夜の子供 番外編
少しずつ更新するためにもリハビリあるのみ。
で、以前の短編の番外編も書いていきます。
4月に帰ると言っていた杉野さんが、いろいろ手間取り帰国はまだ先になりそうだと電話がきたのが2月の頭だ。
で、なんで私がそんなどうでもいい事を今思い出しているかというと、いわゆる現実逃避というやつだと思う。
日本は小さい国だというけど、とんでもない。
現に私は太陽が上がる前から寒さに震え、こうして名も知らぬ小さな川に即席の釣り糸を垂らして、早、数時間いるが、魚の姿は沢山ここからは見えるというのに待てどくらせどただの一匹もかからないでいる。
まだまだ雪の残るこの山の中ではあまりに音がないため私の耳はどのような微かな物音であっても、まるで原初の音を聞いたかのように厳かに感じていた。
そんな中暇にまかせて静かに思い出す。
私は相変わらず平日はあの家から学校に通い、夕飯は「巣」の仲間の誰かと取ってから家に帰る日々を過ごしていた。
家に帰ったらすぐに自分の部屋に入ってしまいたいのだけれど、なぜか義兄や義理の叔父が毎日のように待ち構え何やら騒いでくる。
「頼むからちゃんと見てくれ」だの「はじめからやり直させてくれ」だの訳のわからない言葉ばかり。
しまいには母までが「もういい加減にしてちょうだい、あんたのせいよ、何で・・」とか言ってきたりする。
けれど、母が最後まで何か言うのを義兄達が怖い顔で「あなたは黙っていて下さい。父がこの家に帰らなくなった理由をまだ理解できないんですか」
「兄も実の我が子さえ愛せない女にやっと愛想もつきたようですよ」
とか言ってさえぎり、母が泣きだし逃げ去ると、今度は二人で言い合いをはじめる。
「ああ、義にぃ、いい加減我が家に勝手に入らないでくれるかなあ。何度言ったらわかる?詩織の両親のところで「手を出した責任」についての話し合いがまだ終わってないって聞いたぜ。とっととダダをこねないで婚約でも結婚でも何でもしちまえよ、邪魔でウゼェんだよ」
「あんな女!それより俺達を追い出して凛子と二人きりになってどうするつもりだ!絶対、絶対にそんな事許さない!許せる訳ないだろ!」
毎度同じような意味もわからない騒ぎをおこす癖に、私が週末を「巣」で過ごして帰ってくると玄関先に静かに座り込んでお互い口も聞かず膝に顔を埋めて待っている。
それが私の姿を見つけると暗い精気のない眼差しが急に熱をもち、またいつもの馬鹿騒ぎがはじまる。
平日の平穏の為とはいえ、いい加減めんどくさくなってきた。
害はないけど部屋に入るまでのわずかな時間にまとわりつくあれら。
本当にめんどくさくなってきた、どうしようかな〜。
物思いにふける静寂の中、木の枝からパサリと雪が落ちる音がした。
私の厳かなありように対する崇敬の念も家の事についての小さな考え事も自分のお腹がそれに続いてグーッと情けない音を発したことでなんか一瞬で台なしになってしまった。
で、冒頭にもどって何で私がこんな山奥で釣りをしてるかと言うと、例によって週末「巣」に篭っていた時、なにげに誘われた遊びにつまんない、と一言返したせいなんだ。
ちょうどそこにいたのは高級クラブのママの恵美さんと人様には言えない職業の鷹さん。
・・・そして日本に帰ってこなきゃいいのに帰ってきていた自称冒険家の悟さん。
その夜どこも出掛けず皆を見送った私は普通にゲームをして明け方に寝た。
ところが翌朝私が目覚めた場所は、ボロッちい小さな小屋らしい場所と寝袋の中。
最初はボーっとして何が何だかわからなくてモガモガしちゃって、けれど思い切り動けないからそれでまたモガモガしてって、誰かに見られてたら凄い恥ずかしい姿さらしたけど、だってしょうがないよね。
寝たときはちゃんとベッドだったんだよ、それも最高級のウォーターベッド。
頭がまだクラクラしてるけど、何か薬のせいだろうと思う。
何やってくれてんの、まだ未成年に怪しげな薬を使って拉致するのは絶対ダメだと思う。
いや、それに慣れてるっていうのも悲しいものがあるけど。
杉野さんが帰国したら有ることないこと、いいや、あることあること言い付けてやる。
覚えてろ!悟!あんたなんてやっぱ呼び捨てだ!
私のなけなしの敬語を返せ!
段々と目の焦点もあってきて、私は一度思い切り深呼吸をして、更にもう一度深呼吸をして頭のすぐそばにあるリュックサックと、そこに留められてる小さなメモを見た。
おし!いくぞ!強い子だ!めまいもないな。
もう一度ゆっくり深呼吸をして、寝袋に入ったまま少しチャックを開け出来るだけ寝袋の暖かい空気が外に出ないように、少しだけ手を出しそれに触れた。
寝袋から出ている顔にあたる空気が、鼻から吸う空気が痛いほど冷たいから、より私を冷静に慎重にした。
けれどそのあと私の口から漏れた声は押し殺したその呻き声は女子高生としてはなかったと思う。
人間のそれも華の乙女の出す声じゃなかったと思う。
そこには大人なんかじゃないアホの子の悟からのメッセージがこう書いてあった。
「凛子〜、暇そうなお前にささやかなプレゼントだ。感謝しろよ!ありがたく受け取れ!ケチなお前とは違う俺からのプレゼントだ」
思わず握りしめそのまま額にくっつけて「呪われろ!呪われろ!」と寝袋の中でしばし怪しい儀式をしてみた。
けれど現実は待ったなしだ。
私は寒いのを我慢して寝袋から出た。
昨夜寝る時は悦子さんからの貢ぎ物のかわいいフワモコのルームウェアだったはず。
今来てるのは寒冷地使用の上下のパーカー。
上のパーカーのチャックを開けて中に着ているクマ柄のシャツを確認した。
・・・マヌケなクマ柄、それもどこの国で作ったのか、某有名キャラ真似したけど失敗しましたって感じのテロテロなやつ。
ズボンとその下のタイツも確認した。
・・・なぜか下着もマヌケなクマ柄パンツだった。
悟〜、悟〜!だからあんたなんて帰ってくんなっていってんのよ!
乙女の絶対領域勝手にみたな!
お正月の賽銭ちゃんと奮発して100円入れたのに、なんでですか神様、お天道さま嫌いな人間じゃ100円じゃダメなんですか。
私は気を取り直してヨロヨロと命の綱になるだろう装備を確認する。
この寒さ、このぼろい小さな小屋、ぼろいのに蜘蛛の巣さえはってない状況を考える。
十中八九ここは山の中だろう。
またまた怒りが溢れてきたのをぐっと抑える。
また後で寝るとき思う存分呪いの儀式をしてやる!
待ってろ、悟!
あの拉致られてアラスカはユーコン川での壮絶なサバイバルを思い出せ。
私は大丈夫、大丈夫。
日本の冬山には脅威になる生き物はさほどいないはず。
まだ熊は冬眠なはずだ、もう少ししないと出てこないはず。
私の着ている服にはいるけどな!
この時期なら野生の猪くらいか。
何はともあれリュックサックの中身を点検していく。
サバイバルナイフ、小さなナタ、オイルライター、ランタン、ホワイトガソリンに簡易コンロ、缶詰などいろいろある。
当座は何とかなりそうだ。
あっ何だろ、またメモが一番底にある。
「俺が提案した帰国祝いをお前に却下された腹いせなんかじゃないぞ!」
私は読むとその瞬間また吠えた。
そうして冒頭に戻る。
さすがに三日目ともなれば食糧事情が心許なくなってきた。
擬似餌を手作りして現在釣り糸を垂らしているんだけど、さすが日本の川にいる魚、ふてぶてしいにもほどがある。
カナダのユーコン川ではこれで結構釣れたもんだがダメなのか。
またまたグーッとなったお腹に負けるものかと魚がいる方に再びトライしようとした時、その音が聞こえてきた。
バラバラとなるヘリコプターの音だ。
やっと誰かが探し出してくれたようだ。
私は開けた方に歩き出しながら、あの嫌いな祖母が繰り返し見ていた某水戸黄門の台詞を口にした。
そう悪代官をやっつける時のあのセリフを。
「助さん、格さん、やっちゃいなさい!」
もちろん、みんなにやられるのはアホの悟だけど。