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夜光蝶  作者: 昼夜
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前編

 今日も眠れずに、儚げな少女はひたすら星の数を数えている。

 この夜が終われば、きっとまた一人ぼっちの日々が始まるのだろう。過去と同じような未来が、ただ風のように流れていくだけだ。


「今日こそきっと、私の番だよね」

 少女は遠くに見える夜光蝶を眺めながら笑顔で呟いた。

 いま座っている丘からは、光輝く夜光蝶が空を攫うさざ波のように見える。


 彼らは年に一度、森の奥深くから現れ、人間を連れ去って行く。

 連れ去られた人間がどうなるのか、それは誰にもわからない。


 この街の人々が知っていることは、ただ二つ。

 それは、夜光蝶に連れ去られる者の身体に蝶型の痣が浮かび上がること。

 連れ去られた人間がこの世界に帰って来ることはないこと。

 この二つだけだ。


 少女は空にたゆたう夜光蝶の群れを見つめながら、ふと考えた。

 夜光蝶に連れ去られた人はどうなるのだろうか。野薔薇の花の蜜のように、命を吸われて死んでしまうのだろうか。そうだとしたら、それは注射より痛いだろうか。

 痛いのは嫌だな。


 でも、こんな最低な私にはそれくらいのほうがいい償いになる。

 少女は痣のある腕をぎゅっと抱え込んだ。


 夜光蝶には人を、理想の世界に連れていってくれるというお伽噺があった。そこでは人の願いは何でも叶い、永遠に幸福が約束されるという。草花も、風も、人も。全てが自分を裏切らない世界。

 こんな冷たい世界より、ずっと優しい世界。

 嫌われることも、嫌うこともない世界。

 少女は本気でそう考えていた。

 その時だった。


「そんな顔をしないで」

 という声と共に、少女の肩にぽんと温かな手が置かれた。

「あ、こんにちは!」

 少女は振り返り、ぎこちなく笑った。寂しい捨て猫のような彼女は、無理に明るく振舞おうとする癖があった。


 少女に語りかけた人物は帽子を目深にかぶっていて、顔がよく見えない。


 しかし、朝の陽射しのように優しげな声で、

「今日でもう終わりだよ。あの蝶たちに脅かされるのも」

 と言った。

「え?」


 ☆

「え?」


 青年ハルは、古びた木の床に鋏を落とした。


「どうしたの? お兄ちゃん」


 妹のミナが振り返り、兄に微笑みかけた。

 今、ハルは妹の散髪をしている最中だった。


「別に。最近。なぜか右手が言う事を聞かなくてさ。反抗期なのかな」

 ハルは何食わぬ顔で自分の右手を見つめた。

「また変なこと言って。三日後には夜光祭があるんだから、変な髪形にしたら怒るよ!」

「わかってるよ。ったく、いいよな。お前は気楽で」

「どうせ気楽ですよー」


 ふざけあいながらも、ハルの心はひどく動揺していた。


 ミナのうなじに、青い蝶の痣ができていた。

 どうして? 何故よりによってミナが? 

 針で心臓を突いたような嫌な痛みが胸を過ぎった。


 次に夜光蝶が現れるのは、三日後だ。

『夜光祭』と呼ばれるその祭りでは、文字通り夜光蝶に人が連れ去られるその瞬間を祝うことになっている。

 この街では、夜光蝶に選ばれることは名誉とされているのだ。


 何故なら、空から落命してきた夜光蝶の死骸は宝石のように価値が高く、村を富ませているから。なんでも、夜光虫を加工した装飾品を持つと老化しないという噂があるらしい。そんな素晴らしい夜光蝶に選ばれ、その身を捧げることは、村にとってとても有難いことなのだと子供たちは聞かされている。


 ハルはその風潮に違和感をおぼえていた。


 確かに、こんな山奥の村が栄えていられるのは夜光蝶のおかげかもしれない。でも、毎年誰かが犠牲になっているのに、どうして誰も皆そのことを悼もうとしないのだろうか。


 きっと、それは人間が皆ずるいからだ。


 自分が犠牲になるわけじゃないから、見て見ぬ振りをしている。辛い現実をあえて直視しないことで、自分たちだけ幸せになろうとしている。幸せなことだと言い聞かせることで、自分を騙そうとしている。

 そんなことを考えているから、あんな趣味の悪いお祭りに没頭できるんだ。

 自分にもそういう部分があるから、よくわかる。


 他人事だと思っていたら、いつのまにか自分の問題として差し迫っているのだ。


 妹の後ろ髪を梳かしながら、ハルは口を真一文字に結んだ。


 蝶の痣が現れるのは、一人というわけではない。年に二、三人に現れ、その中から一人が選ばれるという仕組みだ。どういう基準で選ばれているのかはわからないが、運良く犠牲を免れることができれば、少なくともその年は連れ去られずに済む。

 当たっても外れても喜べないくじのようだ。


「ねえ、手が止まってるよ」

 ミナが心配そうにたずねた。

「あ、ごめん。えっと、やっぱりミナはロングヘアのほうが似合ってるよ。ほら、細身だから。ロングが似合う体型なんだよ」


 そう言いながら、ハルは慌てて理髪道具を片付けはじめた。

「えー、短くしたいのに」

 ミナは口を尖らせた。

「まあ、四捨五入すればロングもショートも変わらないから別にいいだろ」

「意味わかんない」


 ところどころ短く切ってしまったせいで若干不自然な髪形になっているミナをみて、ハルは吹き出してしまった。

 破顔するハルにつられて、ミナも笑いだした。


 あの頃に戻りたい。

 今日のことをそう思う日が、きっといつか来るのだろう。ハルは額の冷や汗を震える手で拭った。


 ☆


 翌日の昼、ハルはひっそりと街の外れの渓谷へ向かっていた。

 その渓谷の一角にぽつりと祠が立っている。そこで名札付きの笹船を流せば夜光蝶に連れ去られなくて済む、という都市伝説を耳にしたためだ。要するに、神頼みのため。


 神様なんて大嫌いだけれど、気分転換の意味も込めて試してみることにした。何もしないよりは、何かしていたほうが気も紛れる。


 噂通り、広大な渓谷の一角に、不自然なほどに寂し気な祠が立っていた。誰が何のために立てたのだろうか。

 その祠の手前には、ご丁寧に白紙の札が重ねておいてあった。

 ハルは下手くそな丸文字で札に妹の名前を書き、ほっとため息をついた。


「ミナ……男の子にしては可愛い名前ね」

「うわっ!」


 突如聞こえた声に、ハルは数メートルも飛びのき、挙句尻もちをついてしまった。


「っふ、そんなに驚かなくてもいいのに」

 声の主は悪戯っぽく笑った。

「お、驚くよ! こんな人気のないところでいきなり話しかけられたら誰だって――」


 怒りを滲ませながら喋っていたが、言葉はおもむろに喉の奥に引っ込んだ。

 ハルは思わず息を呑んだ。


 不意に話しかけてきた声の主は、言葉を失ってしまうくらい美しい少女だった。瞳が猫のように大きく、肌が雪のように綺麗だ。服装は、夏なのに何故か黒いコートを羽織っている。

 何より目を惹いたのは腰まで伸びた金色の髪と、少し危なげな赤い瞳。

 こんな田舎町の人間にしては浮世離れした格好だ。


「何。人のことジロジロ見て」

「いや、街で全然見かけない子だなと思って」

「まあね。あたし、人嫌いだから。普段は山に籠ってるの」


 少女は金色の髪を風に躍らせながら、遠く近く見える山を指さした。

「ね、あの山さ。夜光蝶の巣があるんだよ」

「巣? 夜光蝶の?」


 夜光蝶は空の切れ目から現れるとされている。この世に巣など持っているはずがない。ましてや、こんな街近くの俗っぽい山だなんて信じられない。

 この子、たぶん頭おかしい系の人なんだろう。ハルはなんとなく察した。


「疑ってるんだ。そうだよね、こんなあたしの言う事を信じてくれる人なんて――」

 少女は露骨に悲しそうな顔をした。

「いや、疑ってるわけじゃないよ。ただ、余りに突飛すぎて信じられないというか。夜光蝶が別世界から来ていることは街のほうじゃ常識だよ」

 ハルは慌てて弁解した。


「ふん。冗談よ。ちょっと卑屈になってみただけ。落ち込んだわけじゃないわ。疑われるのは慣れっこだし……それにしてもミナくん、騙されやすいのね」

 少女は不敵な笑みを浮かべた。

 口元に見える八重歯が、どこか影の感じられる少女の印象をかろうじて明るいものにしている。


「あの、ミナは妹の名前だから! 僕の名前はハルだ」

「あ、そうなの。別に名前なんてどうでもいいけどね」

 変な少女は退屈そうに髪をいじった。

「……で、君の名前はなんていうの?」

 少し呆れた口調で、ハルが問いかけた。


「私はヒツギ。可愛い名前でしょ」


 何が楽しいのか、ヒツギは鼻歌を歌いはじめた。

「へえ、珍しい名前。可愛くはないけど」


 ハルが悪態をついてみると、ヒツギは少し嬉しそうな顔をした。

 そのまま、妙に人懐っこそうな笑みを浮かべながら手を後ろに組んだ。そして、まるで恋愛相談でもするかのように、


「で、ここにいるということは……妹さん、選ばれたんでしょ?」

 とたずねた。

「……」


 選ばれた、というのは言うまでもなく夜光蝶のことを指しているのだろう。ハルは閉口し、今朝の妹のあどけない笑顔を思い出した。

 昔から彼女は無駄に明るい、太陽のような笑顔で笑う。辛いことがあっても、それをおくびにも出さない性格だった。いつも裏で泣いていたことは、自分以外たぶん誰も知らないだろう。

 沈んだハルの反応を見て流石に不憫だと思ったのか、ヒツギは少し真面目な顔をした。


「ごめん。流石に言い方が悪かった。でも安心して。私が助けてあげる」

「どうやって?」

 思わぬ言葉に、ハルは食いついた。


「あたし、夜光虫を駆除するから」


 不敵な笑みを浮かべながら、少女は手をピストルの形にして、山へ向かって銃を放った。彼女の中で、あの銃弾の向かう先には、きっと本当に夜光蝶の巣が見えているのだろう。


「あいつらさえいなくなれば、これ以上誰もいなくならなくても済む」


 ヒツギは口を結び、一瞬だけどこか寂し気な表情をした。


「そんなことができるの」

「できるかどうかじゃなくて、やるの。あたしはこの日のために、ずっと準備をしてきた」

 そう言うとヒツギは懐から真黒な物体を取り出した。

「なにそれ」

「爆弾。あたしオリジナルのね」

 ヒツギはあっけらかんと言い放った。

「冗談きついな……」


 正直、ハルは彼女のことが信用できなかった。言っていることがあまりに滅茶苦茶だし、せっかく綺麗な瞳は瞳孔が開いていて、正気とは思えない。

 それでも何故かブルーな心は不思議と首をもたげはじめていた。

 それはきっと、藁にもすがるような想いなのだろう。


「……でも、もし本当に夜光蝶の巣を壊したとしたらこの街はどうなるんだろう。ただでさえ夜光蝶産業に頼りきってるのに」


 ハルは自分の唇に指を触れ、考えこんだ。


「誰かの犠牲のうえで成り立っている繁栄だとしたら、そんなもの何の価値もないよ。むしろ壊して、過去の真っ新な姿に戻したほうがいいと思わない?」

「思う。凄く思う」

 二人は頷き合った。

「じゃあ決まり。決行は二日後、夜光祭の日。場所は……あの山の麓ね」


 ヒツギは嬉しそうにウインクをすると、慣れた手つきで笹の葉をちぎり、器用に舟の形を組み上げた。そしていつの間に記入したのか、誰かの名前が書かれた札をしつらえて藍色の川に流した。


「あの、というか、僕も行く感じ?」

 ハルは驚いたように瞬きをした。


「あのね、待ってるだけじゃ何も起きないのよ。待っているだけじゃ、いつのまにかすべて時と共に過ぎ去ってしまう。それに、この話を聞いた時点で、君は私の共犯者」

 ヒツギはそう言うと、わざとらしい上目遣いでハルを見つめた。


「……共犯か」 


 待ってるだけじゃ何も起きない。

 その通りだ。心の中で頷いた。

 それにしても、変なのと知り合っちゃったな。

 呆れるほど真っ青な空を眺めながら、ハルはひたすら雲の数を数えた。


 ☆


 奇妙な少女、ヒツギと出会った翌日。

 ハルは街の井戸の前に立っていた。

 ここで、彼女と打ち合わせをすることになっている。


 我ながら、お人よしだなと思ってしまう。もし彼女が出鱈目を言っているだけだとしたら、ひょっとしてミナを見捨てることになってしまうかもしれないのだから。

 ハルは、いざとなればミナの身代わりに身を捧げる覚悟でいた。


 自分の命が惜しくないかと言われれば、惜しいに決まっている。しかし、もしも彼女が夜光蝶に連れ去られたとしたら、きっと自分は一生罪の意識を感じて生きなければならないだろう。もう顔すらもはっきり覚えていない両親の背中が頭に過ぎった。

 絶対に失敗するわけにはいかない。


「あら、早いのね」

 相変わらず不自然なコートを羽織っているヒツギが現れた。

「君が遅いんだよ」

 待ち合わせの時間を三十分も過ぎている。


「悪いね。ちょっと街の空気に足がふらついてしまって」

「早く話を始めよう。君といると、周りの視線が痛いんだ」

 明らかに異質な存在の彼女は、やっぱり街の風景から浮いていた。それはまるで、控えめな鈴蘭や露草の中に薔薇が咲いているようなものだった。


「失礼だね。ま、いいけど。話ってほど長くもないわ。私が夜光蝶を惹きつける。そんで、君が爆弾をなげて蝶を駆除する。簡単でしょ?」

「うーん。ざっくりし過ぎじゃない? まず、どうやって夜光蝶を惹きつけるの?」


「それは当日のお楽しみ。まあ、確実な方法だとは言っておくわ。それより、山への行き方は

 わかる?なんなら私が家まで迎えに行きましょうか?」

 ヒツギはウインクをした。


「いや、それは妹に怪しまれる。もしあいつが気付いたら、きっと僕のことを心配して、祭りどころじゃなくなっちゃう」

「……ねえ、君が妹のためにそこまで頑張る理由はなんなの? シスコンなの?」

「それは――」


 ハルは少しだけ顔を引きつらせた。

 その顔を見て、ヒツギは口角を吊り上げた。


「何か負い目があるんだ。償いのつもりなの?」

「そんなことない」

 ハルは思わず語気を強めた。


 その言葉を浴びてもなお、ヒツギは張り付いたような笑みを浮かべている。

「いいよ。言わなくて。誰にだって言いたくないことの一つや二つはあるもの。私だって、本当は殺したい人の一人や二人いるわ。まあとにかく、当日頑張りましょう。」


「お、おう」


 ハルは頷いた。訳ありなのはお互い様なようだ。

 その後、何故かヒツギはすぐに帰ろうとしなかった。

 特に意味のない会話をだらだらと続けて、結局四時間ほどいた。食べれる草の話なんて、本当にどうでもよかった。


 暇なのだろうか。いや、きっと寂しいんだ。

 あんな我の強そうな人でも、寂しさを抱えているのだ。そう思うと、ハルはなんだかヒツギに対して妙な親近感を覚えてしまった。


「またね! バーカ!」

 そう言い残して去って行った彼女の背中に、ハルはポツリと言い返した。

「……素直じゃないやつ」

後編へ続く

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