お膳立ては入念に
ヘルツォーク氏を一尋館に迎えて三日が過ぎ、週が明けた。
(偶然ながらこの世界の暦も地球の太陽暦とほぼ同じで、七日単位でのサイクルがある。君のためにこいつを便宜的に週と呼ばせてもらおう)
門へと続く小道には、あいにくと小雨がぱらついている。僕らは例の農家から荷馬車を引き込み、数通りのパターンに組まれた装備、一人当たり3セット程を積み込んだところだった。
「じゃあ、留守中の屋敷の管理はよろしく」
「分かりました」
さすがに「かしこまりました」とはヘルツォーク氏は言ってくれないのだった。他人――ステラの旧知である例の秘教学者――の記憶をもとに再現された不完全な模造品だとしても、黒竜王の持っていた誇り高い魂は、その片鱗程度の物をこの品のいい青年の上にとどめている。
「食事はどうしたものでしょうね? 私には残念ながら、料理の技能は備わっていないようですから――」
ヘルツォーク氏が居館の、台所のあるあたりへ視線を向けた。『冷蔵庫』には数日分の食料備蓄はあるのだが、簡単に調理して食べられる加工品が実は少ない。これは食事の準備に時間をかけるわが家の、意外な欠点ではあった。
「特に何もなければ毎日夜には家に帰るけど――そうだな、確かに困るかも」
「『モーブのねぐら』でいいんじゃない? あそこならヘルヘルも顔なじみだろうし」
ステラがどんよりとした口調でそう言った。これで5日目に入る禁酒がこたえているようだ。ちなみに『ヘルヘル』と呼ぶのはクレアムの口調が伝染ったらしい。
「うん、昼食はあそこでとるといい。なんといってもぼくが料理の技術を学んだ店だしね――それと、連絡のためと男爵に安心してもらうため、一日一回は衛兵詰め所に顔を出しておいて」
「分かりました。では行ってらっしゃい、勇者シワス」
会釈して僕らを送り出し、アルフレッド・ヘルツォーク氏は正門の鉄扉を閉めた。
荷馬車は軽量なので、ぼくらの装備と若干の生活道具を詰め込んでも坂を普通に下ることができた。衛兵詰め所でまでいくと、マーガレットの馬車には防水の黒い覆い布が掛けられ、一見すると葬儀屋の乗り物のようにしつらえてあった。
「あ、シワス様お早うございます」
衛兵の一人がこちらへ向かって敬礼した。
「冒険者はもう何組か着いてる?」
「まだですね。多分明日くらいになるでしょう。先に書状が届いてます、メディム市の組合から」
「わかった、ありがとう」
急いで荷物をマーガレットの馬車に積み替える。出来れば冒険者たちより先に岬に行き、管理担当者のような顔をして彼らに対応したいのだ。
ベラスコ岬の灯台は、聞いた話の通り、嵐で崩れたところを予備の資材で補修した、中途半端な姿を崖の上にさらしていた。ちょうど、巨人が作りかけの塔を途中でむしゃくしゃしてげんこつでぶっ飛ばしたような具合に見える。
どこかよその土地から運ばれたらしい、黒みがかった石材が崩落部分に突きだして、不細工な王冠のようにジグザグの線を虚空に食い込ませている。基礎部分から少し上がったところにあいた入り口のアーチ部分へ向かって、真新しい木材で作られた太い梯子が掛け直されているのが目についた。
その少し手前、所々が崩れた低い建物が、平たいシルエットを潮風にさらしている。古代の大灯台というのはあれだろう。
「物寂しい眺めですね」
ジーナがつぶやいた。
「私が眠っていた『霜が島』の、地上の様子を思い出します……あの建物へ向かうのですか?」
「いや」
ジーナが物寂しい、という人間的な情緒を身につけつつあることにひそやかな感動を覚えつつ、僕は言葉をつづけた。
「昨日男爵にもらってきた報告書の写しによると、あそこは天井が崩れている場所が多くて、あまり寝泊まりには向かないらしい。迷宮の入り口にもつながってるし、中から何か出てくる恐れもある」
「怖いのじゃ!」
後ろの座席からしがみ付いてくるクレアムの頭をさわさわとなでる。
「大丈夫。ここからは見えないが、あそこの林の奥に、小さな修道院がある――今は無人だけどね。そこを拠点にする」
村があるかと思っていたが、先の戦乱の間に付近の住人はあらかた、ロッツェルに移住してしまっていた。それはそうだ、海は黒龍王軍にとって便利この上ない侵攻経路だったのだから。
修道院への分かれ道に、板切れで作った標識を設置して進む。その表面にはこんな文字が記されていた。
――休憩所、施療所はこちら。ロッツェル冒険者組合準備委員会――




