このろくでもない、しかしやかましい店内6
名前というものは、呪いだという。
古来より個人の名前は呪術や魔術が深く関わりを持つ。古くは俺のいた東方では、真名という本当の名前を知られると呪殺されやすくなるとされ、高貴な身分や支配者は死ぬまで真名を伏せられたという。中には真名を守るため、名付け親さえ殺した伝承さえある。
だが今となってはそんなものはほとんど廃れた習慣だ。名前なんぞ、この冒険者の集う魔王都では皆好きなように名乗っている。脛にキズある経歴持ちが多そうな冒険者連中なら特に、だ。
それでも、俺にとってはその名前はやはり呪いだ。捨てたはずでも、気がつけば絡みついてくる。
いや、捨てたと思うこと自体が錯覚なのかもしれない。ひょっとしたら、捨てられないほど自らの骨に染み込んでしまっているのだろうか。ならば、この身を引き裂き、骨を砕くしか捨てられないだろう。
だから、俺は、
「――いや、知らないっスね。人違いです」
とりあえず、知らないふりしとこう。
「――この後に及んでシラを切るか、お前は!」
編み笠の客が声を荒げる。女の声だ。
正直な所、こいつには覚えがある。店に入ってきた時点で感づき、俺の名前を言ってきた時点で確信した。
「ならばこの顔も忘れたか、ガンロウ!」
編み笠を外し、台に叩きつけた。傘がバウンド、床に落ちる。
細長く三つ編みに束ねられた後ろ髪、色は俺と同じ東方出身の特徴である漆黒。キレ長の両目、細い輪郭、スッキリとした鼻梁。
四年ぶりに見る、かつてガキの頃から飽きるほど見慣れたその顔は、どこか変わったようで、だがどこがどう変わったかを上手く言い表せない。
それほどに、過去が遠くなったことを今更自覚した。
「――悪いんですが、覚えがありません。客じゃないなら出て行ってもらえませんか?」
「お前はっ!」
東方の女――シェイ・フェンが再び激昂。レジ台を叩く。
「あたしはな、お前がいなくなってからあちこち行方を探したんだぞ。行く先で何をしているかと思えば、
屋台! 娼館の用心棒! 借金盗り! コック! 挙げ句の果ては傭兵! 更に今度はコンビニ店員で、なおとぼけるだと?
お前は師から授かった拳技をなんだと思ってる!」
「…………はぁ、さいですか」
やはりまだ探し回ってたか。あちらこちらを回っていたのも、こいつ、フェンが俺を探し回っているのを察知して逃げ回った結果だ。しかし、まさかここまで追ってくるとは。
「買い物する気が無いなら、話す事はありませんね。俺は店員、あんたは客。買わないなら話すことは無いです」
「……ぐっ」
俺を睨みつけるフェン。穴でも開けようとするように、呪詛を込めて俺を見る。
沈黙。だがフェンは場所をどかない。
そして、ふと周りの視線に気づく。
状況が解らずにいる魔王さん、相変わらずカップラーメンしか見てない盗賊、ロリ系キャラクターの食玩フィギュアを見ながら動かない戦士。
フェンの後ろで食料を抱えたまま会計が出来ずに困ったまま気まずそうにしてるオーガとサイクロプスの魔族のオッサン二人。
そして明らかにわくわくした視線――つまりなんらかの修羅場を期待――を送る勇者と魔術士。
「――あー、今ならからあげ氏、半額サービスだけど。一個百ギル」
ちょっと『買えよ』と仕向けたら引くか?
「……カレー味を一つくれ」
買うのかよ。
「……はい、毎度」
思い出す。そういや、こいつの性格ってなんつーか『真面目だけど少しバカ』だったなぁ……
「さあ、モグ、話を続けるぞ、モグ、ガンロウ! モグモグ」
食べながら話すなバカ。
「なぜ今まで逃げていた、お前はなぜあたしと向き合おうとしない! モグ」
言葉の最後に、残りのからあげを口に含む。空の袋をくしゃりと丸めた。
「俺は別に、ウォン・ガンロウって人間じゃないですけどね、――――逃げてる奴を追い回してるヒマあるなら、とっととどこぞに嫁にいったほうがいいんじゃないですか? 行き遅れないうちに、ね」
「――このっ!」
平手打ちが一閃、俺の左頬を打つ。だが威力が減るため、ペチリと情けない音が出るのみ。
これでいい、追ってくるなら、追う気が無くなるほど嫌われておけばいい。……なんかいま魔王さんと魔術士がすげーしょっぱい顔してたな。
「あたしはまだ二十二だ! それ以前にお前に心配される言われは無い! 真面目に答えろ、ガンロウ!」
そういやこいつ俺と同い年だったっけ。しかし背は伸びても胸は成長しねぇなこいつ。
「俺はジム・スミス。ウォン・ガンロウじゃない。それに……」
「……それに?」
「それに、百ギルの売り上げじゃここまでですね」
「――ぬぅぅうう! からあげ氏の塩だれ味!」
まだやるのかよ。