第39話~9月1日~
~新宿・大久保~
~メゾン・リープ 203号室~
カーテンの隙間から、朝日が差し込んでくる。
残暑厳しい折。昨夜はうだるような暑さだったせいで、身体にかけていた薄いブランケットは、蹴落とされてフローリングの床に落ちている。
日本の夏は暑くて嫌になる。ただ暑いだけならまだしも、蒸し暑いのが最悪だ。僕のような、全身を被毛に覆われた獣人にはツラい。
「うーん……」
寝返りを打った僕は、うっすらと目を開けた。
枕元に置かれたデジタルの目覚まし時計を手に取って時間を見ると、液晶に表示された時刻は7時45分。ちょっと寝坊したか。
そして大きく表示された時刻の上、日時に視線を向けると、2018年9月1日。土曜日。
「そうか……今日から、9月か」
僕の「店長1日目」としての朝は、こうして始まった。
欠伸を噛み殺しながら1階の食堂に降りると、既に何人かの社員が朝食を取っていた。
土曜日ということもあり、平日よりも寝起きが遅くなっている社員も幾らかはいるようだ。カウンターの向こうでは澄乃の他、食堂勤めのスタッフ2名が朝食を準備している。
僕がカウンターの前に立つと、澄乃がすぐさまこちらに顔を向けてきた。
「おっはよーうマウロちゃん!今朝はどうする?」
「おはようございます……あー、じゃあ和朝食セットで、お願いします」
ぼんやりする頭を覚醒させながら、僕は数瞬の間を置いて注文を告げた。
寮の朝食は和食と洋食の好きな方を選べる。和食はご飯に味噌汁、お漬物に何かしらの焼き魚というメニューで、洋食はトーストにジャムとバター、スープにサラダ、オムレツやボイルソーセージという内容だ。
いつもは洋食を選ぶのだけれど、今日は何となしにそういう気分ではなかった僕だ。
注文を受けた澄乃が後方のスタッフへと声をかける。
「はいよー、和1つー!珍しいねぇ、いつもは洋朝食なのに」
「まぁ、あれです。気分変えたいなって」
後頭部を掻きつつ、僕は口角を持ち上げる澄乃の視線から目をそむけた。
月替わりというのもあるが、やはり仕事の環境が変わるというのが僕の中で大きかったのは事実だ。
それを理解しているのだろう、澄乃が持ち上げた口角をさらに上げて目を細めてくる。
「まぁ、今日からだもんねぇ。よっ、新店長!」
「やめてくださいよ……余計意識しちゃうじゃないですか。
というか澄乃さんとこも今日が開店初日でしょう、大丈夫なんですか新宿西口店は」
後ろから受け取った朝食のトレイを僕に差し出しつつ、茶化してくる澄乃は相変わらず気軽だ。
トレイを受け取りながら、ちょっとだけ批判的な視線を向けてくる僕に、澄乃は軽く肩を竦めてみせた。
「だって私は6月にも陽羽南のオープンを経験しているからさ。それをもう一回ってだけの話だ。
ま、2号店の店員には歴戦の猛者が数人いるからさ、大丈夫でしょ。
ほら、後がつかえてるんだから行った行った!」
手をひらひらとさせて、僕を追い立てた澄乃は、次に並ぶ社員へとさっさと視線を向けていく。
僕はそそくさとトレイを手にカウンターを後にして、テーブルの空いた席に座って箸を一膳取りながら、それもそうだと一人納得した。
異世界居酒屋「陽羽南」新宿西口店は駅から徒歩6分、東京都庁周辺のオフィスビルにテナントとして入居するという好立地もあって、配属される店員は錚々たる顔ぶれになっている。
基幹店舗の一つである「簾」新宿東口店のエーススタッフの他、「こでまり」西早稲田店の料理長、「鳥天地」四ッ谷店のエースがそれぞれ異動になっている他、他会社の居酒屋で経験を積んできた経験者を数人引き抜いて来たらしい。
僕達とは比べ物にならないくらいに、料理や接客に関してはプロの人材が集まっている。勿論全員、入植者だったりその血を引いていたりして、人間ではない。
一応歌舞伎町店が一号店ではあるけれど、一号店だからと有難がられるわけではないだろうし、西口店の方がお客様にとって魅力的であれば、そちらに人が流れることも大いに考えられる。
「(まぁ……社長もそれを見越した上で、きっと二号店をこんなに早くにオープンさせたんだろうしなー……)」
既存の常連さんが二号店に取られるなんてことがあったりしませんように、とひそかに願いつつ、僕は朝食のお味噌汁をすするのだった。
ちょっと早めに自宅を出て、西武新宿駅前のマクドナルドで昼食を取った後に歌舞伎町を散歩がてら歩いていると、何やら前方で騒がしくしているのが見えた。
数人の男性が、誰かを物陰に引き込もうとして抵抗されているらしい。抵抗している誰かは身長が低いのかここからでは見えないが、ちらちらと見える黒い毛皮はどう見ても獣人のものだ。
転移したての入植者が、何も分からないままにチンピラに絡まれているのだろうか?とも思ったのだが。
「やめてくださいっ、僕は女の子じゃないですってば!」
聞こえてくる声は何度も自身が男性であることを主張していた。どうも様子がおかしい。
というかそもそもこの声、どこかで聞いた覚えがあるような?
そんな状況に首を傾げつつ近づいた僕は目を見張った。
「あっ」
思わず声を漏らした僕の方を、絡んでいたチンピラ2人も絡まれていた獣人も一斉に見た。
チンピラの半分ほどの身長しかないあまりにも小柄な、黒い毛皮の、額に白い紋様を持つ猫の獣人の、一見少年にも見える彼は、僕の姿を認めるや涙を浮かべた紫色の垂れ目を大きく見開いた。
「マウロさん!?」
「サレオスさん!?」
思わず互いの顔を見たまま、僕とサレオスは互いに声を張った。
思わぬところでの再会を喜ぶ間もなく、チンピラ2人が僕にガンを飛ばしてくる。
「あぁん?なんだこの犬ッコロ、この猫の知り合いかなんかかぁ?」
「こっちの方が金持ってそうだなぁ。犬の兄ちゃんちょっとばかしカンパしてくれよ、ジュース飲みてぇのに金がねぇんだよ」
じろじろと僕を睨みながらチンピラはすごんできた。
それにしても、何ともみみっちい理由でカツアゲしようとしたものである。少額でその気にさせておいてごっそり取ろうとするつもりなのかもしれないが。
解放されてすぐさま僕の後ろに回り込み、僕の足にすがってくるサレオスを庇うように立ちながら、僕は臆せずにチンピラを見つめ返した。努めて反抗する気の無いような口調で言葉も返す。
「そのくらいの額が欲しいんだったら、身に着けている派手なアクセサリーでも質屋に持ち込んだらどうです?あるでしょ、靖国通り沿いに何軒か」
「んだとこの犬ッコロ!?」
「ふざけたことぬかしやがって!」
案の定チンピラは激高してきた。その右手で僕の胸ぐらを掴んでくる。まぁ、予想通りの反応だ。
そして手を出してきたなら容赦する理由はない。すぐさま左足を相手の股座めがけて振り上げた。
どすっという鈍い音が響く。
「ふぐぅっ!?」
胸を掴んできたチンピラが青い顔をして股間を押さえた。僕の服を掴んだ手が離れたタイミングで一歩下がる。そして狼狽えるもう一人のチンピラの足元を指さして、叫んだ。
『ロッキア、礫よ!』
刹那、アスファルトに落ちていた小石や砂が舞い上がってぎゅっと固まり、ドングリサイズの小石へと変じた瞬間。その小石が超スピードでチンピラの足に飛んだ。
ガツッと固い音を立てて、小石がチンピラのスニーカーを打つ。
「いってぇ!」
「な、なんだこの犬ッコロ!何モンだよ!?」
硬い石に打たれてうずくまるチンピラと、何もないところから石が飛び出した様子を間近で見ていたチンピラが、揃って僕に怖れを孕んだ視線を向けてくる。
恐れてくれるのならちょうどいい、あまり派手なことは出来ないが、こけおどしにはなるだろう。
僕はザッと地面を踏む足を動かした。それに伴って塵や砂、小石が宙に舞い上がり、微細な石塊となって僕の周囲に多数浮かび上がる。
チンピラの喉からヒッと引き攣ったような声が漏れた。
「まぁ、魔法使いだと思っていただいて結構です。こちらの世界に来て日が浅いですので……まだ、世界の常識に疎いのですよねぇ。
まだ歯向かうというのなら、もっと位階の高い魔法で消し飛ばしてあげてもいいんですが……」
「ひっ、ひぃぃぃ!!」
「すんませんっしたぁぁぁ!!」
チンピラを睨む僕がスッと目を細めると、文字通り飛び上がったチンピラ2人は逃げるように去っていった。
張りつめていた空気を緩め、息を吐くと、石や塵がばらばらと地面に落ちていく。そしてようやくこちらも安心したのだろう、サレオスが僕の足に引っ付いたままで大きく息を吐いた。
「はぁぁ、よかった……マウロさんが来てくれて助かりました……」
「歌舞伎町はなんだかんだ言ってああいう人がいますからね……偶然通りがかっただけですけど、無事でよかったです、サレオスさん」
足から手を離させた僕は、しゃがみ込んで彼と目線を合わせて優しく微笑んで見せる。
なんにせよ、今日から一緒の職場で働く同僚になるのだ。仕事に入る前に何かあってからでは遅いわけで、それを未然に防げたのは幸いだった。
サレオスに魔法を見られてしまったが、まぁ、彼も正体は悪魔であるし、そこは気にしなくてもいいだろう。
「……で、どうしたんですか一体。ここ、「陽羽南」からだいぶ離れていますけれど」
「いや、あの……初出勤日だから迷うかもしれないし、遅刻しちゃいけないと思って早く家を出たら、ほんとに迷子になっちゃって……」
「なるほど……まぁそんな事だろうと思いました。大通りに出た後、お店まで案内しますから、離れないようについてきてください」
そうして大通りの方へと足を向けた僕の後ろを、急いで走ってついてくるサレオスだったが。
大通りに出た途端に人の波に飲み込まれ、二進も三進もいかなくなってしまった為に、僕はサレオスを抱き上げて「陽羽南」に向かう形になるのだった。
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