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第二十二話

 エレノア・フォン・アールデムは、自室の窓辺に立ち、広大な公爵家の庭園を見下ろしていた。隣には、柔らかな日差しを浴びて微笑むロゼがいる。その小さな手の温かさが、エレノアの指を通して、心の奥底まで染み渡る。


 ルーク兄様が、自分たち二人の関係を認めてくれた。


 それは、エレノアにとって、想像以上の大きな喜びだった。


 世間の目は、まだ厳しく、貴族たちの陰口や嫌がらせは水面下で続いていたが、エレノアの心は、もう揺らぐことはなかった。


 父と兄、そして何よりもロゼが、ありのままの自分を受け入れてくれている。その確かな絆が、エレノアに揺るぎない自信を与えていた。


 だが、エレノアには、まだ、決めなければならないことがあった。ロゼと、共に生きていくこと。その決意を、公爵令嬢としての未来と、どう折り合いをつけていくのか。


 エレノアは、ロゼの手をそっと握りしめた。


「ロゼ……わたくし、あなたと、共に生きていきたい」


 エレノアの言葉に、ロゼは、驚いたようにエレノアを見つめた。その瞳は、期待と、そして微かな不安が入り混じっていた。


「お、お嬢様……?」


「もう、『お嬢様』ではなくていいわ、ロゼ。わたくしは、エレノア。ひとりの、エレノアという人間。あなたは、わたくしにとって、かけがえのない、大切な人、大切なロゼ。だから……わたくしと、共に、人生を歩んでほしい」


 エレノアの瞳には、ロゼへの確かな愛情と、そして未来への決意が宿っていた。


 ロゼの目から、大粒の涙がポロポロと溢れ始めた。


「エレノア様……わたくしのような者で、本当に良いのですか……? 私は下働きのメイド……」


 エレノアはロゼの手を引いて、胸の中に抱きしめた。その小さな身体が、震えている。


「あなたは、私にとって、一番大切な人よ。身分など、関係ないわ」


 エレノアは、ロゼの髪を優しく撫で、その小さな身体を強く抱きしめた。ロゼの温かさが、エレノアの全身を包み込み、心の奥底まで満たしていく。


「わたくし……っ、わたくしも……っ、エレノア様と、共に……っ、生きていきたい……っ!」


 ロゼは、そう言うと、エレノアの身体にしっかりと腕を回し、その思いを受け止めた。二人の間に、静かで、しかし確かな決意が満ちた。




 その日の夜、エレノアは父オスカー公爵の執務室を訪ね、兄ルークにも同席を求めた。


 二人の男性は、エレノアの真剣な表情を見て、何か重大な話があることを察したようだった。エレノアは、二人を前に、深呼吸をして、ゆっくりと、しかし確かな声で語り始めた。


「お父様、兄様。本日は、わたくしの未来について、お二人に、わたくし自身の言葉でお話ししたく、お時間をいただきました」


 オスカー公爵は、優しく頷いた。ルークもまた、真剣な眼差しでエレノアを見つめている。

「わたくしは……ロゼと、共に生きていくことを決意いたしました」


 エレノアの言葉に、ルークは一瞬、息を呑んだ。オスカー公爵は、静かに頷いている。彼は、すでにエレノアの決意を知っていたのだろう。


「わたくしは、公爵令嬢として、アールデム家の一員として、生まれました。そして、これまで『慈愛の聖女』として、皆さまの期待に応えようと、偽りの仮面を被り続けてきました」


 エレノアは、自らの過去の苦悩を語り始めた。


「ですが、わたくしはもう、偽りの姿で生きることはできません。ロゼが、わたくしに、真の自分を受け入れる勇気を与えてくれました。わたくしは、ロゼと共に、ありのままの自分で生きていきたいのです」


 エレノアの言葉は、公爵令嬢としての立場を揺るがしかねない、重大な告白だった。しかし、エレノアの瞳には、迷いは一切なかった。


 ルークは、厳しい表情でエレノアを見つめていた。


「エレノア。お前がロゼとの関係を真剣に考えていることは、理解している。しかし、公爵令嬢たるお前が、そのような決断をすれば、公爵家は世間から、これまで以上の批判に晒されるだろう。お前の名誉だけでなく、アールデム家全体の体面に関わることなのだぞ。せめて、ひそやかな交際に留めることはできないのか?」


 ルークの声には、兄としての心配と、公爵家の未来を案じる責任感が滲んでいた。


「兄様のおっしゃることは、重々承知しております。ですが、わたくしは、もう偽りの名声のために、自分の心を犠牲にすることはできません」


 エレノアは、ルークの視線を真正面から受け止めた。


「わたくしは、これまで『聖女』として祭り上げられ、何もかもが意図しない形で『善行』に転じてしまうことに苦しんできました。それは、私自身の存在意義を失わせるほどの苦痛でした。ですが、ロゼは、そんなわたくしを、ありのままの『エレノア』として見てくれました。彼女の純粋な愛情が、わたくしをこの呪いから解放してくれたのです」


 エレノアは、ロゼとの出会いが、いかに自分を救ったかを、訥々(とつとつ)と語った。ルークは、妹の言葉に、静かに耳を傾けていた。彼の表情は、少しずつ和らいでいく。


 そして、エレノアは、公爵令嬢としての、新たな決意を口にした。


「わたくしは、公爵令嬢としての義務を、決して疎かにするつもりはございません。ですが、これからは『聖女エレノア』としてではなく、一人の人間、エレノア・フォン・アールデムとして、公爵家と、この国に貢献していきたいのです」


 エレノアは、ルークを真っ直ぐ見つめた。


「兄様は、次期公爵として、アールデム家を立派に導いてくださるでしょう。わたくしは、その兄様を、陰ながら、そして時には表立って、全力で支えたい。公爵家が抱える課題、領民たちの生活、そして国の未来のために、わたくしにできること全てを、ロゼと共に、誠心誠意、尽くしていきたいのです」


 その言葉は、エレノアの心からの、偽りのない決意だった。


 彼女は、もはや復讐心に囚われていた頃のような、歪んだ感情は抱いていない。


 ただ、愛するロゼと共に、この世界で、自分にできる限りの『善行』を成したいと願っていた。


 ルークは、エレノアの言葉に、深々とため息をついた。


「……エレノア。お前が、ここまで真剣に考えているとは、思わなかった」


 ルークの表情は、もはや困惑や怒りではなく、妹の成長に対する、深い感銘に変わっていた。彼は、エレノアが『聖女』という重圧から解放され、一人の人間として、これほどまでに強くなっていたことに気づいたのだ。


「公爵家としての体面は、確かに重要だ。だが、それ以上に、家族の幸せが大切であることも、父上から教えられた。……分かった。お前の決意、受け入れよう」


「だが、簡単にはいかないぞ。世間は、そうやすやすと、お前たちの関係を受け入れはしないだろう。困難な道が待ち受けている。それでも、お前は進むのか?」


 ルークの問いに、エレノアは迷わず頷いた。


「はい。ロゼと一緒なら、どんな困難も乗り越えられます」


 エレノアは、ルークに、そしてオスカー公爵に、心からの笑顔を向けた。


 ロゼもまた、エレノアの人生の伴侶としての覚悟を決めていた。


 エレノアから、共に生きていくこと、そして公爵家の一員としてエレノアを支えていくことの決意を聞かされたロゼは、エレノアの傍らで、その小さな身体に確かな決意を宿していた。


「わたくしは、エレノア様と、共に歩む覚悟でございます。メイドとしてではなく、エレノア様の、かけがえのない伴侶として。エレノア様が望むのならば、どんな場所へも、どんな困難な道へも、喜んでお供いたします」


 ロゼの瞳には、エレノアへの揺るぎない愛情と、未来への強い決意が宿っていた。彼女は、エレノアと共に生きることで、自身の存在意義を見出していた。


 エレノアがかつて自分を救ってくれたように、今度は自分がエレノアを支え、共に幸せを掴む。それが、ロゼの心からの願いだった。


 公爵令嬢と、孤児院出身のメイド。二人の愛は、身分や過去の隔たりを超え、確かな未来へと向かって進み始めていた。


(つづく)

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