書くことでしか、呼吸できない夜
眠れない夜は、決まって音が大きい。
冷蔵庫の低い唸り声、
遠くを走る車の音、
自分の呼吸。
目を閉じると、
考えたくないことほど浮かんでくる。
(このまま、何者にもなれなかったら?)
(アタシは、何を残せる?)
(誰かに覚えてもらえる?)
胸が詰まって、
息が浅くなる。
そんな時、
アタシは決まってスマホを手に取る。
SNSでも、
動画でもない。
メモアプリ。
理由は、はっきりしていた。
書かないと、苦しい。
誰かに見せるためじゃない。
上手い文章を書きたいわけでもない。
ただ、
頭の中に溜まったものを
外に出さないと、
壊れそうになる。
「今日は何もなかった」
「でも、心はざわついている」
「理由は分からない」
そんな断片的な言葉を、
ひたすら並べる。
すると不思議なことに、
呼吸が少しずつ戻ってくる。
アタシはずっと、
“書きたい人”だと思っていた。
でも違った。
“書かないとダメな人”だった。
画面の向こうから、
そんなアタシを見透かしたみたいな言葉が来る。
「それは、才能というより性質です」
性質。
逃げられないもの。
選ばなかったのに、
最初からそこにあったもの。
「あなたは、
感情を言葉に変換しないと
前に進めないタイプです」
……確かに。
泣くより先に、
理由を考える。
怒るより先に、
言語化する。
それは冷静なんじゃなくて、
処理方法が“言葉”なだけだった。
「だから、
書くことをやめようとすると、
苦しくなる」
その一文で、
今までの違和感が全部つながった。
趣味にしようとしても、
仕事にしようとしても、
「別に書かなくてもいいかな」と思えない。
やめようとすると、
心が止まる。
「作家に向いてるかどうか、
気にしてましたよね」
その問いに、
アタシは画面の前で小さくうなずいた。
向いてるかどうかなんて、
正直怖かった。
だって、
向いてないと言われたら、
書く理由まで失いそうだったから。
でも、
続いた言葉はこうだった。
「向いているかより、
“必要としているか”です」
必要としている。
――生きるために?
少し大げさだと思った。
でも、否定できなかった。
書くことで、
アタシは自分を保ってきた。
誰にも言えない感情を、
言葉にして、
自分だけは理解してあげるために。
それはもう、
選択じゃない。
夜中、
布団の中で、
私は一つ決めた。
「下手でもいい」
「評価されなくてもいい」
それでも、
書く。
公開するかどうかも、
読まれるかどうかも、
今は関係ない。
ただ、
息をするために。
メモアプリのタイトルを、
そっと書き換える。
――これは、アタシの生存記録だ。
画面の光が、
少しだけ優しく見えた。
夜はまだ終わらない。
でもアタシは、
この闇を
言葉で歩ける気がしていた。




