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act.23 ペナルティゲーム―夢見る子犬のワルツ。





「あゆはさー、オレのことキライだろ」


重苦しいほどの沈黙をやぶったのは、いつもの間伸びした甘ったるい声だった。

というか、いきなりそこからはじめるのか。


「図星、だろ?」


正面にあるのは、ヘタクソな笑顔と泣き出してしまいそうな子犬の黒目。

干上がったような笑いが吹きつける風にかき消されていく。


図星なんかじゃない。

第一、心底嫌いだと思っていたらここにいるわけがない。


あからさまに無理をしている村田くんの態度が分かりやすすぎて、胸がちくりと痛んだ。


「あゆはショージキだよな。顔にすぐ出るし」


どうやら、完全にあたしが村田くんを嫌っていると思い込んでいるらしい。

それならそれで構わないと、訂正はあえてしてやらなかった。


「オレんちのひとたちも、あゆと同じですぐ顔に出るんだぜ。嬉しいとか楽しいとか、――オレがジャマだとか」


最後のひとことに、思わずカラダが反応してしまった。

いま、信じられない言葉が耳を通り抜けた気がする。


ジャマ? だれが? 

この校内の有名人で人気もので、女の子に騒がれているこのひとが?

まさか、冗談でしょう。


確実に動揺が表れているだろうあたしの顔を見て、村田くんは笑い声をこぼした。


「オレに話しかけてくる女の子たちは誰もオレのこと嫌ってねえし、すきすきーとかかわいいーとか、そんな甘ったるい顔すんの。だから一緒にいるとキモチよかった」


風に流された前髪に隠れる大きな瞳。

子犬のように黒目の範囲がやたら広くて、みんながこぞってかわいいともてはやした。


あたしだって、そう思った。

身長に見合わない幼い顔立ちにあんな目を持っていたら、だれだってそう思うに決まっている。

その中に潜んでいるものなんて、考えもせずに。


「イヤなことがあったらそこに逃げてた。たとえそれが、少ししか保たないモノだったとしても」


ムラムラの村田。

校内のだれもがその名前を知っていて、彼をそう呼ぶ。


彼と付き合うことは女子にとってのステイタス。

彼と友達だということは男子にとってのステイタス。


来る者は拒まず、去る者は追わず。

たとえ泣きを見ても岡崎くんというしっかりした友達のフォローがある。

だから、村田くんに関しての悪いウワサはほとんどなかった。


『お前、全部話せ』


岡崎くんはなにもかも知っていた。

だからこそ、村田くんがただの遊び人になってしまわないように助けていたんだ。


まるで殴られたような衝撃を受けて、返事もできない。


あたしとまるで違うセカイの住人。このひとのことをそう思っていた。

足元でひかりを放つ境界線の向こうは楽しいばかりなのだと、ずっと思いこんでいた。


「大地の家で遊んでたときに電話あったろ? あれ、いま世話になってる家からで、帰ったらすげー迷惑そうな顔されてたまんなくなった。だから学校サボって遊んでたんだ」


風が彼の髪をなびかせて、あたしのスカートをも揺らして遠ざかる。


草のざわめく音がうるさかった。

うるさくてうるさくて、たまらなかった。

声を落としていく村田くんの言葉がいまにも消えてしまいそうで、たまらなかった。


「サボってたらムナシイのなんのって。一瞬だけ楽しくても、すぐにダメになんの分かってっからなおさらなー」


その手に、痛いくらいの力が入っているのが見えた。


強く、強く。きつく、きつく。

なにかを耐えるように握り締められていく手。


「そしたら、すっげーあゆに会いたくなった。だけどあゆはオレのことキライだろ。だからしかたなく、声かけてきた知らねえ子と遊んだんだ」


ごめんなという声が、最後に風に混ざって聞こえた。


あやまる必要なんてない。あたしも、怒る権利なんてなかった。

だって、これまでずっとこのひとを突っぱねていたんだから。


きらいだって、迷惑だって、なんであたしなんだって。

そんな感情を丸出しにして。


そのたびに村田くんは笑ってあたしの名前を呼ぶから、気がつかなかった。

あたしはどれだけ、彼を傷つけてきたんだろう。


ひどいこと、いいまくった。

多分、絶対にいったらいけないことまで平気で口にしていた。


なのに、どうして。


「だったら、あたしなんてやめればよかったのに!」


抑えきれなくなったものが、あふれ出した。


嫌われていると知っていて、どうしてこれまで一緒にいたんだ。

なんで、告白なんかしてきたんだ。

なにも知らないあたしは、きっと何度もこのひとを傷つけてきたのに。


うつむいていた顔を上げた村田くんは、また下手くそな笑いを浮かべた。

へらへらと、ばかみたいに甘ったるいいつもの顔をして。


なんで、ムリして笑うんだ。

そんなんだから、気がついてあげられなかったじゃないか。

こんなひどいあたしなんかさっさとやめて、彼を求めるかわいい女の子たちのところにいればよかったのに。


一瞬だとか、そんなことを言っていたけれど、そんなわけがない。

村田くんが望めば、あきらめずに手を伸ばしてくれる子はいるはずだ。

そのことを、このひとは知らないだけ。


あたしじゃなくて、もっと優しくてもっとかわいい、他のだれかが彼のそばにいてくれれば。

そうしたら、そんな顔も思いもしなくてすんだのに。



「あゆじゃなきゃ、だめなんだ」



その声に、言葉に、泣きそうになった。


ここで泣くのはずるくて、卑怯で、傲慢だ。

本当に泣きたいのは、目の前のひとのはずなのに。


ぶわっとにじんでこぼれそうなものをこらえるために下を向いた。

てのひらをかたく握り締めた。


泣くな。

まだ、全部きいてない。


いちばん知りたかった、肝心なことをあたしはまだ聞いてない。


にぎりしめた手に何かが触れて、顔を上げた。

目の前の村田くんが、わずかに触れたその手を引っ込めてまた笑っていた。


いままでなら、抱きついたりしてきたくらいだったのに。

どうして急に触ってもくれなくなったのか。


離れていったものにつめたさを感じて、からっぽの手をさらに強く握り締めた。


「なんで、さわんない、の」


気持ちの悪いセリフだと思った。

これじゃあ、触ってくれといっているようなものだ。


いままであれほど嫌がっていたくせに。


「だってあゆからの罰ゲームは、触るなとか近寄るなとかだろ?」


ああ、そういえば。

ゲームに勝ったら、そんな罰ゲームにしようと思っていたんだっけ。

あのときも顔に出てると、そういわれて笑いあった。


でもまだ、あたしはそれを口にしてない。

あのペナルティは、ここに残ったままなのに。


「オレね、あゆの手がめちゃくちゃすきなんだ」


返事もできずにいたあたしを残して、唐突に彼は口をひらいた。

胸の前で自分の手を握ったりとじたり、なにかを確かめるようにくり返して。


なんだそれ。

はじめて、きいた。


「あゆはオレのことキライだけど、猫のことすきだろ? だから、ずっとあの猫になりたかった」


あの猫?

いったい何の話なのか、わからない。


それなのに、ずっとウソ笑いばっかり浮かべていた村田くんが嬉しそうな顔をしている。

細められた子犬の目が、あたしを捕らえて閉じ込めていく。


「雨の中でカサもメガネもカバンもぶん投げて猫をだっこしたあゆは、すんげー大事そうな顔しててさ。うわ、いいなって思った」


雨のなか。白い子猫。

重たいカバンに濡れたビニール傘。うざったいメガネ。


春先の、この原っぱ。

濡れたメガネ、長すぎるスカート。


薄紅の散る、あの日。


なんで猫を抱き上げてたことを知っているんだ。

カバンを投げたことも、傘を投げたことも、メガネを投げたことも。

あたしは、そこまで話してない。


ここで、猫に会ったとしかいってない。



「あのてのひらが、あの子が、オレのものになったら。もう死んでもいいやって思った」



――きみのその手が、ぼくのものになりますように。



脳裏をかすめたのは、手紙の最後の文。

目の前で、あの日の薄紅が落ちていく。



「あのときからオレは、あゆが欲しくて欲しくてたまんなかったんだ」



ひらひらと舞う桜の花びらが、かすかに見えたような気がした。








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