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異世界チート主夫と六人の妻  作者: 茅葺
石鹸は手から出る
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一尋館の噂

 やあ、いらっしゃい。こんな時間からお客さんとは珍しいね――参ったなこりゃ。


 ああ、いや、そういう意味じゃないよ。そんなにしょげた顔をして出て行こうとしないでくれ。『モーヴのねぐら(デン・オブ・モーヴ)』はお客なら誰でも大歓迎さ。


 ひとりでやってるもんで準備が済んでなくて、ちょっと慌てただけなんだ。


 酒かね、それとも食事? 

 ああ、両方か。じゃあ、昨夜の残り物で済まないが、まずはこれを食って待っててくれ。すぐ用意するから。


 ん、どうしたんだい不思議そうな顔して。そんなに珍しいもんじゃないだろ? 豚ばら肉の照り煮だよ。

 この茹で卵を一緒に煮ておくのが決め手なのさ。味が染みてて美味いぜ、多分昨夜の客に出した分よりもな。どうだい、この何とも言えない色合いと、油のなじみ具合ときたら。

 

 で、今日の昼メニューはマトウダイのムニエルにひよこ豆のマッシュだ。 しばらく待っててくれよ。こいつはできたてが一番美味いんだ、あんたは運がいいな。

 

 ああ、照り煮の分の料金はいらないよ、サービスだ。

 なに、もっと欲しい? すまないなあ、鍋の底に最後に残ってたやつなんだ。次は夜に来てくれ、大盛りで出すからさ。

 ははは、まあ商売だからねえ。いや、そんなことを言われたのは初めてだよ。

 そういえば、あんた初めて見る顔だ。この町には――そうか、今朝着いたばっかりなのか。夜通し歩いてきたってわけだな。


 昔なら夜道の旅は命がけだったが、今は平和なもんだったろう?


 あ、うん、その通りさ。知らないのは、終わった後で生まれた子供くらいのもんだ。子供だっていずれ親から聞かされる。まあ当分は忘れられることはないだろうね。

 この町は気に入ったかね? ん、いい港だって? そりゃ嬉しいね。今じゃ漁船と地回りの商船だけだが、昔は立派な軍艦も出入りしてたもんさ。俺、昔は軍艦のコックだったんだよ。

 あんたも昔はその、あれだろ? 戦場で鳴らしたクチなんだろ? ははは、そりゃあ、その腰の剣を見ればただ者じゃないことくらいは俺にだってわかるさ。


 おお、そうかそうか! 勇者シワス様に会ったことがあるのか!


 じゃあ知ってるよな。シワス様が今じゃこの町に腰を落ち着けてるって。え? 王にならなかったのかって?

 まあ、そうだなあ。あの時はみんな驚いたし、まさかと思ったよ。だけどな、彼は隠居を選んだのさ――よし、ムニエル揚がったぜ。


 ああ、いい色だろ? 分かるかい。こいつには北の土地で作る特別な小麦から作った粉をはたいてある。これがバターと最高に合うんだよ。


 酒はこれがおすすめだ、南のリスマーで作ってる白ワインだな。よく冷やしてあるから、ぬるくならないうちに飲むといい。どうも今日は暑くなりそうだからなあ。


 どこまで話したっけ――ああ、そうそう、勇者様がこの街で隠居してるってとこまでだったな。


 表の通りから見えたろう? 丘の上に建ってる小さな白い屋敷。そう、あれがそうさ。『一尋(ファゾム)館』って呼ばれてる。


 名前の由来は――悪いが、よく知らないな。

 全ての戦いが終わってぼろぼろの船でこの街まで帰ってきたとき、乗りつけた入り江の水深がちょうど一尋、そのくらいだったって話もあるが……

 俺、たまたま一行が街道に面した北の城門から入ってくるのを見てるんだよなあ。記憶違いなんかじゃない。彼らの凱旋は確かに陸路だったって。

 おお、そうかあんたも賛成してくれるか。

 まあなんせ八年も前の話だ。世間に流布した話が『真実』てことになるのは仕方ないかもしれんけどさ。


 さて、あの建物なんだが、もともと彼を異世界から呼び出した、ユージニー王女殿下を記念した礼拝堂になるはずだったんだ。

 ところが、シワス様はあそこに住みたいって切望したんだよ。それで今の形になった。尖塔があるのは礼拝堂だったころの名残さ。


「自分は所詮よそ者だ。王国の政治にも軍事にも、公のことには一切手を触れない、手を出さない。その代わりに自由に暮らさせてくれ」


 それが、彼が求めた報酬だったのさ――『黒竜王討伐』のな。


 や、いい食いっぷりだねえ。まだ全然足りないって顔じゃないか。焼きたてのパンとスープにはちょっと余裕がある。お代わりしてくれても大丈夫だよ。それも含めて銅貨2フォリスだ。


 さて、知っての通り彼のパーティーはあれだ、いろいろあって最終的に、彼のほかはメンバー全員が若い女性になってた。

 当初は王女殿下も一緒に黒竜王の野郎の軍団と戦ってたんだが途中で、その、なあ。

 うん、やっぱりあんたも知ってるみたいだな、今凄い顔になってたぜ。ああ、あれは本当にひどい、悲しい事件だったよ。


 全然別の世界に呼び出されて最初に会った女性……良くも悪くも母親みたいなもんだ。いろいろと思うところがあったんだろうさ……言ってみればまあ、墓守ってとこだな。 


 あ、『一尋館』には夜だけは近づかないほうがいいぜ。その……大抵の男は死にたくなるらしいから。さもなくば余分な銀貨が財布から出ていく羽目になる、とさ。

 分かるだろ? なんか腑に落ちない顔してるけど。勇者様は当時のパーティーメンバー()()を娶ってあそこで暮らしてるんだ。


 そういうとこなんだよ、あの屋敷は。近所の子供のいる家はさすがにみんな引っ越しちまったらしいね。教育に悪いとか何とかで。

 だが俺が思うにな、あの勇者様はわざと色ボケのフリをしてるんじゃないかなぁ。


 おっと、もう行くのかい? すまないな、こんなオッサンの話をずっと聞かせちまって。だがせっかくだ、宿もやってるからな、気が向いたら泊まりに来てくれよ。


――毎度あり!



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