後編
時の流れには逆らえず、あっという間に夜光祭の日がやってきた。
普段は閑散としている町並みが、今日は色とりどりの服の人たちで溢れている。外部の街からやってきた観光客が押し寄せてきているのだ。彼らにとって、この盛大な式典の影で犠牲になっている人々のことなど所詮他人事でしかないのだろう。
でも、それを責める権利は誰にもない。誰だって、自分の身に不幸が降りかかるその日までは全てが他人事にすぎないのだから。
どんなに気にかけていても、失わなければその尊さに気づけないのが人というものだ。
「お兄ちゃん、お祭り一緒に行かないの?」
ミナは小鳥のように首を傾げた。
「ああ、行くよ。でもその前に用事があるから、先に行ってて」
極力楽しそうな笑顔をつくりだすために、ハルは口角を力一杯グッとあげた。
その笑顔をみて、ミナは怪訝そうな顔をした。
自分が夜光蝶に選ばれているという事実を、ミナはまだ知らない。できれば、このまま知らないで全てが終わってくれるのが理想だ。
「用事……ふーん」
ミナは含み笑いをした。
「なんだよ」
「ううん。何でもない。頑張ってね、お兄ちゃん」
ミナはハルの腕をぽんと叩くと、そのまま丘のほうへと走り去ってしまった。何やらあらぬ誤解を受けているような気がしたが、楽しそうだから許すとしよう。
ハルは妹の後ろ姿を見送ると、ヒツギとの約束の場所へ向かった。
夜の山へと続く道は真っ暗で、カンテラがないと何も見えない。
一寸先は闇の状態で、鬱蒼としげった木々が常にその葉を妖しげに騒めかせている。
妖怪でもでてくるんじゃないかというその道の向こうに、ヒツギがいた。
「やあ。良かった。ちゃんと来てくれて」
「来るよ。妹の命がかかってるからね」
「そうね」
心なしか、ヒツギの表情に固さが見られる気がする。この前はこちらが引くくらいに陽気だったのに。流石に緊張しているのだろうか。
カンテラで照らされた彼女は、相変わらず整った顔をしている。でも、その綺麗な顔の裏には、きっと自分では分からないほどの悲しみを抱えているのだろう。
もしかしたら、黒いコートは寂しい自分を覆い隠すための武装なのかもしれない。なんていうのは多分考えすぎだろうけど。
「前から言おうと思ってたんだけど、その恰好暑くない?」
「暑くないわ。あたし、寒がりだから」
「ふーん」
明らかに額に汗をかいているような気がするが、本人がそう言うならこれ以上追求しないことにした。誰にだって言いたくないことの一つや二つある。彼女自身が数日前に言っていたことだ。
そんな、人には言いたくないことを嘘なく言えてしまうのが恋人や親友なというものなのだろうか。
だとしたら、自分は一生無理かもしれない。ハルは一人で苦笑した。
「何笑ってんの? 気持ちわる。ほら、さっさと行きましょう。結構やばい光景を見ることになると思うから、覚悟してね」
「うん」
「あと、この爆弾重いから巣まで君が運んで。途中で落として爆死しないようにね」
「……うん」
ハルは閉口した。
深い山道を歩くこと二時間、次第に道の様子が変わった。
ところどころに青白く輝く石が落ちており、怪しげな光を放っている。恐らく、夜光蝶の鱗粉が付着しているのだ。
その道の途中である物を発見して、ハルは目を丸くした。
「なにこれ」
道の途中に、禁足地であることを表す立札と、大蛇のような太さの注連縄が蜘蛛の糸のように張り巡らされていた。
お菓子や時計、子供の人形、青い狸の縫いぐるみがお供えもののように置かれている。
「まあ、普通に暮らしている人は一生知ることもない街の暗部ね」
ヒツギは涼し気な顔でそう言うと、当たり前のように注連縄を踏み超えた。
「どういうことだよ。街の人は誰も夜光蝶の巣なんて知らないんじゃなかったのか?」
「冷静に考えてそんなわけないよね。あれだけ多くの人がいて、皆が皆無知なわけがない。少なくとも、街の偉~い大人たちは皆知ってるんじゃないかな」
街の大人たちは、この巣の存在を知っていて放置してるというのか。だとしたらそれはなんのために? ハルは思わず拳を握りしめた。
「……なんで誰も……」
「世の中には見て見ぬふりをしたほうが良いことも沢山あるってことよ。頭の良い人よりも、頭の空っぽな人のほうが幸せだなんてよくあること。たとえ手の平の上で踊らされていたとしてもね」
「……」
ハルはヒツギの言葉にそれ以上反応せずに、黙って注連縄を踏み破った。
封じられた地を、煌々と月に照らされた二人は葬列のように淡々と進んでいく。
「ここよ」
ヒツギはある一点を指さした。
その指の先を見てみると、地面に穴が開いていた。
『穴』としか形容できない、不気味な地形が出来上がっている。
その穴の周りには、青白い蝶が疎らに飛行している。それは近くで見てみると冬の風鈴のように儚げで、まるで神の使いのように見えた。
ハルが夜光蝶に見惚れている間にも、ヒツギはずんずんと道を踏みしめていった。地面に散った夜光蝶の死骸を蹴散らしながら、穴の入り口へ近づいてゆく。
「何ぼーっとしてるの。早くしないと、夜光蝶が完全に目覚めちゃうよ」
ハルは急かされるままに穴に近づいた。すると、ヒツギの肩が震えていることに気が付いた。
やっぱり彼女も怖いのだ。
きっと、僕には話してくれないけど、蝶のことで何かトラウマがあったに違いない。
笑っている時の彼女の寂しそうな横顔がそれを示している。
怖い思いをしているはずなのに、全く表に出そうともせず、あんな小さな体で人のために戦おうとしている
格好いい人だ。そして、孤独な人だ。まるで、どこかの誰かみたいに。
ハルは息を吸い込んだ。
そして決心したようにヒツギの手を引き、穴の中に一気に駆け込んだ。
しかし、途中で足を滑らせて二人仲良く転んでしまった。無理して格好つけるもんじゃないなと、ひとり情けない照れ笑いをした。
「……すげえ」
なんとか起き上がったハルは、思わず感嘆の声をあげた。
穴の中は想像していたよりもずっと広く、もはや大空洞と言っても過言ではない広さだった。 その大空洞の中で、数えきれないほど大量の夜光蝶が、羽を閉じて壁にさざめいている。
どうやら、彼らはまだ完全に目覚めてはいないようだ。
「蝶もこれだけいると流石に気持ち悪いな」
ハルは一人呻いた。
「吐くのはまだ早いわ。道なりに進んでいくと、一際大きくて不気味な蝶がいる。そいつが母体よ。母体さえ爆破すれば、この巣は消滅する。おそらくね」
ヒツギは無理に作った笑顔で喉を鳴らした。金色の髪が汗で頬にくっついている。
ヒツギの言う通りに、道なりに進む。
すると、いつの間にやら青い雪が降ってきた。
たまらず上を見上げると、雪の正体が簡単に判明した。
とてつもない化け物が天井に止まっていたのだ。
まるで、真っ青な環礁のように広く、丸太のように分厚い蝶。
ソレを見て、ハルは過去のある光景を思い出した。
まだ自分が少年だった頃、呆然としながら見た光景だ。
青く輝く大きな蝶が空から吹雪のように降りかかり、女の子を攫おうとした。それを庇って、両親が代わりに青い光に連れ去られていった。
庇われた女の子はただひたすらに泣き叫んでいた。それなのに、周りの人々は誰一人その子を助けようとしなかった。不自然な笑みを浮かべながら、夜空に昇る青い蝶に向かって祈りを捧げていた。
あの時、小さな自分は何もすることができず、ただ悄然と涙を流していた。
あれ以来、夜光祭に対して良い印象がなく、蝶も見たくなかった。
この巨大な怪物は、あの日見た蝶と同じな気がする。
ハルが物思いに耽っていると、なんだかきな臭い匂いが鼻腔をさすった。
気付けば、ヒツギが爆弾の準備をしていた。
「ハル、作戦開始よ。私が夜光蝶を惹きつけるから、その間に隙を見て君がこの爆弾をあいつに向かって投げるの」
「ああ、わかった。僕が爆弾を投げるんだね。こう見えて投擲には自信があるぜ」
「凄いじゃん」
ヒツギはハルの言葉を軽く受け流した。
「ありがとう。ところで、蝶を惹きつけるってどうやって――」
「用意はいい?」
ヒツギはハルの言葉を遮り、意味深な笑顔を見せると、次の瞬間に黒いコートを勢いよく脱ぎ捨てた。
コートの下に隠されていた白い肌には、青い痣がびっしりと、まるでタトゥーのように刻まれていた。
ハルは固唾を飲んだ。
ヒツギもまた、ミナと同じように夜光虫に選ばれていたのだ。それも多分、一度や二度じゃない。何度も何度も、毎年のように選ばれていたのではないか。
一度選ばれた人間は、たとえその年の生贄を逃れても再び選ばれる可能性が高い。そんな話を聞いたことがある。
しかし、それにしても彼女が背負っているものは重すぎる。
「きっと今年こそ私が選ばれる番。だから、君が全てを終わらせて」
黄金色の髪が夜の風に踊った瞬間、青い巨蝶はその触角をぎょろぎょろと動かしはじめた。
ヒツギは小さい頃から、蝶が好きだった。夜空に輝く青い蝶は星が降りてきたようで、ロマンチック以外の何物でもなかった。しかし、その羽の裏側に、身の毛もよだつほど恐ろしく無味乾燥な模様があることを知ってから、蝶が大嫌いになった。
そして、自分のことも大嫌いになった。
孤児だった自分を拾ってくれた、とても優しい人たちを結果的に傷つけてしまった。
毎年のように痣を発症することで、周囲から白い目で見られるようになってしまったのだ。
なんで自分だけこんな目に遭わなきゃいけないんだろう。
何回もそう考えては、消えてしまいたくなった。
そして、実際に消えてみた。
人間関係を絶ってしまえば、自分への執着から逃れられると思った。
それでも、未だに悲しみも寂しさも自己嫌悪も消えることがない。もう死んでしまいたい時すらある。かといって、自殺する勇気はない。
そんな終わりのない孤独の海の中で、思うことがあった、
(どうせ塵のように消え去る運命なら、この街の悲しみごと私が道連れにしてやる)
その想いを糧に一人ぼっちで生きてきた。
はずだった。
でも、やっぱり弱い私は、最後の最後で孤独になりきれなかった。
優しそうな人を探して、その人の誠実さにつけこんで巻き込んでしまった。
目の前の優しい青年は、途方に暮れたように私の身体の青痣を見つめている。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
限りない懺悔の中で、いつの間にか、涙が頬を伝っていた。
その涙を見て、ハルが叫んだ。
「逃げろ!」
「無理よ。蝶に見つけられたら、もう逃げ場はない。直に夜光虫が目覚めるから、そしたら私ごと奴を爆破して」
「そんなことできないって」
二人が押し問答をしている間に、大空洞の中で轟音が鳴り響いた。
巨大な蝶が羽ばたくと共に、突風が巻き起こる。散開していた夜光蝶たちは母体の元に集まり、やがて一つの青い炎となった。
青い炎は火花を散らしながら、ヒツギとハルの元へゆっくりと移動を始めた。
それを確認すると、ヒツギは慌ててハルの元から駆けだした。
躊躇もしない彼女の決意の固さを目の当たりにして、ハルは俯き、地面を踏みしめた。
もう、やるしかない。
これこそが彼女の望んだ答えであり、ミナを助ける唯一最善の手段だ。自分の幸せのために誰かを犠牲にしたとしても、時にはそれは仕方がないことなのだ。幸せになるためには、誰かの幸せを踏み台にしなければいけない。それが残酷なこの世の摂理だ。
言い聞かせるように覚悟を決め、爆弾を投げ込もうとした瞬間だった。
「え?」
夜光蝶の群れは身構えているヒツギの頭上を通り越し、やがて空洞の外の方へ向かいはじめた。
「お兄ちゃん!」
ハルは刮目した。
空洞の入り口付近に、今頃は祭りを見物しているはずのミナがいた。
「ミナ!? なんで――」
言葉より先に、体が動きだしていた。
ハルは全速力で駆け出し、夜光蝶を追い越してミナの元へたどり着いた。夜光蝶は二人を取り囲むようにぐるぐると回転し、やがてその間を詰めていく。
このままでは二人とも餌食になってしまう。
「痛っ!」
意志に反して、二人の兄妹の身体は思いっきり吹っ飛ばされた。
気付けば、青い炎にその身を包まれたヒツギが笑っていた。
「ごめんなさい。最初からこうするべきだったね。私が全部、一人でやればよかっただけ。あたし、ホントはただの臆病だから。自分が一人ぼっちのまま消えてしまうのが、たまらなく怖かったんだ。最後の我儘に君たちを巻き込んでしまってごめんなさい」
ヒツギの頬には一縷の悲しみが流れている。
それなのに彼女は笑っていた。それは、この世に対する諦めや自分の無力さに向けられた笑顔に感じられた。
夜光蝶に連れ去られた人間がどうなるのか、それは誰にもわからない。
死んで灰となるのか、どこか別の遠い別世界へ連れていかれるのか。
あるいは、どこか幸せな国にでもいけるのかもしれない。
そんな希望を抱いてしまうのは、自分がまだまだ愚かだからだろうか。
どうなるにしろ、やっぱり自分に嘘を付きたくはない。嘘をついた結果得た幸せに、何の価値も感じることができないから。
ハルは起き上がり、ヒツギの濡れた瞳を見つめた。
そして咄嗟に手を伸ばし、彼女の手を掴んだ。
「あなた、何を――」
「ミナ、ごめんな」
「お兄ちゃん! 待って!」
戸惑う表情で涙を流すヒツギと、どこか悟ったような表情のハル。
二人の身体は青い炎に包まれ、やがて夜光蝶ごとどこかへ消えてしまった。
「……」
一人取り残されたミナは、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。
☆
「ねえ、今日で終わりってどういうことなの?」
「そのままの意味だよ。もう、人が連れ去られるのは今日で終わりってこと」
少女の問いかけに、帽子を目深に被った老人が答えた。
「そんな……私、チョウチョに乗ってどこか遠くに行きたいよ。そうすればもう、私ばっかりお母さんに怒られないで済むのに」
少女は寂しそうに声の主を見つめた。
フードを被っていてよく見えないが、声音的には年老いた女性のようだ。
少女の物憂げな顔を見て、老人は優しげに微笑んだ。
「人の幸せは場所じゃ決まらない。たとえ遠くに行ったって、君が変わらなければ寂しさはなくならないよ」
老人の、ある意味残酷ともいえる一言は純粋な少女にはまだ早すぎるかのように思えた。
しかし、彼女の精神は周りの子供達よりずっと大人だった。大きな瞳を鏡のように曇らせながら、物欲しげに指をくわえた。
「私、変われるのかな。時間が経てば少しは皆みたいに偉くなれるのかな」
「変わりたいなら、行動を起こさなきゃいけない。たとえ、それが失敗するかもしれなくてもね」
「……どうせうまくいかないよ。何回も良い子になろうとしたけど、無理だったもん」
今までで、一体何度母親に怒られたことか。
好き好んでこんな風になったわけじゃないのに、親はいつも他人と比べて私を判断した。閉ざされた性格のせいで友達もろくにできなかったし、兄弟のように勉強も運動もできなかった。朝目覚める度に生まれてきてごめんなさいと思っていた。
母はきっと、私のことは愛していない。だから、私だけ怒られて、叩かれるんだ。
老人は深い眼差しで少女の思案する顔を見つめていた。
少女はふと、老人に対して疑問を口にした。
「ねえ、そういえばどうしてお婆さんはコートを着てるの? こんなに暑いのに」
その問いかけに対して、老人は何も答えなかった。
「時間ね。蝶が来る」
その言葉が途切れるや否や、青く輝く蝶の群れが街に襲来した。
その中でも一際巨大な蝶が、ゆらゆらと宙に弧を描きながら、二人の方へ向かってきた。
「最後にもう一度聞くよ。君は本当に、あの蝶と一緒に消えてしまいたいの?」
「……うん」
少女は物欲しげに呟いた。
「そう。なら、仕方ない」
「え?」
老婆は地面に座り込み、胡坐をかいた。
その間にも青い炎はどんどん大きくなり、少女を飲み込むべくして津波のように押し寄せた。
毎年、少女は夜光蝶に選ばれた人を見て羨ましく思っていた。あの人たちはきっと、妖精のように可憐な蝶と共に楽しい場所へ向かうんだと。
どうせ私は誰にも選ばれないんだ。そう思って現実を拗ねていた。
それなのに、何故だろう。
いざ蝶が迎えにくると知った瞬間、足が震え、全身の毛穴が冷たくなった。
「やだ……やめて。来ないで、ごめんなさい。お母さん!」
叫んでみても、青い蝶には人間の言葉などわからない。
意志とは関係なく自動的に向かってくる。それはまるで、重くのしかかる孤独な現実のようだった。
「いやだ! お願い、助けて! まだ死にたくない!」
少女は泣き叫んだ。
「ミナ。貴方を死なせたりはしない」
老人は立ち上がり、隠し持っていたスイッチを押した。
その瞬間、宙を何か黒い物体が滑った。
黒い物体は巨大な夜光蝶を目がけて流線型を描き、やがて点と点がぶつかった。
大地が轟くような音と共に、蝶は爆散した。
青い炎は散り散りの蛍火となり、まるで打ち上げ花火のように色とりどりの体液をまき散らしながら、空を藍色に染めた。
それと共に、周囲を飛んでいた小さな夜光蝶たちも、白い灰に姿を変えはじめた。
いま、この街にいる誰もが、その光景をみて息を呑んでいた。
「うそ」
少女ミナは呆然と立ち尽くし、やがて地面に尻もちをついた。
「ほんと」
吹き荒ぶ風が、老人の被っていたフードを捲った。
蝶が放つ終わりの光が、その白い肌を明るく照らした。
金色の長い髪、瞳孔の開いた赤い瞳。
それはこの街では見かけないほど、気品ある美しい女性だった。
「危なかった。もう少し命乞いをするのが遅れたら連れ去られてたよ」
「いったい何をしたの? 夜光蝶はどうなったの?」
「消えた。私が駆除したの」
「駆除?」
「そう。五十年越しのね。ミナ、未来って、何が起きるかわからないのよ。最悪だって思っていても、案外悪くない結果になったり……そう、例えば、青い蝶に捕まったと思ったら、何故か遠い過去の見知らぬ場所に飛ばされたりね」
「遠い、過去?」
ミナは虚ろな瞳のまま呟いた。
「そう。信じられないよね。疑ってもいい。でも、私にとっては本当なの。だから君も、ちっぽけな今だけで人生を悲しまないでほしい」
人生なんて、何が起きるかわからない。どんなに未来を嘆いてみたって、結局どうなるのかなんてわかりやしない。今日人生で一番喜んだ人だって、明日にはあっさり死んでいるかもしれない。今日街で一番辛かった人が、明日には鼻歌を歌っているかもしれない。
そんな気まぐれな人生を少しでも後悔しないために、一つだけ言えることがある。
それは自分に正直でいることだ。
全ては彼が教えてくれたことからはじまった。
彼は、夜光蝶に飛ばされた先で必死に運命と戦っていた。
見も知らぬ土地で、諦めずに元の居場所に戻る術を探し続けていた。
彼が必死で探したから、過去にいることに気付くことができたし、この街に戻るための航路を探すことができた。
やがて、私は彼のために生きるようになった。
しかし、彼の瞳の中に住んでいたのは、いつだって私ではなかった。
全て妹のためだったのだ。
自分が頑張るのは、ミナに子供の頃のことを謝るためだといつも言っていた。いつも自分のせいで寂しい想いをさせてしまったと過去を嘆いていた。
だから私は、彼の遺志に殉じてミナを救うことにした。
全ては彼のためだ。
時を越えて、また彼に出会いたかった。
たとえ忘れられているとしても、また笑い合いたかった。
それから、少しの時間が経った。
やがて、幼い妹を探す小さな影法師が現れた。
その影をみて、金髪の女性は満面の笑みを浮かべた。
そして、笑ったまま大粒の涙を流し、こう言った。
「はじめまして。私の名前はヒツギ。君の名前は?」
青い蝶の形をした陽炎は、二人の再会を祝うように街を照らした。
そしてやがて、風に解けて夜空に流れ、陽炎のようにぼんやりと褪せていった。
ありがとうございました。




