編集とお茶を
男は門前の往来、東西に10mほどの範囲をゆっくりと行きつ戻りつしながら、ぼんやりと一尋館のファサードを眺めているようだった。
立ち姿から受けるどこか奇妙な感じが気になったが、少なくとも敵意があるようには見えない。ぼくはせいいっぱいの気さくさを取り繕って、彼に声をかけた。
「こんにちは! 当家に何かご用ですか?」
男は目をしばたいて、いぶかしそうな顔をした。こちらが何者なのかさっぱりわからないといった様子に思えた。
(あ、これのせいか)
ふいに、自分が被ってる物体に気づく――存在隠蔽ベレーの所為に違いない。日本の国民的キャラクターである某猫型ロボットがポケットに蔵している、あの凶悪な性能の帽子ほどではないが、このベレーにもぼくと目の前の建物の関連性を想起させない程度の効果はあるのだ。
帽子をさり気なく脱ぎ、一礼する。トロ箱は水平なまま左の小脇に。われながらかなり器用だ。そしてきわどい。
「ようこそ、一尋館へ」
「あ、ああ……勇者シワス……」
男は軽い狼狽ぶりを見せた。どうやらぼくの顔が見覚えあるものだと気が付いたようだ。
「『ジャーナル・アカデミア・マンスフェル(マンスフェル王立学会報)』の方でしょうかね? オリヴィアはまだ就寝中ですが、とりあえず中へどうぞ」
「私は、その……」
男はまだしどろもどろの態だった。まあ仕方がない。目の前にいるのが若干十八歳で人間として総合的戦闘能力の頂点を極めた怪物だと思えば、だれだってそうなるだろう。
「こんなところでお待たせするわけにもいきませんし、何よりその、門をあまり長い時間開け放したくありませんので」
――トロ箱を片腕で保持し続けたくもありませんので。
身体能力はさほど落ちていないはずだが、あいにくと現役時代ほどの忍耐力が今のぼくにはないのだ。
「お腰のものはお預かりいたします。どうぞこちらへ」
ジーナが一瞬にしてメイド時代のテンションに戻って背筋を伸ばし、剣を受け取ると男の先に立って歩き出した。
「お客さんなのじゃー」
クレアムが後ろからとことことついていく。ぼくは最後尾でトロ箱を両手で持ち直してそのあとに続いた。
中庭を通り抜ける時に、金属のぶつかり合う音と鋭い掛け声が響いてきた。歩廊越しにマーガレットとステラが見える。訓練用の防具を身に着け、サーブルに近いルールで試合をしている様子に、さすがに客がもの珍しそうに足を止めた。
その時――
「曲者!」
「なに奴!?」
二人の声とともに、とんでもない事態が起きた。何を思ったか、斬り結んでいたぼくの妻二人がほぼ同時にこちらを向き、それなりの重量がある剣をこちらへ向かって投擲したのだ。
「な、ちょ、わああああ!?」
宙を走る凶器に飛びつこうとしたが、それは果たせなかった。両手がシロガネダイの切り身5kgをおさめたトロ箱でふさがっていたのと、ジーナがすかさず壁に向かって踏み切るのを見たからだ。
第六夫人、ジーナ・モントルーは見事な跳躍で試合刀のうち一本をキャッチしていた。失敗すればクレアムかぼくか、どちらかに刺さっていただろう。もう一本は――客が頭の上で合わせた両手に、奇跡のように挟まれていた。
彼の顔は驚愕で凍り付いたようになっていたが、それが恐怖によるものなのか、とっさにとったあまり賢いものとは言えない行動が、運よく良い方に転んだことへのものなのか、読み取るのは難しかった。
「まったく、どうしたんだ二人とも。らしくもない」
さすがにぼくとしても、彼女たちの失態を不問で済ますわけにはいかない。試合はそこで切り上げさせ、ドレスに着替えてもらう。
「す、すまんシワス。何かこう、ものすごい殺気を感じてな」
「わたしもなんか急にぞくっと」
マーガレットとステラがきまり悪そうにうつむいた。
「すんでのところで大惨事だったよ。昼食には同席してもらって、あとはオリヴィアが起きてくるまで、お茶のご相伴をして差し上げてて」
わが家では朝はたっぷり食べて、お昼はお茶と軽めのペストリーで済ますのが通例だ。その代り時間をかけてゆっくりとくつろぐ事にしている。軽い来客ならこの流れでもてなすことができる利点もある。
「……お茶の準備の間に、ぼくは買ってきた食材を下ごしらえして、残りを冷蔵庫に入れてくるよ」
「うむ、分かった」
「いやホントごめんね、ごめん」
二人はそれぞれの流儀で謝罪を表明し、ぺこぺこと頭を上下させ続ける。
「……いや、こちらこそすみませんでした」
客が困惑した表情で一礼した。帯剣して歩いていたことと併せて考えるに、この人物はどうやら冒険者か兵士上がり、そんなところだ。王都との間の距離を安全に移動するために、版元がこの人物を新たに雇用した、そう考えるのが妥当なところだろう。
二人はおそらく、その戦闘経験が醸し出す物に反応してしまったに違いない。
食事の間、客はごく静かであまりしゃべらなかった。緊張しているらしい。そりゃそうだ、初仕事でいきなり、王国で知らないものもない有名人の家へ上がり込み、試合刀が飛んでくるような目にあったのだから。委縮するのも仕方ない。
とはいえ――何も話させない、すなわち楽しませないでは当主としての沽券に係わる。
「えっと、お名前は何とおっしゃいましたっけ」
彼のほうへ軽く視線を持ち上げ、水を向けてみる。
「あ、ああ。まだ名告っていませんでしたね。私はアルフレッド・ヘ、ヘル――ヘルツォークです」
客は少し言いよどんだ。それを見てぼくは彼にいくばくかの好感を覚えた。正直なところ、今まで出入りしていた編集者はあまり好きでなかったからだ。
口が巧くて妙になれなれしかったし、ぼくの妻たちに注ぐ視線も気持ちのいいものではなかった。よく言えば興味津々、悪い言い方で穿ったところを言葉にすれば――邪念たっぷりだったのだ。
このヘルツォーク氏にはそんな様子はない。ずいぶんと世慣れない様子で、屋敷内の装飾などに興味を惹かれた風に凝視したりはしているが、しごく無垢な感じを受ける。
もともとはどこか良家の生まれ、育ちのいい人物なのではないかと思えた。
「王都に比べると大した――お、おもてなしもできぬ――ませんが、ゆっくりされ……なさってくださいね。お茶のお代りはいかがですか?」
マーガレットがなれぬ口調でお茶を薦め、一瞬こちらを見て恨めしそうに唇をゆがめた。顔がうっすらと赤い。
「いえ、私はつい最近目ざ――家を出てきたばかりでして。不意の訪問に心づくしのおもてなし、ありがたく――」
ヘルツォーク氏もやたらと言い直しが多い。
(何だか、ちょっとお見合いみたいだなあ)
二人のぎこちない会話に苦笑しつつ三杯目のお茶を自分のカップに注ぎ、キイチゴジャムとカスタードのパイを一切れ皿にとった頃、オリヴィアが眠そうな目をこすりながら階段を降りてきた。
時間はちょうど、地球でいえば午後三時というところだった。