縁(えにし)
(ステラが、ルドルフ・ロチェスターを育てた?)
突飛な話だ。ダークエルフは普通、海からは遠く離れた原生林の深部で、他のエルフ種族と生態的地位を争いながら生活している。
ルドルフが船乗りとして活動しているのであれば、その来歴と現状の間にはいささか以上のギャップがあった。気になったが、ステラ一人だけと長々話していられる状況ではない。
ファグナー一行はこのままだと僕らの制止を振り切って迷宮に入ってしまいかねなかった。となると――
(なあ、ステラ。この話、みんなも交えたうえで改めて話題にして構わないかな?)
(え、あ、ああ、もちろんよ)
提案はすんなり受け入れられた。ぼくらはまず、ダリルに彼女の父親とステラの関係を話すことにした。
「ええと、ステラ……さんが父さんを育てたってことは」
首をひねり目をぐるぐると回すダリル。数秒後、何やら自分なりに納得いく形に情報を整理できたらしく、人差し指をぴんと立てた。
「つまり、ステラさんはあたしの……お祖母ちゃん!?」
斜め上の反応に、ステラががっくりと肩を落とした。
「その呼ばれ方はものっ凄く不本意。でもまあ、いいよ。そう呼びたいなら呼んでも。生きてきた年齢だけなら曽祖母ちゃんでもおかしくないしね」
心なしか、ダリルに注がれるステラの視線が温かいものになった気がした。
「世の中狭いなあ。意外な縁がつながってるもんだ」
「スティーブに言われるとなんか申し訳なくなるなあ……」
「まあまあ、孤児も気楽なもんよ」
家名がないと公言する戦士が、皮肉っぽい調子でそういった。
「ルドルフがうちに来たときは、まだ2歳くらいだった。ほんの赤ん坊と言っていい齢だったよ。森のはずれをかすめて通る山道で拾ったんだ、あたしの父さんがね。馬車がグリフォンに襲われてひっくり返ってたそうだ。ほかの家族全員が死んだ中で、彼だけが生きていたって」
ステラがとつとつと語りだす。そのころはまだ王国とその周辺はずっと平和で、ダークエルフたちも森エルフとの確執はあっても、比較的穏やかに暮らしていたという。
「あたしも成人前だったし、風変わりな弟ができたような気分で嬉しかった。狩りに出るたびに美味い木の実や珍しい鳥の羽、岩場で見つけた貴石の欠片なんかを土産に持って帰ったっけ」
腕の中に小さな男の子を実際に抱いているかのような身振りで、目を伏せて微笑む。彼女のこんな表情は初めて見た。
「可愛かったなぁ。でもまあ、あたし達と同じように生きていくには無理があったんだよ。しょせん人間だもの」
この世界では人間なら概ね16歳で成人と見做される。成人したルドルフはステラ一家と集落の住民たちから心づくしの餞別を受け、かつて彼の家族がたどった道を、この海岸沿いの地方へと向かった。
数年後、道に迷った旅人がステラに捕らえられて語ったことによれば、ルドルフは商船の乗組員から転進して、密輸や沈没船の宝探しに手を染めるようになったという。
その後ステラと再会を果たした時には、彼は離れ小島へ学術調査に向かう学者を運ぶ快速船を指揮していたのだとか。ぼくがステラと出会うのはその十年くらい後のことだ。
「まあ、そんなわけだ。あたしはちょっとした事情で、ルドルフに会って確かめなきゃいけないことがあってね……いつごろ陸にもどるとか、知らない?」
「ごめん、お祖母ちゃん。父さんがいつごろ帰るかは、今のところ分からないんだ。リスマ―の家も、世界中にあるねぐらの一つにすぎないみたいだし。でもね」
ダリルは目を輝かせた。
「父さんの船、ストラデリン号が陸地に三日以内に近づいたら、あたしのところに鳩が来るの。夜でも矢のような速さで飛べる、妖精鳩よ」
おっと、こいつはかなり有用な情報だ。ダリルとの連絡を保っていればルドルフ・ロチェスター、ひいては秘教学者ソルネイに接触できることになる。
「わかった。じゃあ、すくなくともそれまではあたしがあんたたちの後見をしよう」
ステラがすっと立ち上がって一同を見まわした。
「可愛い姪っ子とその仲間だ。出来るだけのことはしてあげるよ。でも、迷宮に入るのは明日からにしな」
「ああ、それがいい。あそこを発見したメディムの冒険者たちの報告だと、結構な規模らしいからな。一度ロッツェルで必要なものの買い出しをしてくるべきだ」
マーガレットもうなずいてみせる。
「へへえ、ありがたいこった……ついでに何かいい装備あったらもらえねえかな」
「……さすがにそれは他のパーティーとの公平を欠くな」
思わず釘を刺してしまう。このスティーブという男、なかなかに図太い。
「深い階層まで潜れば、きっといいものが手に入るわよ。鑑定や手入れは私がやってあげるわ……一尋館の設備が必要だけどね」
メリッサが愛用のハンマーを手元の床石に軽く叩き付ける。キン、と小気味よい音が響いた。
その夜やや遅く、朝から降り続いた小雨がちょうど止んだ頃合いに、ぼくらは館に帰り着いた。ヘルツォーク氏に迎えられて門をくぐるのは、さすがにまだ妙な気分だ。
「おかえりなさい、皆さん。食事はどうされました?」
「すまない、外で食べてきた。迷宮の前で新参の冒険者と合流してね。夕食は僕らのおごりさ」
「ヘルヘルには肉とパンとワインを籠に入れてもらったのじゃ」
クレアムが軽食の入った籠を差し上げて示した。ヘルツォーク氏が軽く微笑む。
「その籠に被せてあるナプキン……『モーゼス候の金時計亭』ですね。お気遣いありがたく」
「いやいや、留守番ご苦労様。何か変わったことはあった?」
ぼくとオリヴィアのマントやマーガレットのコート、ジーナの傘などを受け取ってハンガーやフックに掛けながら、新任執事はふと手を止めた。
「ニューコメン男爵閣下は、私をまえに少々緊張しておられましたが……気持ちの良い人物ですね。懸命に自分の偏見や構えと戦っておられるようでした。いい隣人になれそうです。それと、メディムの冒険者たちが午後遅く着いたようです。見かけませんでしたか?」
「いや、見てないな」
「じゃあほかの宿へ行ったんでしょうね。明日会えると思います」
僕らの身じまいを手伝い終えると、彼は金時計亭の籠を片手に自室へ引き取った。
その日の輪番はマーガレットの番だったが、彼女が来る前に僕は一度寝室を出て、ステラのところへ向かった。
「入ってもいいかな? 開けるよ」
扉をノックして、返事を待つ。不明瞭な声で応えがあった。
「ろうぞ」
(……飲んでるのか? 禁酒が今日まで続いただけでも驚きだけど)
部屋に入る。灯りはついていない。『心の灯』の神聖呪文を唱えて前方を照らすと、リスマ―産ブランデーの瓶を抱くようにして、ステラがテーブルに突っ伏していた。
ダリルから彼女に贈られた酒だ。かなり強いものだが、見えている液面の位置からすると、酔いつぶれたわけではなさそうだ。
「ステラ。明日彼らのパーティーについていくんだろう? 渡すものがある」
「……なに?」
「伝心の指輪だ。クレアムの分を借りてきた――君のと合わせて四回使える」
一日二回まで、セットになった指輪のいずれかに対して三分間の通話発信ができる連絡用の指輪。地球のスマートフォンに比べるとずいぶん不便なものだが、こいつは周囲がどんな地形だろうと通話が可能だ。不測の事態があっても、これがあれば状況を伝えられる。
「……ありがとう」
顔を上げたステラの眼もとには、まぶたから滲んでびかびかと光るものがあった。泣いていたのか?
「ひどい顔だなぁ」
ぼくのややデリカシーを欠いたからかいに、彼女はのってこなかった。何かひどい裏切りに会ったような、後悔を抱えているような、そんな口調で彼女はもぐもぐと口を動かした。
――あいつさあ……船の名前、私には教えなかったくせに……あんな元気のいい娘がいるなんて、一言も言わなかったくせにさ……
「ルドルフのことかい?」
「――うん」
幾分はっきりした調子で答える。
「聞いてよ、シワス……ルドルフの船の名前、ストラデリンってね」
なんとなく予想がつく。言葉の響きからすると、その船名はエルフ語由来だ。ぼくはテーブルに歩み寄り、ステラの上半身を腕の中に抱き留めた。彼女の癖のない銀髪がふわりとなびいて頬をくすぐる。
「あたしの、本名なのよ……」
「そうか」
ぼくたちはそのままかなり長いこと、暗がりの中で抱き合っていた。寝室に戻るのが遅れてマーガレットにはぶつぶつと文句を言われたが、それくらいは仕方ない。
美貌の騎士が勝利を胸に眠りについたのは、そろそろ空が白み始めるころだった。




