act.17 3人の魔法使い。
「……目、いたい」
「そりゃあんた泣きすぎだって。マジでビビったんだけど」
「てっきりあたしたちが泣かせたのかと思ったんだからね」
「はい、あゆちゃん。それにしても、優しいお友達ねえ」
ナカちゃん、ちょっとそれ誤解。
渡された冷たいタオルを顔に押し当てて、すきまからふたりの反応をうかがった。
何かがはじけるように教室で泣き出したあたしを保健室まで引っ張ってきてくれたのは、クラスの中心グループ、さっきまで机を取り囲んでいた内のふたりだった。
ひとりは村田くんの元カノだといっていた片岡さん。
もうひとりは一年のときに同じクラスだった岩槻さん。
ふたりとナカちゃんによって介抱され、そのかいあってか止まることのなかったナミダはようやくおさまり、気がつけばとっくに授業は始まっていた。
片岡さんと岩槻さんはいまだあたしを取り囲むようにそばにいて、その手は髪に、背中に当てられたままだ。
友達なんかじゃない。そんなわけがない。
このふたりだってあたしからすれば遠い存在で、しかもあの苦手なグループの子。
今日はたまたま話していたからここに連れて来てくれただけであって、本当は迷惑だと思っているに違いない。
顔に押し当てたタオルの下でかたく目をつむった。
耳に痛い言葉が投げつけられるのを予想して。
ところが、投げつけられたのは言葉じゃなくて細い腕。
両肩にわずかな重みを感じたと思ったら、そのまま引き寄せられた。
「ったりまえじゃないですか。女の友情はカタイんですよ」
「でも、泣き止んでくれてよかった」
あれ。
なんでそこで友達発言を否定しないんだ。
反射的にタオルから顔を上げれば、両脇にふたりの顔。
思わず首を振って左右を確認すると笑い声が降ってきた。
「あたしら、今日から友達だから」
「あのふたりに関することならまかせてよね」
がっしりと肩を掴まれて、そう高らかに宣言された。
どうやらあたしは、最強の味方を手に入れたらしかった。
「タカヤが校門前で誰かとキスしてるところを見たあ!?」
「片岡さん、ここ、保健室ね」
ナカちゃんの突っ込みがさえ渡る保健室、いちばん奥、ベッドの上。
本日の利用者は少ないらしく、この時間はあたしたちだけ占領するカタチになっていた。
ふたりにはさみうちにされ、なすすべもなく引きづられ、事の次第を問いただされることしばらく。
あまりのしつこさと会話の巧みさについ口がすべれば、片岡さんがすっとんきょうな声を上げた。
「で、岡崎くんが手を引いてその場から連れ出してくれたのね? これはいつもの受け皿なやり口に近いかも」
岩槻さんが考え込むように手を口元に当てて、そうつぶやいた。
あちこちに手を出す村田くんのフォローを岡崎くんがする。
そしてそのまま、というあのふたりの王道パターン。
これはどう考えてもそのパターンに当てはまっている。
やっぱり、ふたりにからかわれていたとしか思えない。
「でも待ってよ。そのあとすぐタカヤはあんたを追いかけてきたわけでしょ。そういうのっていままでありえなかったよ」
「追いかけてきたっていうか、会いたかったとかいわれて、ぶん殴ってきた」
「ちょ、あゆ。あの村田くんを殴ったの?」
「っぶ、」
岩槻さんが驚いた表情を隠しもせずあたしに視線を向けた。
一方の片岡さんは、噴き出していた。
「あんた最高! いいわー、マジで。いままでおとなしい子だってしか思ってなかったけど、よくやった。あの顔を殴るなんて、そんじょそこいらの女にはできないよ」
肩を何度も叩かれて、とてつもなくいたい。
くるくるの巻き毛に長いまつげ、こんなどこかの雑誌モデルみたいな子が大口あけてバカ笑いをしているなんて、男子が見たら卒倒するんじゃないだろうか。
女ってこわいとあらためて実感するも、褒められて悪い気はしなかった。
「それにこの連日、あゆみを探し回っているふたりの行動もこれまでだったらありえなかったよ?」
「それは、中途半端にあたしが逃げてきたせいで、」
岩槻さんの分析は続き、反論したくても手持ちの材料が少なくて口ごもってしまう。
あのふたりのウワサ、特に村田くんのウワサを考えれば、いまのこの状況はありえないものなんだってことくらい、自分にも分かる。
でもその意図がつかめない。
あたしは、自分にそこまでの価値を見出せない。
「あたしはかわいくもないし、むしろ地味でダサくて、空気みたいに過ごしてたから、あのふたりがなんで追いかけてくるのかすら分かんないよ」
足元にかけてある布団の端を掴む。
これは本当の気持ち。
どうしてあたしなんだろうって、ずっと考えていた。
周りだってそう思っているに決まっている。
だってあたしは、あのふたりとあまりにもちがいすぎる。
「ふたりが変わったのはあたしのせいじゃないよ。あたしなんかにそんなすごいトコロなんてない」
『あの村田』で有名な天下無敵のベビーフェイスと持ち前の明るい性格で人気の遊び人。
教師までもが頼りにする優等生で、『あの村田』のフォロー役と呼ばれる校内公式友人。
そのふたりを変えたのはあたしじゃない。
ただ一緒にいただけて、それ以外は何もしていない。
むしろこんなあたしを変えてくれたのは、あのふたりだ。
いまだ戻ってこないプラスチックのダテメガネ。
外すことができたのは、強引なやり口だったけれどあのふたりのおかげにはちがいないのだから。
「あゆ」
片岡さんの声が耳に入る。
つい語ってしまっていた自分に気がついて、ばつ悪く顔を上げた。
はずかしい。
いくら友達宣言をされたからとはいえ、突然こんな話をされたら引くに決まっている。
けれど、向けられていたのは熱いまなざしとそのキレイな顔だった。
「あんた、自分に自信なさすぎ」
その指が頬に伸びて軽くつままれる。
痛くはないけれど、その真剣な目から顔をそらすことができない。
「最近のあんたはかわいくなったよ。それはあのふたりのおかげなんでしょ」
なんで、目の前の片岡さんが泣きそうな顔をしているんだろう。
あたしがかわいくなった?
そんなの絶対にありえないのに。
そう思っていると、ふいに反対側から伸びてきた手に髪の毛をすくい取られた。
「髪は痛んでないし、肌もキレイ。いつも隠してるけど、足だってもっと出せばいいのに。一年の頃はけっこう努力してたじゃない」
岩槻さんが確かめるように髪を流した。
たしかにこのふたりのようになりたいと、思ったときもあった。
あの頃はあこがれていたものがあって、でも決してそうはなれないのだと思い知らされた。
あたしは、そっち側にはいけない。
ふたりみたいにはなれない。
足元に見える境界線はあまりにもまぶしくて、越えることなんてできない。
「誰に何をいわれても関係ないじゃない。自分は自分でしょう。あのふたりが追いかけてるのはあゆなんだから」
「あんたは疑ってばっかでちゃんと聞いてもないんでしょ。対等に話せるように自信つけな」
ふたりの声が次々と降って落ちて、ココロを揺らす。
足元でひかるラインの前に、差し出されるふたつのてのひら。
「あのふたりにがつんとかましておいで! あたしのことが好きなら浮気してんじゃねーよってね」
「からかわれてると思うなら、見返してやればいいよ。あたしたちが協力してあげる」
言われていることが突拍子もなくて、なんて返事をしたらいいのかわからない。
だけど、いままでこんなこと、言われたことなかった。
にぎりしめるてのひらに、力がこもる。
「ヘアブラシとかヘアピンとかヘアゴムとかくらいなら用意してるわよ?」
目の前で音を立てて開かれるカーテン。
その向こうでは、ナカちゃんがヘアブラシを持って立っていた。
なんでそんなものがここにあるんだ。
というか用意しているって、どういうことだ。
「あゆがかわいいってこと、証明してあげようじゃない」
「腕が鳴るわー! メイクならまかしときな」
あたしの疑問はさておき、差し伸べられたのはみっつのてのひら。
それを跳ね除けることなど。
「は、はい……」
やっぱり、できそうもなかった、のだった。