act.9 ココロ、ユレル。
「知ってる人は知ってるけど、大半は知らない、ってとこかな」
「よっしゃ! 寝よ寝よー!」
岡崎くんの言葉にかぶさるようにして声を上げた村田くんは、つやつやとした草の上にカラダを投げた。
新緑がめいいっぱい手を広げて空に向かう木の下。
向こうには青々とした草原と、さっきまでいた校舎の裏側が見える。
ふたりに案内されたところは、遊具もなにもない、ただひとつ朽ちたベンチがあるだけの公園のような場所だった。
(ここ、来たこと、ある)
岡崎くんの言葉を借りるならば、あたしは前者だった。
この場所に来たのは、はじめてじゃない。
もっとも、あたしが来たときは一面薄紅に包まれていたけれども。
指先を伸ばして、ふしくれだった幹に触れる。
外気はこんなにも蒸しているのに、ひんやりとしていて少し驚いた。
あのときも、こんな感覚を覚えた気がする。
幹の周りをぐるりとめぐる。
あの春の日と、同じように。
――薄桃。
花びら散る、木の下。
濡れたメガネと、白い声。
「なにか、探し物?」
葉のこすれる音とその声で我に返った。
声のするほうを向けば、寝そべる村田くんの隣に岡崎くんが腰を下ろしていた。
重なって共鳴する葉がきつい日差しをさえぎってくれるから、確かに昼寝をするにはちょうどいいかもしれない。
「前に、ここにきたときに、ちょうどこのあたりに子猫がいたの。真っ白くてちっちゃいやつ」
四月。
二年生になり立ての、春。
真新しいクラス。
中心にいるきらきらしたオンナノコたち。
代わり映えのしない自分がますます嫌になって、いつもと違う道を帰ったあの雨の日。
ふと入った路地を抜ければ、この場所にたどり着いた。
びっくりするほどむせかえる甘いにおいと、目の前を染める薄紅。
中心にある頼りない木に近寄って花びらに触れようと手を伸ばせば、足元に濡れた白い子猫がいた。
「それがすごくかわいくて。次の日も会いにきたんだけど、もういなくなっててがっかりし、」
そんな思い出を振り返っていたら、視線の先にいるふたりがにやにやと笑っていることに気がついた。
たんたんとひとりで語っていた自分がいたたまれなくなる。
なんでこんな話をしてしまったんだろう。
別に、そんなたいしたことでもないのに。
「……なに」
恥ずかしさをごまかすために、木の下に座り込んだ。
うっかり気が緩んでしまった。
失敗した。まったく、らしくない。
というか、こっち見んな。
そんな思いをこめて、ふたりをにらみつける。
「長田さん、猫好きなの?」
「オレはあゆ好きー!」
おい、あたしは動物か。
突っ込みをぐっとこらえて、猫は好きだと小声で返事をする。
ただそれだけなのに、ふたりがやけに嬉しそうにこっちを見るものだから対応に困る。
やっぱりメガネというフィルターがない分、視線を直接に浴びてしまってどうにもダメだ。
そもそもこのふたりは顔がいいんだから、見られるだけでなんだか胸が落ち着かない。
ざわざわとゆれる、頭上で茂る葉のようなココロ。
なんで、このふたりとこんなところにいるんだろう。
ざわめきが、眠っていたはずの疑問を揺さぶり起こす。
こういう状況にふさわしいオンナノコは他にたくさんいるのに。
このふたりに似合うのはクラスできらきらしているあの子たちだろうに。
これじゃ、クラスで何を言われたって言い訳ができない。
「なー、あゆも一緒に寝よ。こっちこっち」
村田くんがあたしの名前を呼んで、手招きしている。
本当ならこんなの、絶対にありえないはずだ。
「ああ、俺の制服、下に引いたらいいよ。こうすれば汚れないだろ」
「い、いいってば!」
わずかなためらいを勘違いしたのか、岡崎くんがシャツを脱ぎ捨てて草の上に敷く。
中に着込んでいたTシャツから、むき出しの腕が日にさらされて目のやり場に困った。
あわてたように村田くんまで同じ行動を取るものだから、ますます。
別に、地べたに寝転ぶくらい気にしないのに。
身の回りにすら気を使っていないあたしが、こんなオンナノコ扱いしてもらう理由がわからない。
「あゆ」
「長田さん」
用意されたあたしの場所。
ふたりの、あいだ。
こんなゼイタク、バチが当たるに決まっている。
そう、ちゃんと。
わかって、いるのに。
「そんなの、いらない」
ふたりのそばに寄って、敷いてあったシャツを投げ返した。
「いくら暑いっていても、お腹は冷やしちゃダメでしょ。あたしはこのままで平気」
顔を背けて、そのままカラダを投げ出した。
頬が焼け焦げそうに熱いのは、間違いなくこの気温のせいだ。
耳をつんざくほどの鼓動も、小刻みにふるえる指先も。
呼吸が落ち着かないのも、ぜんぶ。
予想以上にやわらかい草と胸を満たすような青のにおい。
目の前に広がるのは空の色だけのはずだったのに、両脇のふたりが寝そべるあたしをのぞきこんできた。
「長田さんって、世話焼きタイプ? おかーさんみてえ」
「やっべ、もうマジでたまんねー! 抱きしめていい?」
かみさま。
ほとけさま。
教室のかわいいあの子たち。
このふたりにあこがれているオンナノコたち。
今日だけにするから、このゼイタクをゆるして。
バチが当たるのは覚悟するから、どうか。
いまだけは。
「岡崎くんは笑いすぎ! 村田くんの意見は却下!」
飲み込んでばかりいた言葉は音に。
声になってこぼれたものに、真上のふたりはまた嬉しそうな顔を浮かべていた。