楽しんだらしい」


 彼女の軽口に言葉を返しつつ、僕は秋鮭の切り身に包丁を入れていった。

 今日のイチオシメニューは秋鮭のホイル蒸し、ペペルの実の刺激がいいアクセントと評判の品だ。僕の(ホール)があるおかげでシュマル産の食材を仕入れるのも大変にやりやすい。

 ジスクール司祭もリリン通り店には顔を出したそうだが、やはり聖職者。酒を飲むことなく料理とジンジャーエールで楽しまれたとか。ちなみに司祭お気に入りのジンジャーエール、シロップはエティのお手製だ。

 僕の話に満足そうにうなずきながら、ジーナはにやりと口角を持ち上げた。


「で、どうよ。あっちの様子は」


 その問いに、僕もうっすら笑みを浮かべる。そして鮭とタマネギにミルでペペルの実を挽きながら、ゆったりと答えた。


「いい調子らしいよ。開店から――今日で二週間か。だいぶお客さんも入るようになったし、冒険者ギルドと商人ギルド、両方の覚えがいいからね。順調な滑り出しってところ」


 そう、順調だ。今日にお邪魔した際にミラセルマに帳簿を見せてもらったが、想定よりも客の入りがいい。

 チェルパの通貨は日本円に比べると若干価値が下がり、また市民の平均月収もそれなりだから、売上も利益も日本国内と比べたらだいぶ下がるが、そもそもが挑戦なのだ。利益を出しているだけ有り難いというくらいである。

 僕の言葉に満足したらしいジーナが、おちょこをぐいと干しながら息を吐く。そこから流れるように水のグラスを手に取る姉も、よくよく酒の飲み方が堂に入ってきたものだ。


「まー、そうか。アグロの米酒も入れてるんでしょ? それで地球産の日本酒も出して飲み比べってわけで。いいわーあたしもやりに行きたい」


 そう言葉を吐いたジーナがおちょこに酒を注ごうとするも、満たすには少々足りない。いつの間にやら徳利は空っぽだ。

 む、と口をとがらせるジーナに、僕は笑いながら『それ』を彼女の目の前に置いた。


「やればいいじゃないか。はい」

「え?」


 出されたものを見て、ジーナの目が丸くなる。

 不意に目の前に出てきたのは盆の上に二つ並んだガラス製のぐい呑みだ。片方の酒は白く綺麗に透き通り、もう一つはうっすらと黄色みがかっている。

 しかし立ち上る香りは、風合いこそ違うがどちらも芳醇だ。目を丸くしたまま僕を見るジーナに、笑いかけながら僕は用意していた()を出した。


「飲み比べ。宮城の一ノ蔵(イチノクラ)純米 たなごころと、アグロのウチ県で造られた米ノ屋(マイノヤ)純米。それぞれ50mlずつで税込み980円。他にも2つ、飲み比べメニューがあるよ」


 一升瓶を二本、ジーナの前に出して見せながら僕は笑った。

 そう、チェルパにもなんだかんだ、米で造られた日本酒らしい酒があるのは知っての通り。米酒(まいしゅ)と呼ばれるその酒は好事家の間では有名で、もちろんリリン通り店でも提供している。

 その提供されている米酒を地球に輸出することに、この度成功したのだ。今でこそ個人輸入の範疇で仕入れる量も多くはないが、走り出したのをいいことに僕が企画したのが、日本国内の日本酒との飲み比べセットだ。

 目の前に出された日本酒と米酒のぐい呑みを持ち上げながら、ジーナが感心の息を吐き出す。


「はー、おっどろいた。あっちの米酒も入荷したの、あんた」

「向こうで飲んでみたらなかなか美味しかったからね、社長や瀧さんにも飲んでもらったら好評で、おとといから仕入れることにしたんだ」


 感心しきりでちびちびそれぞれの酒を飲み始めるジーナを見つつ、僕はついでに飲み比べセットのメニューを出してみせた。全部で三種類あるメニューは手書きで簡素ながら、分かりやすさを重視している。

 この飲み比べセット、やり始めてみたらこれがなかなか好評で、特にマルチェッロやらの日本酒飲みにウケがいい。普段絶対に飲むことのできない銘柄とあって、都外の人が来店するきっかけにもなっているようだ。

 ジーナの横では件のマルチェッロが、飲み比べセット3つ目、一番高級な純米大吟醸の飲み比べを楽しみながら顔をとろけさせていた。というかウロコの向こうに見える頬がまあ赤い。


「いやぁ、何とも美味しいですねぇチェルパ産のお酒。三種類とも飲ませていただきましたが、大変に興味深い」

「うわ」

「お楽しみいただいてるのはいいですけどクズマーノさん、ちゃんと自力で帰ってくださいよ。こないだも御苑さんに抱えてもらっての退店だったでしょう」


 あまりにも明確に酔っているマルチェッロの姿に、ジーナがわりとガチに引いている。こればかりは常連客と言えども容赦できない、僕も小言が口から飛び出した。

 と、僕が出した名前に覚えがあったらしいジーナが、片方のぐい呑みを盆に置きながら言う。


「ミソノさんって、あの仏頂面した機械人(マキナ)の人でしょ。背の高い」

「そうそう。姉貴は来なかったっけ、先週末の結婚式」


 指をくるくる回しながら常連客の名前を出すジーナ。それにうなずいてしれっと『そのこと』を告げると、途端に彼女はきょとんとした顔になって動きを止めた。


「結婚式? 誰と誰のよ」


 眉間に少々のシワを浮かべながら言ってくるジーナ。と、そこに僕の後方から声をかけてくる人物がいた。


「私だよ、姉君」

「そう。シフェール、先週に御苑さんと結婚式挙げたんだ。もう籍も入れて名字が変わってる」


 僕の後方で黙々と料理を作っていたシフェールが、左手の薬指に光るシンプルな指輪を見せながらジーナへと告げる。そう、結婚指輪だ。

 シフェール・ユルツィガーはアシュトン フランシスカン 御苑と結婚してシフェール・御苑と相成った。結婚式はそれはもう大盛りあがり、養父母である御苑家の夫婦など、大粒の涙を流して大変だったのだ。

 そういえば確かに、ジーナには招待状も出さなければ、連絡もしていた記憶がない。そもそも連絡する義理もないので当然だが、今の今まで知らなかったらしい彼女は大仰に手を叩いている。


「はーーー、マジで。おめでとーーー」

「ほほぉ、そう言えば区民課の方々がちょろっと話されていたような。おめでとうございます!」


 隣を見れば、ますます顔を赤くしたマルチェッロも小さい手を全力でぱちぱち叩いている。何ともご機嫌だ。というか二人は区役所での手続きにあたって転移課にも行っているはずだが、何故知らないのだろうか。

 その話に割って入るように、料理を運んでいたアンバスが声をかけてくる。


「頑張れよシフェール、異種族間で子供作るってのは、結構な重労働だぞ」

「子供が作れると分かってから言え、馬鹿者」


 軽口を叩くアンバスにシフェールが言葉のナイフを投擲する。

 確かにそもそも、エルフと機械人(マキナ)。種族的な相性がだいぶよろしくない上に、この種族の組み合わせで子供が出来るのか、そもそも生殖能力がアシュトンにはあるのか、そこからの話だ。

 チェルパでも異種族カップルは珍しいものではないが、肉体構造的に生殖に適さない組み合わせというのは、どうしてもある。よしんば適していたとして、他種族の子供を妊娠するというのはだいぶ身体に負担がかかるとして、推奨されていないのが現実だ。

 それでも、二人が愛し合うなら、それが一番お互いにとっていい。


「まぁいいじゃんいいじゃん。幸せなのはいいことだ。さーて――」


 ジーナもそう言っていよいよ酒の飲み比べを、というところで、バシュンと音を立てて(ホール)から誰かが飛び出してくる。こんな音を立てて潜ってくるとは、よほど急いでいるようだが、果たして。


「マウロ!!」

「ん?」


 息を切らせて店内に飛び込んできたのは、小柄で、白い毛皮の、耳がピンと立ったウサギの獣人の少女。カーキ色の作務衣に身を包んだ彼女は――


「エティ?」

「どうしたの急に……あ、そうだそうだ。はいこれ、今日のお通し」


 そう、エティ・ジスクールだ。何事か、とやってきたパスティータも目を丸くするが、すぐにお通しの小鉢をトレイから一つ取って、エティに差し出した。

 僕の(ホール)の制限は「移動した先で一つでも何かしらの料理を食べないといけない」というもの。だから歌舞伎町店もリリン通り店も、さっと食べられるお通しを常備して、とっさの移動とすぐの帰還が出来るようにしているのだ。

 今日のお通しである鶏ささみのマスタードマヨ和えをさっと口に放り込み、咀嚼したエティが一瞬ホッとした顔になるも、すぐに首を振って僕へ声をかけた。


「あ、うん、いただきます……っと、そうだった、マウロ、ちょっとだけこっちに来る時間作れない? お姉さんも」

「え?」

「あたしも? なんで?」


 彼女の言葉に僕だけではない、ジーナも目を丸くした。

 僕が呼ばれることは珍しくはないが、ジーナも一緒にというのはありえない。彼女はあくまで、この店の客だからだ。

 二人して面食らっていると、エティは視線をあちこち彷徨わせてから、とんでもないことを言い出した。


「あの……ご両親(・・・)が……お二人のご両親が来てるの(・・・・・・・・)!!」

「は――」


 その声を発したのは、僕だったか、姉だったか。たぶん、二人揃って喉から悲痛な音が漏れただろう。

 僕と姉の両親。故郷のグレケット村で石工をしている父、家事に専念する母。

 その二人が。

 なんでか知らないが。

 「陽羽南」リリン通り店にいると。


「はぁっ!?」


 勤務中だと言うのに僕は素っ頓狂な声を上げるしかない。

 これは間違いなく一大事だ。そう確信した僕は、蒸し上がった鮭のホイル包みを急いで皿に開けるのだった。



~第86話へ~

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