咲いた椿と咲かない梅の花
俺には気になる言葉がある。
事実は小説より奇なりという言葉だ。
俺はたまにふとこの言葉が気になる。はたしてこの『事実』が他の人の言う『事実』と異なる時、どれほど奇妙になるのかと。
曇りと晴れの中間という曖昧な空を見上げる。やはり、傘は要らなかったか。天気予報が雨マークだったのでなんとなく持ってきてしまったのだけど。
やっぱり邪魔だよなあ。なんて思いながら片手に持った傘を持て余しながら歩く。
真新しいアスファルトの上に綺麗に白線が引かれている。その内側を白線に沿って真っ直ぐに歩き、踏切を渡る。
ちょうど渡りきったところで踏切がカランカランと警告音を出し、電車の近づいてくる音がする。
だんだんと近づいてくる音にうるさいなと思いながら、更にその先へと歩いていこうとした瞬間。
「一緒に来て」
そう聞こえて振り向いた。あるのはしまったままの踏切と去っていく電車だけ。他には何も無い。またか。
またか、と思うからには前にも同じようなことがあったという事だ。前にもあったというか、昔からずっと、って感じだけど。
俺には昔から他人には聞こえない音が聞こえたりした。それはとりのいないところで聞こえる鳥のさえずり。不思議な調子の音楽や歌声。呪われろと繰り返す女の人の言葉。夜中のトイレで鳴り響くトランペット。先程の「一緒に来て」等々。
そんなものばかり聞いていたら周りに後ろ指さされるのは当たり前。
他の人にも聞こえているのか、聞こえていないのか、それが分かるようになるのにだいぶかかった。未だに完全に聞きわかける事は出来ていないけど。
でもそれだけでだいぶ生きやすくなった。未だに人ごみは苦手だし、人づきあい悪いし、人見知りが激しいけど。
そして高校生に入って、俺の聞こえている世界を見ている人に出会った。そいつは相澤。同級生の少し天然入ったいい奴。
一緒に来て
さっきの言葉が耳に残っている。俺はなんとなく視線を下げると、電柱の隅に隠れるように萎れかけた花束と雨に打たれてくったりとしたお菓子の包みがあった。
そういうことかとなんとなく察して俺は傘を脇に置いてそこに1人手を合わせた。聞こえると言っても俺は単なる高校生。出来ることと言ったらこれくらいだ。あいつが入ればまた違ったかもしれないが。
相澤との待ち合わせの公園に入る。ついつい早く来すぎてしまったらしい。時計を見るとまだ三十分は余裕がある。さてどこで時間を潰すか。
こんな微妙な天気の日は運動しやすそうだ。暑くもなく寒くもなくて。キャッチボールをしている家族や、練習試合をするサッカーチーム。マラソンをする人などなど。そう、この公園広いだけあって人が多い。
……三十分もあるんだ。少しくらい人の以内ところへ避難してても大丈夫だろう。
人がいない所、と言うと必然的に日陰が多くなる。日陰、というか薄暗い所というか。
そういう所に行くと今度は向こう側の住人が多くなる訳で。
「素敵素敵」
「いいな、ほしいな」
「ちょいと貸してくれません?」
「少しでいいの」
「ねぇ、ちょっとだけ」
「「あなたの目玉をちょうだいな」」
なんて言葉が聞こえてくるわけだ。こういうやつは大体、関わるとろくなことがない。
だからその言葉をまるっと無視する様に、まるで聞こえていないように、歩く。出来れば走って逃げ去ってしまいたいがここは我慢、我慢。
「酷いわ」
「えぇ、とっても酷い」
「聞こえてる癖に」
「見えている癖に」
「貴方はとっても酷い人」
……我慢だ我慢。
もう少しで確か老人立ち用の健康遊具の乱立する所に出るはずだ。だから頑張れ。
そして一つ言わせて欲しい。俺は聞こえはするが、ほとんど見えはしないんだ!
「酷い人。あなた酷い人」
「酷い酷い」
「なら」
「「祟っても別にいいわよね」」
無視だ無視。
祟るだの、呪うだの、取りついてやるだの、不幸にしてやるだのはこいつらはよく言ってくる。それでも立ち去ってしまえばそういう事にはならない。経験則的に。
逆に立ち止まったり、一瞬でも振り向いたりしちゃいけない。そうするとだいたいひどい目にあう。……因みに経験済みだ。嫌でも覚えるくらいに。あぁ、傘が邪魔だ。やっぱり持ってくるんじゃなかった。
そうして歩いていくとふっと声が聞こえなくなった。どうやら彼女達のテリトリーから無事に外れたらしい。良かったと一息付いて、前を見るとそこはいかにもな感じの池。
ここの公園にこんな所、あっただろうか...…?
俺は聞こえるだけだ、というのは実はちょっぴり嘘だったりする。全く向こう側が見えない訳では無いからだ。確かに普段は全く見えない。ただしそれなりに強いモノや場所に『呼ばれる』と見えたり触れたりする、らしい。地元の神社の他称神様がそう言っていた。
周りを見渡すと、苔むした岩に足を取られそうな地面。それに濁って深さのわからない静かな池。それとうねりながら立っている木々。正直言うと怖い。
ここはそれなりに管理されている公園な訳で。となるとやはりここに『呼ばれた』という事なんだろう。
『呼ばれる』といろいろと大変な目に合わされる。から、逃げたいんだがどの方向に逃げればいいのかも分からない。
池を見る。1枚の大きな蓮の葉がある以外は何も無い。波一つも立てずにずっと同じ濁った緑色が続くだけだ。
することも無く、というか分からないのでやりようが無く、池を見つめていると、ぽちゃんと池の水が跳ねた。
と同時に笑い声が木霊する。四方八方から聞こえてくるこの声はどこから聞こえているのか見当もつかず。しかも耳を塞いでも聞こえてくるもいう有様。これは結構くる。
耳がキーンとするこの状況にしゃがみこんで耐えること数分。いきなり笑い声がピタリと不自然に止んだ。耳に手を当てたまま、ゆっくりと顔を上げてみる。
そこには先ほどと変わらない風景が。変わった所と言うと水面に動きがあるくらい。なんというかアメンボが移動している時の水面の感じ。
きっとそこに何かがいるんだろう。俺には見えない、という事なだけで。
「お主」
低いけど、どこか哀しそうな声がする。と言ってもやっぱり姿は見えない。
「おい、そこのお主じゃ」
そんなふうに言われてしまうと少し腹が立つ。
池の、特に水面が揺れている部分を積極的に見ているのだけど、やっぱり違うところにいるのだろうか。
そもそも聞こえているやつは見えているはずだ、というこの先入観どうにかならないだろうか。いつもこれで誤解されたりするんだが。
「おい、こっちを向けと言っておるのだ」
「すいません、見えないんですけど」
「お主、何を言っておるのだ。私は先程からずっと主の前にいただろうに」
「だから俺見えないんですよ、貴方みたいなの」
何でいつも理解されないのだろうか。あぁ、でも毎回こうやってイライラしてしまうのは良くないよな、短気だよな、なんて頭の隅で考えながら。
相変わらず俺の目は揺れる水面を映し出すだけだ。
しばらく、無言の時が続いた。俺は睨みつけるように水面を見続け、向こうは存在をアピールするかのように激しく水を動かす。その内こちら側に水しぶきをかけるようになってきたので傘でガードする。黒い頑丈な傘に行く手を遮られた水が跳ね返っていく音がする。
まさか晴れの日に傘を使うことになろうとは。
「お主、ここまでされてやじゃないのか」
「嫌ですよ。服まで濡れてますし」
「なら普通こちらを睨むとか何とかするじゃろう」
「だから、見えないんですって」
何でいつもこうなんだろう。まぁここで言っててもしょうがないけど。
「ふん。どうやら本当のようじゃな」
納得したのかしてないのか。声の主は水をかけるのを止めたようだから、一応、納得はしたようだ。
「一つ、頼みごとがあって招いたのだがのう。お主、今一体何が見えておる?」
「緑色の濁った池。変にうねった木。苔ばっかりの地面。」
「ワシは?」
「見えない」
そう、最初から言っている。
「木に引っかかった鞠は見えておるかの?」
「どこにあるヤツ?」
「アソコにあるやつじゃ、あそこの木」
「だから見えないんですって」
「あぁそうじゃった。自分の姿が見えぬというのは意外と不便じゃ」
困ったのう、という声と共に水面が動いている。俺にわかるのはそれだけなんだからしょうがない。
「此処の木は全部枯れているのか?」
声が困ったのうとひたすらに繰り返しているだけなのが流石に不憫に思えて、どうでもいい質問をしてみた。
「いや、拗ねておるだけじゃ。ここは誰も来なくなったからの。花を咲かせてもつまらんと思っているのじゃろうな」
「木が拗ねてる?」
「おう、そうじゃ。此処にはワシしかこないからの。そりゃあへそを曲げるわのう。元は皆が自慢する立派なもんじゃたもんだから」
なんとなく、懐かしいんでいるのだろうな、と思った。思っただけで違うのかもしれないけれど。結局、姿が見えないのだからわかりようがない。
「何の花が咲くの?」
「梅じゃ。これは見事な紅梅を小奴らは咲かせるのさ」
「へぇ」
なんとはなしに近くの一本の木に触れてみる。表面が所々むけていたりコブがあったりして、いかにも古そうな木だ。
「それじゃ。その木じゃ。その木に鞠が引っかかっておるのじゃ。」
「そうじゃ、そうじゃ」
水が嬉しそうにはねる。
「とってくれ。な、その木の上の方に引っかかってしまったのじゃ」
「やだよ。何で俺が」
「そんな、ここまで期待させておってか!?」
水しぶきが水柱ぐらいにはなった。危ない。
「期待も何も俺やるとは一言も言ってないし」
「で、でもでも」
いきなり水が大人しくなって、やがて波紋一つもなくなってしまった。
「じゃ、じゃあこうするのじゃ。」
しばらくの沈黙のあと、声がぼそぼそと小さな声で主張する。
「と、とってくれたらここからかえそう。それでどうじゃぁあ!!」
「嫌だね」
「なんでじゃっ」
「じゃあ、こうして。鞠を地面に落とせたら帰して」
「地面ではなく池にしてくれないかの?」
「それでいいよ。じゃあ絶対返してね」
「判った。保証するのじゃ」
まぁ、いいか。口約束だから少し心許ないけど。
そもそも返してくれるかは向こうの匙次第だし。
鞠が引っかかってる(と言われた)木に足をかける。こう見えて木登りにはちょっとした自信がある。何故なら妖怪達から隠れるのに結構便利だったから。なんて自分で言ってて悲しくなる理由だけど。
思ったより順調に登っていけた。……途中までは。
「どうしたのじゃ?」
いきなり止まったまま進まない俺を心配するかのようなその声に困ったことになった、と答える。
実は思ったより木が細くて心許ないのだ。
もう少し近くまで行けると思ったんだけどな。少し太ったかな、俺。
やっぱり引き篭もってたらいざって時にやばいよなぁ、なんて半ば現実逃避のような事を考えていると、あるものが目に入った。
それは傘だ。晴れてるくせに天気予報を信じて持ってきてしまった、無用の長物。
身長に合わせてそれなりに長いヤツだ。その代わり、洒落っけが全く持ってないが。
とりあえず、やれることはやってみる事にした。
一回降りて傘を持ったまま再び登る。流石に少し登れるか不安だったけどどうにかなったから良かった。
片手に傘を持って適当にぶん回す。どこにあるのかさっぱりだからしょうがない。下でなんだか、あぁ惜しいもう少ししたじゃあ!とか、ぜんぜん違うのじゃ、うえじゃうえー、とか聞こえてるけど。まぁ、たまにくる惜しいの声がかかる所を重心的に。
そうやって暫く傘を適当に振り回し続けること、数分。傘が何かにひっかかった。そんな事想定していなかった俺はバランスを崩す。
「やばい」
落ちる。
手が枝を手放す。
見えたのは満開の梅の花。赤い小奇麗な梅の刺繍がされている鞠。それとウインクする大きな赤い鯉。
そしてその鯉が俺が池に落ちる寸前に尾びれで俺をふわりと撫でた。
…………そんな気がした。
気がついたら俺はなんと整備された公園の一角につったっていた。遠くで家族連れの和気あいあいとした話し声が聞こえる。まるでさっきまでの光景は幻だったみたいに。いかにもあっけなく。
一気に現実に引き戻されたら、実感がわかないじゃないか。なんて文句を言いつつ、あいつの元に合流しようと歩きだそうとして、見つけた。
立派に育った葉に埋もれてそうな季節終わりでなお咲いている奇妙な一輪の椿の花を。
寂しそうだけど、凛とした姿勢の赤い椿。
それはまるで、あんなに文句ばかり言っていたのに、最後には助けてくれたあの声の主みたいで。
なんとなく近寄ってみても何も起こらない、単なる椿。触ってみても何も起こらない。
当たり前だ。
それは分かっている。
よくわかっているつもりだ。
いつもこうだ。存在していると断言するには証拠があまりにも無く、幻と言い切るにはその存在はあちこちに散りばめられているようないないような。
慣れてるけど。
割り切るしかないのだ。
彼らはそういう存在なのだと。
この奇妙な現実はそういうものなのだと。
最後までお読み下さりありがとうございました。
この話は連載にしようと思ってできなかったヤツを切り取ったものなのですが、なかなかに愛着があります。いつかこの主人公が待ち合わせをしていた奴の方も皆様にお見せできたらいいななんて思っていたりします。
あ、でもあんまり期待しないでくださいね。