大灯台の迷宮・一日目午後
ステラのことはどうにも気になるが、お午餐にしなければならない。
焦げ付きそうになったフライパンを一度洗い、ぼくは改めて調理を再開することにした。一度頓挫したせいか、より手の込んだものを食いたい欲求が沸き起こってきていた。
まずは街道から小道に沿って散らばった露店を物色する。冒険者たちはあらかた迷宮の中に入ってしまい、当面仕事はなさそうだ。
野菜を売っている露店でいいものを見つけた。この世界特有の果物で、多肉質で酸味の強い『プルカ』というものだ。
つる性の一年草、果実の見てくれはカラスウリに似ていて、生食には向かないが、汁ものや炒め物などにするとちょうどトマトのような感じで使える。
露店の売り子にフォリス銅貨三枚を渡して、一かご分のプルカを買い求めた。
「うん、いい色だ。香りも強い」
「この間の嵐がなかったら、もっと大きくなったんだろうけどねぇ。毎度あり!」
売り子が言うのは先日の、小灯台を崩したという嵐のことだろう。この地方には毎年夏の終わりに嵐が訪れる。
規模はまちまちだが、先日のやつは確かにひどかった。風はせいぜい一晩だったが、その前後一週間くらい空は雲に覆われ、雨に閉ざされていたのだから。
礼拝堂に戻り、メリッサに声をかけて手伝ってもらう。皮を取り除いたプルカは、売り子の謙遜とは裏腹に果肉がしっかり入って弾力があり、ココナツをもう少し爽やかにしたような独特の香りがした。
改めて熱したオリーブ油にニンニクと、サラマンダー唐辛子を小指の爪ほどの大きさにちぎってひとかけら加え、炒める。香りが立ち始めたところで貝と玉ねぎ、それに輪切りにしたプルカを放り込み、ワインを少々。
塩と魚醤で味を整え、いったん火からおろ――
――ば、化け物だああああーッ!!
「え」
危なくフライパンを取り落しかけた。声は街道の方から聞こえたようだ。扉を開け放って外に出たそのとき、何か白い物が素晴らしいスピードで目の前をかすめ、礼拝堂の屋根へむかって上昇していった。同時に羽ばたきの音――鳥のようだ。
そして、西の林の方角に、異様なものが見えた。
「シワス、あれって……!」
メリッサにも見えたらしい。それは体軸方向に長く引き伸ばされたワニのような姿をしていた。そして背中にはコウモリに似た二枚の翼。
「ドラゴン!? よりによってこんな所に!」
その瞬間、そいつが不器用に羽ばたいて、全身が木々の梢の上に浮かび上がる――全長ざっと15m。その生き物には、四肢がなかった。
「違うわ……シワス、あれはワイアームよ」
後からオリヴィアの声がした。
「うん、南方大陸で見たな。だがこのあたりにはいないと思ってたんだが――」
ワイアーム。地域によってはウィルムともいうが、極早い時期に共通の祖先から枝分かれした、と考えられているドラゴンに近縁の生物だ。
翼のない亜種の化石が北方の鉱山から発見されたことがあり、ひっくるめて古竜目無足科蛇竜属を形成する、とされる――というのはオリヴィアからの受け売り。この世界の進化論的分類学の用語を日本語に訳すると、大体そんな感じだ。
「今ここにいるのは確かよ。一般人が遭遇して無事で済むものじゃないわ、早くいかなきゃ」
「うん、急いで鎧を……!」
礼拝堂裏手に置いた馬車へ向かう。北西の角を曲がると、危なくマーガレットとぶつかりそうになった。彼女は胸甲とコートに加えて円盾と兜を装備し、『量子の騎兵刀』を手挟んでいる。
「先に行くぞ、シワス。しっかり武装して追いついてこい!」
「分かった!」
鎧の装備は手間がかかるが、ジーナが手伝ってくれれば別だった。何せ人間の数倍の膂力を発揮する腕を一度に数本使って作業ができるからだ。
「もう少し重装備の鎧を持ってくればよかったな」
まさかこんな場所で民家級サイズの大型モンスターに遭遇することは、想定していなかった。
『渦潮の舌』と、これと対になる半身鎧『泉の胴鎧』をチョイス。持ってきた鎧の中ではむしろ軽装の方だが、こいつには各種の毒を中和する力がある。ワイアームは遅効性の毒の吐息を吐くのだ。
「みんな毒対策はできてるな? ジーナも頼む、ここはいい。こんな時に車上狙いに来るようなやつは、まさかいないだろう」
「だと、いいですけど」
用意のできた者から走り出す。ついさっきまでアリの巣を観察していたクレアムも、目を怒りでらんらんと輝かせて駆けていた。
「ごはんがおあずけ! おあずけなのじゃ! じゃ!」
オリーブ油とニンニクの匂いだけ嗅がされ、準備が中断すること二回。ぼく自身も頭にきているが、クレアムはその比ではない。欲望が未分化な彼女にとって、おいしい食事は僕との結婚生活そのものと同義だ。
マーガレットはうまく立ち回っていた。小道沿いの露天商たちに避難指示を出しつつ、頭から距離をとって駆けまわる。巧みな誘導のおかげで、どうやら付近には一人の死者も出していないようだった。
海辺に多い松の、ひときわ大きな古木を盾にしてワイアームの動きをコントロールしている。かみつこうと突進してきた頭をかわし、幹の反対側へ回って尻尾のある方向へ。
「巧い!」
さすがはかつての聖騎士筆頭。危険な巻き付き攻撃を繰り出すワイアームの太い尻尾に、強烈な斬撃を放った。
『量子の騎兵刀』が鱗を透過して食い込んだのだ。厳密な理屈がどうなっているのかは不可解だが、あの剣は角質や角など、組織表面の死細胞は生体とみなさないらしい。
ずる、とワイアームが鎌首を動かし、マーガレットへ向かって距離を詰める。口をカッと開いて毒息を吐く体勢――
「させるか!」
ダッシュから空中へジャンプ。腰だめに構えた『渦潮の舌』に、ぼくの体重と、剣によって喚び出された水流の質量をのせてブン回す。
「渦動連撃破壊剣ッ!!」
ヘルツォーク氏に対しては不発に終わった、武器固有必殺技だ。今回は見事発動し、消防車の放水を数倍にしたような水圧とともに、横殴りの重い連撃が繰り返し叩きこまれる。
ワイアームの頭部はその位置をずらされ、毒の吐息はマーガレットを巻き込むことなく、あらぬ方向へ吐き出された。
「助かった、シワス!」
「油断するな、さほど堪えてないぞ! とんでもないやつだ」
蛇竜の翼はひどくくたびれて見えた。あちこちが擦りきれたように傷ついていて鱗の剥げた箇所や、皮膜の破れたところがある。この海岸に来るまでに何かあったのか?
「援護するわ、離れて!」
オリヴィアの澄んだ声が響いた。かまどから持ってきたらしい、燃えている薪を右手に持ち、左手で杖を高く掲げて短い詠唱を完成させる。
「紅炎針弾!」
彼女の手の中で薪が崩れ、炭化した塊の中からいくつもの赤い光が飛び出した。それが無数の輝く直線となって、一斉にワイアームへと突き刺さる。低コストながら対生物に効果を発揮する攻撃魔法だった。




