決断
「どういうことだ、これは……」
マーガレットが眉をしかめ、ドア――があったはずの場所に立ちふさがる石壁を、靴底で蹴った。
びくともしない。よく見ればその壁面と先ほどのドアは、同質の石材と金属でできてはいるが、細部が微妙に違う。
(転移させられたか?)
父が遊んでいたゲームでよく見かけた、迷宮のたちの悪いトラップを思い出す。見ただけではそれと分からない、似た地形の場所にテレポートよろしく移動させられるものだ。実のところこちらの世界にも、まれにある。
「オリビィ、位置確認の魔法を試してみて。念のため」
「ええ」
彼女はうなずくと腰のポーチから磁鉄鉱の小さな結晶を取り出し、ヘアピンにつけた小粒のルビーでその表面をひっかいて傷をつけた。
「四方の守護者よ、我らの立つ大地に道標を示せ――」
磁鉄鉱と地磁気の相互作用に術者の魔力が誘導されて周辺の空間を走査し、現在地とこれまで踏破した場所の位置関係を明らかにする――迷宮内で使った場合、この魔法はおおよそそのような働きをする。
磁鉄鉱が黄色い輝きを帯び、それがオリヴィアの身体を伝って足元の床へ流れ込み、壁を抜けて南へとうねって行った。
「私たち、さっきの場所から移動してはいないようね」
「む、そうか……」
それなら話はいくらか単純になる。ぼくは再び奥の壁へ向きなおり、三本のレバーを上へ跳ね上げた。
ハム音。恐らくは壁面ごと入れ替って、先ほどと同じドアのある壁が現れた。
「一本づつ試すとどうなるかな?」
右の一本だけを降ろす。ハム音。ドアは消えない。
真ん中。ハム音、ドアは消えない。
「参ったな……もしもこの三本のレバーが、組み合わせによって通路の状態を指定するものだった場合……」
「どうなるの?」
メリッサが興味深げにこちらを見つめる。妻の信頼と期待が心に痛い。
「く……数学とか論理学はあまり得意じゃないんだ。三本のレバーと上下二種類の状態。これで作れる重複無しのコードは……八通りだと思うんだが、自信がない」
情けない話だ。もともとあまりよくなかった頭が、この世界で長年暮らしてるうちに、使わない部分はさらにぼやけている。
「コード?」
耳慣れない言葉にオリヴィアが首を傾げた。
「あ、ああ。元いた世界の言葉だけど、この場合は通路の状態に対応するレバーの組み合わせ、と思ってもらえばいいかな。できればすべての組み合わせを試したい。で、その数がはっきりしないと解くのがすごく困難になる」
何よりまずいことに、それぞれのコードとその入力結果を試すとして、いちいち確認に行く時間はないのだ!
ステラに連絡を取って、一方通行になっていた箇所の数を、せめて推定できるところまで情報を得るべきか?
彼女だって素人ではない。本来なら、最初の一方通行を確認した時点で、以降の罠について記録をとるくらいのことはするはずだ。しかし、さっきの救援要請では、回数について正確な言及はなかった。
「何か所か罠があった」としか言っていない――決めた。やはり連絡を取る。
というわけで。
●現在の『伝心の指輪』使用状況
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・ステラ側
ステラの指輪 発信機能二回使用済み (受信可)
クレアムの指輪 未使用 残り二回
・シワスパーティー側
シワスの指輪 発信機能二回使用済み (受信可)
マーガレットの指輪 未使用 残り二回
メリッサの指輪 未使用 残り二回
オリヴィアの指輪 未使用 残り二回
ジーナの指輪 未使用 残り二回
===================================
次第にジリ貧になる感じはあるが、まだ通信手段としてのリソースは十分にある。マーガレットの指輪を借りて、再度通信。
――一方通行の罠に引っかかった、回数?
ステラの声はまだなんとか張りと自制心を保っているようだった。
「そうだ。今その罠を制御するレバーの操作で悩んでる」
――うーん……
「難しいかな?」
ステラがため息を漏らすのがわかった。
――途中から化け物どもへの対応で手いっぱいになったからねえ……私たち、たぶんこの階層の通路のうち、半分くらいを踏破したはずなんだよね。なんとなくだけど、罠が閉じる場所はそんなにたくさんはないと思う。
「幾つくらいだと思う?」
救助する相手に助け舟を出してもらう、この情けなさ。だが、富士の樹海に匹敵するような広大な森で迷いもせずに行動できる彼女の感覚は、あてになるはずだ。
――四つから六つってところじゃないかなあ。で、今まで聞いた話だとここはもともと、実験に使った人間や動物の死体を埋葬する場所で、後から『掃除屋』を置いたんだよね? 多分『屍灰の山』を。
「そうだな……」
『屍灰の山』には知性らしきものはほとんどない。ただひたすら歩き回ってゴミを取り込み、適正な質量を維持し続けるように作られる、という。
と、すると――彼らには通路の設定を変える事はできない。ならば。
「……おそらく、通路はさっきまで設定を変える必要がない状態に保たれていたはずだ。そういうことになる……ステラ、今いる小部屋は、通路の先のどんづまり? それとも、経路の途中に枝道として存在してる?」
――えー? 強いて言えば両方よ。行き止まりになった通路の、最奥ちょっと手前にドアを見つけて飛び込んだから。
「分かった」
必死で頭を回転させる。おそらく、このハンドルは当初の想定より単純なシステムでこの階層を制御しているはずだ。通常の状態では墓所として入り口付近のエリアから隔離し、その一部がアッシュマウンドの巡回する『処理エリア』になっているに違いない。
もう一つのモードでは、死者を搬入して安置し、作業に携わったものが安全に戻れるようになる。そしてもう一つはおそらく、緊急時に作業員が安全な区画に退避するための設定――ちょうど今ステラたちが閉じこもっている部屋のような具合に、だ。
確証はない。だが最短の時間でステラたちを助ける為に、ぼくは今ここで、冷酷ともいえる判断を下さなければならなかった。
「みんな聞いてくれ。この階層の仕組みはおおよそ分かったけど、細かい部分がまだはっきりしない。そして間違っていた時にここまで戻っている暇はない」
妻たちがバラバラにうなずいた。緊張した面持ちでぼくの次の言葉を待っている。
ゆっくりとそれを口に出した。
「だから――誰かがここに残って、このレバーを操作する必要があるんだ」
妻たちが暗い顔で再びうなずく。数秒の沈黙の後、真っ先に小さな手が振り上げられた。
「クレアムがのこるのじゃ」
「クレアム……」
「クレアムは精霊さんとお話できるし、火を吐いたり吼えたりできるけど、ここではあまり役に立たなそうなのじゃ……」
そんなことはない。そう言ってやりたかったが、確かにこの先のエリアで彼女の能力が生かせる局面はあまり多くはなさそうだった。
彼女の柔らかく小さな体は、どうしたって隊列の一番安全なところに置かれる。そこから火を吐いてオリヴィアやメリッサを巻き込まずに済むのは、さっきのコウモリのような上空の敵に対してくらいだ。
黙り込んだぼくの目から敏感に何かを読み取ったのか、クレアムは少し俯いて言葉をつづけた。
「そのかわり、自分の身は守れるのじゃ……だからシワス、ステラをきっとつれて帰るのじゃ」
「分かった――」
クレアムの頭に手を置いて、そういうとほぼ同時に。
「いいえ、私が残るわ」
一歩前に出て力強く手を上げたのは、メリッサだった。




