密談
林を抜けて近づいていくと、西に面した壁に入り口のある礼拝堂と、北側に僧房が連なる棟があるのがわかった。南側には崩れかけた壁の一部が残っているが、これも多分元は何かの施設があったものだろう。
南側の中庭には簡素な彫刻の施された、石造りの屋根付き井戸があった。
馬車を礼拝堂の北側壁沿いへ入れて停める。馬に水を与えたいが、まずは井戸の水がまともかどうかが気になった。
「とりあえず、みんな着替えて。装備規定222だ。メリッサは使えそうなかまどか、代わりになるものを探して用意してほしい。マーガレットは、入り口から小道を見張ってて」
「分かったわ」
「承知した」
それぞれ返答とともに、素早く着替えを始める。と言っても、皆ここまでの道中ですでに編んだ鎖で補強された鎧下か、羊毛を縫い込んだキルトの胴着を身に着けていて、あとはその上に適宜追加の防具を付けるだけ。装備規定222は223と似ているが、武器の携帯だけは各人の判断に任せ、市街地や郊外での余裕のある探索、情報収集を想定したものだ――妻たちの玉の肌を不測の闖入者に見られる気づかいはない。
「クレアムはどうするといいのじゃ」
「クレアムとジーナは僕らが使えるように、適当な僧房を掃除して」
「分かったのじゃ」
「お任せください」
「オリビィは、魔法の準備を。細かいところは任せる」
オリヴィアはといえば、着いた直後から右手の指輪と左手に持った杖を睨んでいた。その視線がこちらへ向かって持ち上げられ、口元がほころんだ。
「この場所なら、あの論文の理論を実地で試せそうね」
「ああ、例の、寝なくても魔力補充できるってやつ?」
「ええ。この修道院を建てた聖職者たちは、ここが恵まれた土地だっていうことをなんとなく分かってたみたい。指輪の反応がかなりはっきりしてるわ」
「それはいい。うまく力を集められるように、儀式をやってみてくれ」
この世界で魔法使いが行使する力は、僕が地球で親しんだゲームの物ほど単純ではない。魔法使いは弾丸やエネルギーパックのセットされた銃器のようなものではなく、どちらかと言うとラジオに近い、と言えば理解して貰えるだろうか?
彼ら、彼女らは基本的にその精神の研ぎ澄まされた働きによって、この世界とは別の次元、より暴力的に物事の因果が結びつけられた世界から、現象そのものを呼び込む。
木切れをこすり合わせて摩擦熱を起こし、火口に小さな火の粉を移す――そういったプロセスをすっ飛ばして木切れを炎に変える、と言った具合にだ。
呪文を唱えるというのは、その次元へチャンネルを合わせるために周波数をボタンで入力するようなものだ。そして、ラジオに例えるなら術者自身が持っている魔力は、捕えた電波信号を増幅してスピーカーから出力するために使う、電力に相当する。
オリヴィアの研究は、いうなれば充電池で動いていたラジオに外部コンセントから交流電流を引っ張ってくるような事を可能にした。そして、これから行う儀式は、屋内配線にコンセントの差込口を取り付けるようなもの、と言えば君にも半分くらいは理解してもらえると思う。
地脈、龍脈、レイライン、パワースポット――そんな類の怪しげな用語を聞いたことがあると思う。同様にこの世界の大地にも、地形や水の流れに沿って、制御しづらく巨大なパワーが縦横に循環しているのだ。
オリヴィアが礼拝堂の中にいくつかのこまごました道具を運び込み、慎重に配置を見ながら並べていく。
概ね、かつて祭壇があった位置――そこに銀を象嵌した台座に乗せられた水晶の大きな結晶が置かれ、彼女の杖と共振するようにうっすらと輝き始めた。
「上手くいったみたい。しばらくすれば、ほとんどのタイプの魔法使いはここで力を回復できるようになるわ」
「凄いね。じゃあ、あとはよろしく。僕はショコラと井戸を検分してくる」
「あ、やっとあたしの出番か。何、中に降りたりとかあるの?」
ステラが革スカートのすそをちょっと気にするそぶりを見せる。枯草色の柔らかな揉み皮で作られたその衣装は、防具としての効果はやや薄いが、しなやかで音を立てず動きを妨げない。ただし、真下から見上げれば見えるものは見える。
「必要なら降りるかもしれないが……大丈夫、変なことはしないよ」
危険なところに降りるなら僕が先に立つ方がいいのだが――上がるときにどっちが先に行くかは状況次第。
「今更シワスに隠すモノなんてないから、別にいいんだけどね」
「うん分かった。まあ、さすがに弓は置いて来た方が」
狭苦しい井戸の中に降りる場合、今彼女が背負っている長弓が役に立つとは思えない。ステラは照れたように笑うと、刃渡り50cmほどの小剣を左腰低くに吊った。
ぼくはと言えば、薄い刃のついたハンドアックスを選んだ。一見地味な武器だが、こいつには首筋を狙った攻撃の致死的な結果を、一日につき一回防ぐ加護が備わっているのだ。
井戸には重く分厚い木の蓋が被せられ、鎖と錠前で封印されていた。長い年月にも関わらず、鎖は油を塗ったように黒光りして堅牢なままだ。
「まずは開けなきゃどうにもならないよねえ」
ステラが右腰につけたポーチから、錠前破りの道具を取り出した。本職ではないが、彼女は都市に巣食う各種の犯罪者――盗賊やスリが身につけるような、精妙な指先の芸術を心得ているのだ。
折れ曲がった鋼の細い探り針を二本、鍵穴に差し入れて慎重に感触を確かめている。舌打ちの音がして、彼女は折れた針をポーチへ戻し、もっと細く弾力のある物に取り換えた。
「開きそうかい、ショコラ」
「ん、まあ大丈夫。中が錆びてるらしくてちょっと回しにくいけど、構造はだいたいつかめた。あとは鼻歌うたいながらでも行けるよ」
「そっか。じゃあ作業をそのまま進めてくれ――ちょっと、聞きたいことがある」
「何よ、あらたまって」
「うん。この間見せてくれた『ニムダ』の細密画のことなんだけどさ」
「ああ。メリッサから聞いた。あの秘教学者――ソルネイっていうんだけど――あいつがヘルヘルをでっち上げたんじゃないかって話だよね」
ステラが一瞬手を止めてこちらを見上げる。ぼくは目を伏せてうなずいた。今のうちはまだ、この話は彼女だけにとどめておきたい。
「そいつに落ち着き先を世話した、そういってたね。どこか教えてくれるかな」
ダークエルフの顔色は分かりにくい。だが彼女の頬からはあきらかに、いくらか血の気が引いたように見えた。
「あー……ごめん。あんまり参考にならないと思う」
「何で?」
「場所じゃないんだよ……人脈なんだ」
なるほど。誰か頼れる知人を名指しで紹介したのであれば、どこに、という質問はあまり意味がないのかもしれない。
ということはつまり――
「もしかして定住してないのか、その――落ち着き先」
「うん。船乗りでね。それも定期航路の商船とかじゃなくてさ、海賊と探検家をいっしょくたにしたようなやつなんだ。名前はルドルフ・ロチェスター」
聞き覚えのない名前だ。
ダークエルフと船乗りとではどこに接点があるのかわかりにくいが、もしかしたらその男の先代とでもいきさつがあったか?
ステラは今年127歳になるはずだが、黒龍王の配下になる前の経歴などは謎に包まれていて、いまだに訊きだせたことがない。
「でもさ、ソルネイは失敗したわけでしょ? ヘルヘルはうちで引き取ったし、何かまだ問題あるの?」
ステラが訝し気な顔をする。どう答えたものか――
「ちょっと、確かめておきたかったんだ。そいつがどうやって、あのヘルツォーク氏を作り出したのか」
「分からなくはないけど……おっと、開いたよ、錠前」
「さすがショコラ」
話はちょうどうまいところで中断された。がんじがらめになった鎖をほどき、重い蓋を持ち上げる。のぞき込むと井戸の底には頭上にある曇り空の色が映って灰色に光っていた。少なくとも、水があるのだ。
「飲めるといいけどね」
「少し汲み上げて、ジーナに調べてもらうか」
井戸の底まで届くようなロープはあたりに見当たらなかった。井戸を封印した際に、よけいな道具は持ち去ってしまったものとみえる。
持ってきた荷物の中から適当なものを見つくろうつもりで、礼拝堂のほうへ戻るちょうどその時。小道を通ってこっちへやってくる、数人の人影が見えた。




