act.11 孤独な夜を飛び越えて。
「――で、まさかヤ」
「ってない!」
「オレ、ちゅーすらガマンしたんだぜ! えらくね? えらくねえ?」
夕暮れ。赤に焦げる空の下。
ちかちかと目覚めはじめた星をゆらす風の音。
振り上げたあたしのこぶしは、みごとふたりの頭に命中した。
目を覚ませば、ぼんやりとしたなかにふたつの影が見えた。
ゆらゆらと揺らめくそれを見定めようと目をこすれば、耳をかすめたのは笑い声。
はっきりとしてくる視界。
クリアになっていく思考。
そして、あたしはようやく把握したのだった。
ふたりに寝顔を見られていたのだという、現状を。
「普通、黙って見てる!? なんで起こしてくれないわけ!」
頭上で重なり合う葉がかさついた音を立てるなか、この声だけが無人の公園らしき場所にむなしく響き渡る。
信じられない。ありえない。
頭に血が上って、目の前が染まった。
なんで寝てしまったんだろう。
しかも、村田くんの腕におさまったあの状況で。
「だって、せっかくオレの腕のなかで寝てんのに起こすのもったいねーじゃん!」
「孝也と抱き合って寝てる姿がショーゲキ的で、どうしようか悩みました」
生温い風に揺れる草の上。
ベビーフェイスを緩ませて、にやにやと笑う村田くん。
同じく口の端でこらえるように笑う岡崎くん。
ふたりを正座させて問い詰めること数分、反省の色はこれっぽっちも見られなかった。
このやろうどもめ。
「やっべー、いってー。あゆに叩かれたんだけど」
「お前、そっちのケあるだろ? 俺は純粋に痛い」
ふたりのやり取りを無視して、まだわずかにかすむ目をこすった。
何度確認しても、どうやらこの状況は夢じゃないらしい。
夢だったら良かったのに。
いったいあたしはどれほど寝ていたのだろうか。
とにかく恥ずかしすぎて、いたたまれない。
空はいつのまにやら濃縮オレンジに変わっていた。
熱気を含んだ風が、むき出しの腕や足にまとわりついて気持ちが悪い。
メガネがない状態で見る空は、すきとおって見えた。
たかだか薄いプラスチック一枚なのに、どうしてこんなにも違うのだろう。
目線で空をなぞっていく。
幾重にも重なる葉の向こうに見える校舎は燃えるような赤。
窓ガラスが反射して、うつしだされるセカイの色。
「あゆー?」
正面で名前を呼ばれて視線を戻した。
逆光でよく表情が見えなくて、目を凝らす。
「長田さん?」
いつのまにか勝手に立ち上がったらしいふたりの長い影が、足元で揺れる。
あたしの影はそのあいだを抜けて木の幹へと伸びている。
校舎の奥から、やってくるのは夜。
静かに目を覚ます星月。
それよりもまぶしいのは、目の前のふたつのひかり。
やっぱり、どうしても考えてしまう。
なんで、あたしはいま、このふたりといっしょにいるんだろう、と。
こんなふうに学校をサボって、寝そべって。
寝顔見られて、くだらないケンカをして。
こんなの、ありえないはずだった。
あたしの日常はただ穏やかに、つつましく、いつのまにか終わってしまうはずのものだった。
こんなふうに、影が並ぶわけがなかった。
生きる場所も立ち位置も、何もかもがかけ離れているのに。
あたしはこっち側。
このふたりは、向こう側。
目の前には、鈍く、それでもはっきりとひかりを放つ境界線。
どうして、このふたりは、あたしなんかといっしょにいるんだろう。
「なー、ハラへんね?」
「……すいた、かも」
間延びした村田くんの声で我に返る。
泣きそうになっているのをごまかすために、お腹をおさえてうつむいた。
近づいてい来る夜はひとを感傷的にさせて、どうにもだめだ。
あたしはちゃんと自分の位置を割り切っているのに。
ちくちくと胸の奥でうずくものを振り払うかのように顔を上げる。
「あゆはなに食くいてえの? メシ行こ! 大地んトコ!」
「お前は金払え」
「ええ! ひっでえ!」
夢を見そうになる。
あこがれていたものを、このふたりがくれそうな気がして。
きらきら。
きらきら。
足元でこんなにもはっきりと線が引かれているのに。
そこから踏み出すことはいけないことなのだと、わかっているのに。
「あゆ、行こうぜ」
「俺んち近いから、行こうよ。長田さん」
向こうでふたりがあたしを呼ぶ。
ふたつのてのひらが伸ばされる。
止めるならいましかない。
だけど。
この手を払いのけることなんて、やっぱりできそうもない。
両手を伸ばす。
ふたつのてのひらの上に、重ねて弾く。
「い、く!」
あたしはラインを越えて、その向こう側へと飛び込んでしまったのだった。