本物はちゃんとしている
屋敷へ乗り付けた馬には、もちろん乗り手がいた。帽子に赤い羽根を飾った若い男と、もう一人はおなじみのニューコメン男爵閣下だ。
「シワス殿、本日はご在宅であられましたか。これは重畳――」
「お出迎え、いたみ入ります! 私は王立学会報編纂委員会から参りました、ジェフリー・バートンと申します。オリヴィア・オレインシュピーゲル殿の原稿を受け取りに上がりました」
南方大陸に生息する火炎ヤマドリの羽が、バートン氏の帽子の上で揺れた。折り目正しい態度ときびきびした物言い。ダークグレーの旅行用外套の下からモスグリーンの胴着が覗いている。その瞬間にはっきり理解した――こっちが本物の編集者だ。
「人選が紛糾しましてね、先の連絡書簡では私の名前をお伝えできてなかったかと思います。申し訳ありません」
彼は懐から木製の大きな名刺を取り出した。10㎝x13cmサイズのダメ押し。そこにはたしかにマンスフェル王国王立学会の印章が記されていた。
してみると、試合刀を投げたマーガレットとステラの直感こそ正しかったということだ。頭の中で何かがカッと燃え上がる。ぼくは館のほうへ振り向いて、かれこれ三年ぶりの緊急呼集を発した。
――ユズシマ家妻団、総員正門前へ! 装備規定223!『緊急市街探索』!
コード223とは黒龍王との戦いの中で蓄積された経験から最適化された、『人心の動揺を最低限に抑えつつ、迅速に町中で目当てのものを探し、目的を達成するための基準装備』を全員に求めるものだ。それは迷い猫の捜索から地下下水道のモンスター掃討、さらには要人暗殺までをカバーする。
「シワス殿、これは一体何の騒ぎでご……」
「ニューコメン男爵、良いところへ! 城門と港を封鎖していただけませんか」
「は、はぁ!?」
つやのある黒髪とくっきり割れた骨太い顎。男性的魅力をふんだんにたたえたニューコメン男爵の顔が、突然の要請に困惑の色を帯びた。
「妻の書いた魔法理論の論文が、正体のわからない人物に持ち去られてしまったんです――オリビィ、あの原稿はどういう内容だった?」
「表題で端的にわかると思うわ。『魔力制御方式の再検討と試論―定量的制御の可能性への示唆―』」
「ふむ?」
妻には申し訳ないがさっぱりわからない。
「ほぼ純粋に学術的な内容よ。門外漢には多分、ほとんど意味不明でしょうね。でも、内容を深く理解できるなら、詠唱時間の大幅短縮を行ったり、準自然力の転換によって自分の行使する魔力を睡眠や錬金薬液に頼らずに補充する、そういう成果へつながるヒントになるはず」
「それは凄いな……だが――危険だ」
オリヴィアの言葉通りの成果を生み出すことが出来る理論なら、実証されればこの世界の魔法利用に革命的な変化が起きる。
ぼくの言葉に、ニューコメンがうなずいた。
「私は魔法についてはおおよそ門外漢ですが、シワス殿とご一家にお付き合いいただいてるおかげで、それがしかるべき者以外の手からは遠ざけられるべきものであることは、よくわかりますぞ。さっそく命令を出し、市中に探索の手を……」
きびすを返して立ち去りかけ、男爵閣下ははたと立ち止った。
「シワス殿。その人物とは、どのような?」
そういわれて初めて、ぼくはぎょっとした。アルフレッド・ヘルツォークと名告ったあの人物――彼の風貌には、まるで特徴というものがなかったのだ。思い出そうとしても心象に浮かぶのは、どこにでもいそうな品のいいのっぺりした全体のイメージだけ。地球にいたころネットの動画で見た、何人もの人間の顔画像を重ね合わせて平均化していく映像が連想された。
門のところで出会った時に覚えた違和感は、これだったのだ! 軽いパニックとともに体が震え、ぼくは深呼吸を繰り返しながら第六夫人を呼んだ。
「ジーナ! ジーナ! ヘルツォーク氏の人相を再現してくれ!!」
ジーナがぼくのそばに駆け寄った。腰から足爪先までの下穿きとシャツ、という動きやすさ以外何も考えていない服装に着替えている。
「かしこまりました、少々お待ちを」
言葉とは裏腹に、彼女は少し顔をしかめた。色白で童顔、ただし鼻筋は高く通り、目は比較的小さい、地味で大人しめの容貌。それが血の色を帯び、崩れる。
「難しいですね……眉と眉の間が1トム(25㎜)、唇の横幅が2.2トム、瞳の色――」
一つ一つ読み上げるような彼女の言葉に合わせて、肩の上の塊が先ほど別れたばかりの無口な青年の顔に近づいていく。バートン氏が息をのみ、小さな悲鳴を上げるのが聞こえた。
「やっぱり、ろくに特徴がないな……ああ、そうだ、彼の剣! あれも再現できないか?」
「お客人の前でそこまで要求なさるとは……少々辛いですが、シワス様のためなら」
ぼくは自責の念にかられた。彼女は人間として、ぼくの妻として生きることに喜びを感じている。だがいま行っていることは、彼女にとっていやおうもなく自分が人外の存在であることを再認識させるものなのだ。
「済まない、ジーナ。だが一刻を争うんだ。この埋め合わせは必ずするよ」
「そのお言葉、お忘れなく」
ジーナが悲しみと喜びを同時に湛えて口角を吊り上げた。
彼女の腕が長く伸び、形を変えて先ほどまで捧げ持っていた剣の外形を再現する。柄頭の赤い宝石までそっくりだ。どこかで見たことがある剣のような気がした。だが、思い出せない。それでもこちらは実に特徴的な剣だった。若い竜からとった鱗ある皮を貼りこんだ緑色の鞘に、黒金に銀の線刻を施した金具。見事な再現度だ。
「ありがとう、ジーナ。ニューコメン男爵閣下にそのまま同行して、衛士詰所と港湾管理局へ。ぼくらもすぐに行く」
正門の前には三三五五と妻たちが集結していた。
「炉の火を入れる前でよかったわ!」
そういいながら苦笑するメリッサの手には、仕事場で愛用している鍛造ハンマーが握られていた。呪文一つでごく短射程の熱線を放つ凶悪な代物だ。ステラとマーガレットも母屋で先ほどのドレス姿から着替え、再び門の前にやってきた。
黒い革製防具を身に着け、取回しのいい半弓を手挟んだステラと銀色の胸甲の上からAラインの赤いコートを羽織ったマーガレットが僕の両脇を固める。
「まったく、ドレスなどろくなものではない……」
「だからってなにも剣で切り裂かなくても」
二人が何やら聞き捨てならないことを口走っている。
「ちょ。あとでゆっくり説明して欲しいな、それはッ……むぎゅ」
クレアムがぴょんと僕の肩に飛び乗った。小柄と言っても八歳児サイズ、弾みがつくと結構な荷重がかかった。
「よし、行くぞ!」
走り出したぼくたち六人を、バートン氏は哀れにも腰を抜かしたまま見送ることになった。