楽しいひととき
携帯から流れる聞きなれないアニメソングに覚醒しかけた脳が拒否しようと、うめき声が零れる。
目覚ましを壊したと龍也に告げた時、携帯の目覚ましをセットしておくよと言われたような気がする。
だが、アニメソングは勘弁してほしいところだ。
目覚ましを止めた後も耳に残るアニメソングにイライラが募る。
勢いよく起き上がり顔を洗うが、鏡に映る不機嫌な顔に溜息が出る。
身支度を整え、学ランの上にエプロンを引っ掛け、朝食を作る。
プレーンオムレツとトーストと牛乳、それとレタス、トマト、スナップエンドウ、きゅうりを盛り付け胡麻ドレをかける。
弁当は昨日の残りのてんぷら、きんぴら、白和え、玉子焼き、ししとう・・・料理をしてる間に少し気分も落ち着き、弁当箱を鞄に放り込む。
今日は帰りに買い物して帰らないといけないと、所帯じみたこと考えながら玄関に鍵をかける。
ふと癖のように、また、加納が落ちてくるのではと階段の上を見上げてしまう。
そんなことが何度もあるのは嫌だが、なんだか不思議と気にかかる。
だが気になって仕方ない問題の加納は学園の外では屈託のない笑顔で話しかけてくるが、校内では、一切話しかけてこない。
それどころか視線さえ合わそうとしない。
俺にとってはその方が楽なのだが、こうも態度が180度違うと訳の解らない苛立ちを感じてしまう。
それ以外では、中等科からのメンバーが殆どだから、目新しい変化はない。
高等科でも部活は空手部に入る事にしたし、
昨年は持て余し気味の気持ちを消化するのに、料理教室に行ったりしてたが、今年も引き続き行っている。俺には向いていたのか楽しくて仕方ない。
お母さんお父さん達から可愛がられ、LINEのやり取りも俺にとってはいい息抜きになっている。
たまに店でも亮さんに習いながら料理をお客様に提供したりもしている。
高等科に上がっても中等科の時とあまり変わりないが、結構充実した日を送ってはいる。
放課後、龍也が一海を連れ、教室にやってきた。
今日は、このままバイト先である「シャドウ」に向かうためだ。
「ヒロ、もう帰れるか?」
そんな龍也の呼びかけに
「あぁ」と片手を挙げて答える。
龍也の横では、一海が恥ずかしそうに会釈する。
そんな一海の仕草がほほえましく、可愛くて俺は顔が緩む。
龍也は、珍しく優しい表情を見せた俺に、
「一海は俺のだからな」
と、笑いながら突っ込みを入れてくる。
三人で過ごすのも久しぶりの様な気がする。
龍也達と話す時が俺にはやはり特別で、気を使わなくて良いから普段よりは優しい表情になっているみたいだ。
そんな俺たちが三人教室を和やかに出て行く姿を廊下の陰からずっと羨ましそうに見ている人影があった。
そんな事にも俺たちは気づく筈もなく階段を降りて玄関に向かっていた。
下駄箱で靴を履き替えていた俺は、急に目の前に飛び出してきた女子にビックリして後退りをしていた。
「草薙さん、これを受け取ってもらえないですか?お付き合いをお願いしたいのですが。」
差し出された封筒。初めての経験に前方の龍也達に救いの眼差しを送る。
龍也達が❌を作っているのを見て、咳払いをして落ち着かせ、女子に泣かれては困るから極力優しく話しかける。
「悪いな、俺は今は誰とも付き合う気がないんだ。気持ちはありがとう。こんな怖い俺にありがたいけどごめん。」
「はっきり言ってもらってありがとうございます。話す機会があった時は、友達として気楽に話してくださいね。」
少し目を潤ませてるが笑顔を見せてくれた事にホッとした。
「こちらこそ、よろしく。委員会一緒だよな。また、今度な。」
よく見れば、図書委員をやらされ初めての委員会で向かいの席に座っていた女子のようだ。
「覚えていてくれたんですね。嬉しいです。委員会でもよろしく。」
「あぁ、悪い。名前教えてもらっていいか?」
「ごめんなさい。有村陽菜って言います。よろしくです。」
「こちらこそよろしく。」
今日は急ぐからと有村さんと別れ、待たしていた龍也達とバス停に向かう。
「ヒロ、初めてだよな。怖いもの知らずだよな、ヒロに惚れるなんて。」
「龍也、お仕置きが必要か?」
「遠慮します。まぁ、ヒロは女子には興味ないだろうし、キッパリ断るのが筋だよな。」
俺の恋愛対象が男だと、夜遊びが龍也にバレた時に知られてしまった。
二人はそうなのか、俺たちと一緒だなと今までと変わりない態度でいてくれる。
「友達としてでも、女子は初めてなんだよな。どう接すればいいかわからん。」
「えっ!さっきは普通に話していただろう。あんな感じでいいんだよ。」
同年代の女性となると、妹ぐらいしか話したことがない俺は、さっきも平然と話しているように見えただろうが、かなり緊張していた。
「全然、平気じゃない。緊張しまくりだったんだ。変じゃなかったか?怖い顔になってなかったかな?」
「大丈夫ですよ。弘樹さんは普段から優しいから大丈夫です。」
一海から見たら俺は優しいらしい。
その言葉だけでかなり安心できた。
バスが来るまでまだ時間がある。今日のライブの進行を思い浮かべ、来店のメンバーを思い浮かべていた。
そういえば、祐介さんたちが来るのを龍也に言ってなかった事に気づいた。
「そうだ、龍也、祐介さんと真一さんも今日は来てくれるらしいから紹介するよ。」
「おい!大丈夫なのか?亮さんの機嫌が悪くなったりはしないだろうな?」
ついこの間の事件も龍也にもバレてバカなのかと怒られたばかりだ。
「大丈夫だよ。亮さんとも二人は会ってるし、なんか個人的な仕事を真一さんに頼んだりしてるみたいだよ。」
「真一さんってイラスト描いたりしてるんだよな。凄いよな。」
「ゲームとかの背景とかもやったらしいよ。俺にはよくわからないけど。」
俺と龍也が話していると、横から一海がこれですよってゲーム雑誌を見せてくれた。
あのぼんやりおっとりの真一さんからは想像出来ないイラストの出来にびっくりする俺だった。
「カッコいいイラスト描くんだな。どんな人か会うのが楽しみだ。」
「龍也、あんまり期待しない方がいい。ギャップがありすぎる。」
「そうなのか?まぁ、楽しみにしてるよ。」
「そうだな、一海にはいい友達になるかもな。」
「そうなんですか?楽しみだな。」
「タイプが似てるからな。気が合うと思うよ。」
今日は久しぶりのライブの日、俺は龍也とサックスの練習を重ね、ステージに立つ予定だ。
他にも櫻井さんや翔さんに加わり、カクテルを作らせてもらえる。
上手く出来るかは頑張り次第だ。味見は優しい常連さんたちだから、多少の事は目を瞑ってくれそうだ。
学園での嫌な事を吹き飛ばす様に今日も仲間とジャズの調べに心地よい歌声、喉を潤すとびきりのカクテル。
格別の夜を特別な人達と特別なおもてなしで
楽しく有意義な時を刻もうと思う。