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氷の死神と紅の火花~宿敵同士の忍びが、地獄の果てで愛を知るまで~  作者: 御子神 花姫


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6話 月下の逃亡、偽りの誓い


 宿場町の旅籠の一室に、張り詰めた殺気が満ちていた。

 戸の向こう側に立つ影は三人。蓮が「甲賀の崩れ」と呼んだその刺客たちは、幕府の正規隠密のような規律はないが、金と殺戮に飢えた獣のような狡猾さを持っていた。


「……陽葵、窓から屋根へ出ろ。お前は巻物を守れ」


 蓮の声は、地を這うような低音で響いた。

 彼は布に巻いた刀の柄を握り、音もなく重心を下げる。陽葵は一瞬、彼を一人残すことに躊躇したが、蓮の瞳に宿る絶対的な拒絶の色を見て、唇を噛んだ。


「……死なないでよ。あんたを殺すのは、私なんだから!」


 陽葵は紬の着物の裾を端折り、窓を蹴り開けて夜の闇へと躍り出た。

 それと同時に、部屋の戸が爆ぜた。

 三人の刺客が同時に室内に転がり込み、月光を浴びた抜き身の刃が、蓮のいた場所を十字に切り裂く。しかし、そこにはすでに彼の姿はなかった。


「……遅いな」


 蓮の言葉が、刺客の一人の背後から降った。

 鞘に入ったままの刀が、刺客のうなじを正確に砕く。鈍い音と共に男が崩れ落ちるのと同時に、蓮は布を解き放った。名刀『氷雨』がその姿を現し、室内の空気を一瞬で凍てつかせる。


 外の屋根の上では、陽葵もまた窮地に立たされていた。

 逃げた先に待ち構えていたのは、二人の伏兵。彼らは細い鎖の先に分銅がついた「鎖分銅」を自在に操り、陽葵の退路を断つ。


「望月の小娘! その首、高く売らせてもらうぞ!」


 分銅が空を切り、陽葵の頬をかすめる。

 陽葵はクナイを両手に構え、屋根の勾配を利用して加速した。彼女の戦い方は、火遁と体術の融合だ。懐から取り出した小さな火薬玉を屋根に叩きつけ、爆発の衝撃と煙を盾に、刺客の懐へと潜り込む。


「……売らせないわよ。私の命も、誇りも!」


 クナイが刺客の喉元を狙う。だが、相手も手練れだった。陽葵の腕を掴み、そのまま屋根から突き落とそうと力を込める。

 その時だ。


「……私の獲物に触れるなと言ったはずだ」


 背後から、凍てつくような声が響いた。

 次の瞬間、陽葵の腕を掴んでいた刺客の手首が、音もなく宙を舞った。

 返り血を浴びた蓮が、夜風に装束をなびかせてそこに立っていた。彼の剣はもはや、人の業を超えた領域に達している。


「蓮……!」


「喋るな。走るぞ」


 蓮は陽葵の腰を引き寄せ、隣の建物の屋根へと大きく跳躍した。

 宿場町の屋根伝いを、二人の影が駆け抜けていく。背後からは「火事だ!」「曲者だ!」という町人たちの悲鳴と、追っ手の怒号が追いかけてくるが、蓮の足取りに迷いはない。


 町を外れ、暗い森へと逃げ込んだところで、二人はようやく足を止めた。

 陽葵は激しく肩で息をしながら、隣で静かに刀の血を拭う蓮を見つめた。


「……あんた、どうして。部屋にいた三人は?」


「……処理した。それよりお前、足はどうした」


 蓮の指摘に、陽葵は初めて自分の左足が熱を持っていることに気づいた。戦闘中、屋根の瓦に仕掛けられていた撒菱まきびしを僅かに踏み抜いていたのだ。

 アドレナリンが引くと同時に、激痛が襲ってくる。


「……っ、これくらい……平気よ」


「平気なわけがあるか。歩き方が不自然だ。……見せろ」


 蓮は有無を言わせぬ力で、陽葵を大樹の根元に座らせた。

 彼は跪き、陽葵の足首をそっと手に取る。

 忍びの指。数多の命を奪ってきたその指先が、今は驚くほど丁寧に、陽葵の足袋を脱がせていく。


「……少し、沁みるぞ」


 蓮は懐から小さな水筒を取り出し、陽葵の傷口を洗浄した。

 冷たい水が傷を洗うたび、陽葵は小さく身を震わせ、蓮の肩を掴んだ。

 月光が、二人の姿を静かに照らし出す。


「……ねぇ、蓮」


「何だ」


「どうして……ここまでしてくれるの? 私はあんたの標的で、いつかあんたを殺すって言ってる敵なのに」


 蓮の指が、一瞬だけ止まった。

 彼は顔を上げず、傷口に清潔な布を巻きながら、掠れた声で答えた。


「……分からない。……ただ、お前が死ぬところを想像すると、胸の奥が、氷を飲み込んだように冷えるのだ。これは、任務の失敗を恐れる感覚ではない」


 それは、感情を持たぬはずの「死神」が吐露した、初めての告白だった。

 陽葵の瞳に、涙が滲む。

 復讐のために、心を殺して生きてきた。誰も信じず、ただ剣だけを頼りにしてきた。そんな自分を、宿敵であるはずの男が、こんなにも必死に繋ぎ止めようとしている。


「……馬鹿ね。あんた、本当に馬鹿なんだから」


 陽葵は、蓮の頭をそっと自分の胸に抱き寄せた。

 蓮の身体が一瞬強張ったが、彼は拒絶しなかった。

 森の静寂の中で、二人の心臓の音だけが、不器用に、けれど確かに重なり合っていた。


「……陽葵。私は、お前を望月の里まで送り届ける。……それが終わるまでは、お前を死なせない。例え、この命と引き換えにしてもだ」


「……違うわ。あんたも生きるのよ。……一緒に、お団子を食べるって言ったでしょ?」


 蓮は答えなかったが、陽葵の腰に回された彼の腕には、先ほどよりも強い力が込められていた。


 偽りの夫婦として始まったこの旅は、今、本物の「絆」へと形を変えようとしていた。

 だが、二人の背後には、幕府最強の追跡班が、着実にその距離を詰めていた。


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