ボス、分かりました!
詰所から駆りだされた衛士たちの一団が走っていく。その先頭にはジーナがいた。まだヘルツォーク氏の顔のままだ。
「ジーナ、見つかったかい?」
ジーナは一瞬だけふだんの顔に戻って首を横に振った。
「まだです! これから城門へ向かいます」
「よし、ぼくらは港へ行く。あとで合流しよう」
「はい!」
数秒後、衛士たちが走っていった方角から悲鳴と怒号が上がった。
――クソ、なんでこんな処に衛兵が! てめえら俺たちをハメやがったな!
――知らねえよ! 今夜はこっちの路地には巡回がないって、調べがついてたから取引場所に……
――よぉし、貴様らいい度胸だ! 全員もれなくお縄につけ!
どうやら禁制品の闇取引現場に出くわしたらしい。可哀想に、ニューコメン男爵は明日からもまた忙殺されることになりそうだ。
「こ、これは勇者シワス様!」
港湾管理事務所に飛び込むと、男爵お抱えの管理官がぼくを認めて目を白黒させた。
「お珍しい。日頃はとんとお見かけしませんでしたが」
「それを言われると面目ない……ひっそり暮らしてるもんでね。ともあれ今夜は、あなたの協力が必要なんだ」
事情を説明すると、彼はすぐ分厚い記録簿を持ってきて、最新のページを見せてくれた。
「……夕刻からこっち、港を出た船はありません。今ここにいるのはほとんど漁船ですからね」
黒竜王は討伐されたといっても、いまだに夜の海は危険度の高いモンスターが出没する物騒な場所だ。だから夜間に出航する船は少ないし、出航できるとすれば間違いなく軍船や特殊な装備を持つ船なのだ。
「それなら話が早い。今港にいる全ての船の出航差し止めと、臨検をお願いします」
衛士と管理事務所の所員たち、それに僕の妻たちがいくつかのグループに分かれ、灌木のように枝分かれした埠頭の隅々へと散っていく。ぼくも肩にクレアムを乗っけたまま、数隻の船を覗いて回った。
港の外縁部には武装した軽ガレー船がランタンをあかあかと灯して浮かんでいる。不審な船が出ていこうとすれば、即座に追いすがって斬り込む構えだ。
二時間ほどを費やしたが、しかし成果は上がらなかった。大部分の漁船は空っぽ。大きな船の船室に残っていたのはせいぜい陸から持ち込んだ酒で酔いつぶれた船員か、ビスケット一枚のごまかしも見逃すまいと血走った目で貯蔵品のリストと現物を照らし合わせる商船の主計係くらいのものだ。
「これは、どうやら港はハズレですかね――ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ、シワス様のご要請とあらば。念のために船員がよく使う宿なんかも確認しておきますか」
「ええ、ぜひ」
笑顔で管理官と握手を交わし歩き出した時――頭の中に電光が走った気がした。
「どうしたのだ、シワス」
ふいに立ち止まって俯いたぼくに、マーガレットが訝しげに声をかける。
「ああ。ひとつ大きな見落としに気づいた気がするんだ。僕らはヘルツォーク氏が論文の原稿を持って速やかに町を出たものと思い込んでいた。だけど、もしそうじゃなかったとしたら?」
「……捜索範囲が莫迦みたいに拡大することになるわ」
オリヴィアが顔をしかめた。書斎に閉じこもりっきりのことが多い彼女は、低めの運動能力をカバーするために魔法をかけた籐椅子で空中を浮遊しながら飛びまわっている。
「彼がこの町の住人じゃないことははっきりしてる。良くも悪くも、彼みたいな人物が以前から居れば何らかの噂は流れているはずだよ。どこかの宿に潜伏してる可能性を考えるべきだ」
頭の中で、もうずいぶん昔に聴いた楽曲が鳴り響く――なん十年も続いたTVシリーズの刑事ドラマで、メインテーマとして流れていたやつだ。
残念ながらこのいかにもファンタジー然とした異世界でも、そのテーマが終わったころに「分かりました!」と報告が飛び込んでくるほど物事は簡単に運ばないことになっている――ともあれ、ぼくたちは街中を走り回った。
――ちょっとちょっと! 勇者シワス様じゃないですか、お珍しい。食事でもいかがですか?
聞き覚えのある声。そちらへ振り向くと、昔何度か変装なしで立ち寄ったことのある、小さな酒場の前だった。マツ材をベースに漆喰を盛り上げてそれらしくかたどった看板は、宴席に据えられた子豚の丸焼きの形。そこにペンキも黒々と記された文字は――『モーヴのねぐら』
「モーブさん? お久しぶりです」
「ああ、やっぱりシワス様ですか。肩の上の嬢ちゃんは確か……」
「クレアムなのじゃー」
「……確か、奥様のおひとりでしたかね」
そういうと、彼はわずかに顔をそむけて小さく何事か呟いた。
――やっぱり、犯罪くせえ……
そう聞こえた気がする。だが正直そこは放っといて欲しい。
「ゆ、夕食は家で取る予定なんですよ、残念だけど。ほら、昼前に市場に入ってたシロガネダイ――多分ご存知だと思いますけど」
「ああ、あれを買われたんですか、さすがですな。しかし、それでなぜこんな時間まで外を走り回って?」
この町に来て主夫業に専念しだした頃、ぼくに料理を教えてくれたのは実のところこの人だ。といっても、手とり足とりというわけではなく彼の仕事ぶりをカウンター席から客として見物していたのが大部分だけれども――何にしてもぼくはモーブさんにはあまり邪険にふるまえないのだった。
「実はですね、うちの第一夫人が仕上げた論文の原稿を、部外者に持ち去られまして……町中の宿屋や酒場を探すところなんです」
へえ、とモーブさんは微妙な顔をした。
「そういえばうちにもさっき泊まり客が一人入ったんですが……一応確認されます?」
一人くらいならたいして時間もかかるまい。僕は喜んでモーブさんの申し出を受けることにした。
実はまだわかってない