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ハザマの刀鍛冶師  作者: 掛井泊
第2章
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第7話 雪辱・迷宮・パートナー(2)

「ウォーバニアから南に500キロの場所にある、イーラ火山。そこに大型の竜型魔獣、『緋火竜(ヒヒリュウ)』が現れました。……詳細は、こちらの資料を」


手渡された数枚の資料には、緋火竜の特徴と、周囲の被害情報が事細かに書かれていた。10メートルを超える体躯に、紅蓮の鱗。羽ばたき一つで竜巻生み出す翼に、岩盤をたやすく引き裂く爪と牙。以前コテツが戦った黒曜竜が、子供に見える、まさに竜の名を冠するに相応しい魔獣だ。何より凶悪なのは、巨大な口から吐き出される灼熱の息吹。魔術によって、その炎も命ある竜のように操るらしい。


「緋火竜は、マグマを喰らい熱源にすると言われています。緋火竜によって、イーラ火山の火山活動は衰え始めました。周辺地域の平均気温も急激に低下し、既に農作物などへの影響が出ています」


それだけではなく、と続けるチハヤの顔つきは無感情で、まさに任務報告を聞いているようだった。背丈を超えるほどの大剣を背負っているのに、ずっと背筋が伸びている。


「……そして。魔力補給のためか、周辺の村の人間も襲っています。この3ヶ月で5つの村が襲われ、全焼しました」


コテツの脳裏に過ぎる、昏い記憶。自らの故郷が魔族に襲われたときの光景は、ゆらめく炎のせいか、ひどく歪んで記憶されていた。それでもあの日の喪失感は、昨日のように鮮明に思い出せる。コテツの額には、いつのまにか汗が馴染んでいる。


「今から1ヶ月後。緋火竜討伐の任務があり、その任務に私も赴く予定です。……しかし今の私の力では、緋火竜の討伐は叶わないでしょう。……()()1()()()()()()()()()()()


どういうことだ、とコテツが疑問を口にする前に、チハヤはおもむろに、左腕の袖を捲った。手首から肘にかけて、きつく巻かれた包帯。それが解かれると、痛々しい火傷の跡が覗いた。


「半月前、私は既に緋火竜討伐に臨み、失敗しました。その強さと恐ろしさは、身に染みてわかっている。……今の私では力及ばないことも。アレは一刻でも早く討伐すべき存在であることも。私が一番、知っています」


コテツは思わず、顔を顰める。跡は残らないそうなので、とチハヤは事も無さげに言うが、これではまともに眠るのも厳しいはず。しかし、ミウからはそんな話は聞かなかったから、隠し抜いたということなのか。コテツは、チハヤの精神力に感服した。そして、緋火竜の恐ろしさも実感が湧いてくる。


「……そんなに危険な魔獣なら、上が動いてくれるものじゃないのか」

「それ、は。色々と、事情がありまして。隊長・副隊長格の団員は、別件で多忙なんです。その予定が空くのを、指を咥えて待ってるわけもいかず。再び討伐任務を命じてほしいと、上に直訴しました」


ウォーバニア王国の騎士団は、対魔族において世界最高レベルの戦力。その隊長・服隊長ともなれば、常に世界中の危険な戦いに駆り出されているはずだ。3()()()()5()()()()()()()()()()の被害なら、後回しになってしまうのだろう。ただそれは、より多くの命を救うための選択だ。王国に少なからず因縁があるコテツでも、彼らを責めるのは少し違うと感じる。


(それに、責任は彼らの振るう刀を造る、俺たち鍛治師にもあるはずだ)


「……本来は、すぐにでも向かいたいところなのですが。治療と討伐準備のために、最短でも1ヶ月は待てと言われてしまいました。加えて、今度こそ討伐できるという根拠を示せない限り、許可できないと」

「それは……妥当な、判断だ。その根拠を造り出すのが、俺の仕事というわけか」


そこでコテツは、1つの疑問を覚えた。そういえば、同様のことをミウにも聞いたな、と思い出しながら、チハヤに問いかける。


「……こう言ってはなんなんだが、なんでわざわざ俺に依頼を? 天下の王国剣士団なら、いくらでも鍛冶屋の伝手はあるはずなのにーー」

「既に心当たりのある鍛治師には頼んで、すべて断られました」

「……!」


チハヤは依然として、淡々とした口調のまま話を続ける。


「王国剣士団の中でも、私は所詮ヒラの一隊員。最初は期待の新星、なんて呼ばれた頃もありましたが。今はすっかり伸び悩んでいます。今の私は、鍛治師が刀を打ちたいと思えるような、価値のある剣士ではありません。……それが、一度敗れた危険な魔獣に挑むための刀であれば、なおさら。再び私が任務に失敗すれば、刀1本無駄になる程度ならまだしも。下手すれば、鍛冶屋の評判に関わりますからね」


分の悪すぎる賭け、というわけです。そうチハヤは呟くように付け加えた。コテツは彼女の言葉に頷くことはできなかったが、依頼の背景は察しがついた。


「なるほど。まともな依頼先が尽きた苦肉の策で、こんな場末の鍛冶屋に駆け込んだってわけか」

「いいえ。それは、少し違います。……一番の理由は、ミウの包丁を造った貴方に、私の刀を任せたいと思ったからです」

「……え?」


間髪入れずにチハヤは答えた。予想だにしなかった言葉に、コテツは思わず間抜けな声を漏らす。


「あの包丁が、優れた技術の結晶であることはもちろん。ミウのためを想って造られた代物だと、一目でわかりました。……一番そばにいた、唯一の家族だったはずなのに。気づけなかったミウの気持ち。あの包丁は私にそれを伝える、橋渡しになってくれた」


これまでの鋭利で冷たい話しぶりから、特段表情も声音も変わったわけではない。けれどもチハヤの口ぶりからは、隠しきれない妹への愛情が滲んでいた。


「……だから私も、その包丁を信じてミウに預けることができました。ミウも自分のできることを見つけて、前よりもずっと嬉しそうです」


コテツは今更ながら、彼女は確かにミウの姉なのだと実感する。そしてチハヤの言葉を聴きながら、胸から目の奥にぐっと込み上げる熱を感じていた。それを悟られないように、コテツはゆっくりと、静かに息を吐く。


「そ……んな包丁を造ってくれた鍛治師に、新しい刀を頼めたなら。私の未来を拓く一振りを、造ってくれるかもしれない。それに賭けるのが、今の私ができる最善の選択だと思っています。その刀で戦えるなら、命を落としても後悔はない」


そう言い切ったチハヤの言葉が、コテツの耳の奥に重たく響く。鍛治師も、刀造りに命を懸けている。ただそれは、結局のところ比喩でしかない。けれどその刀を握る剣士は、わざわざ懸けるまでもなく、常に生死を懸けた戦いに臨んでいる。その絶対的な差を、コテツはどう捉えるべきかわからなかった。ただ、ふと脳裏に過ぎったのは、ミウの控えめなあの笑顔。


「……あなたには、ミウさんがいる。お互いに大切に思っている家族がいる。なのに、どうしてそんなふうに思えるんだ」

「……もちろん。ミウのためにも、最初から死ぬつもりはありません。でも、ミウを命を懸けない理由にもできない。私は、王国剣士団の一員です。ミウのことが何より大事だからこそ。今も世界のどこかで、誰かの大切なものが失われていることが、耐え難い。それを守る力と責任が、私にある」


胸の紋章に手を当て、揺らがない瞳でチハヤは言い切った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「……情に訴えたと思われるのも本意ではないので、改めて。この依頼は、鍛冶屋側のメリットは少ない。ただ、報酬は最大限払いますし、仮に私が戦死しても、貴方に責任は一切ありません。私の遺志で、世間の声を御し切れるかはわかりませんが、最善は尽くします。それに――」

「請ける」


コテツは呟くように言った。え、と今度はチハヤが虚をつかれたような声を漏らす。


「請けるよ」


コテツはもう一度、今度は力強い声で宣言した。


(そもそも、俺にとってこの話にデメリットなんてない。開店1年で客が2人目の鍛冶屋に、落ちる評判なんてどこにもない。悪評ですら欲しいくらいだ。それに、王国剣士団の剣士のハザマ刀を打てるなんて、こんなチャンスそうそうない。……だけど、一番の理由は)


「……1つだけ、約束してほしい。俺の刀は、あなたを絶対に死なせない。だから最初から最後まで、死ぬことなんて1ミリも考えないでくれ。緋火竜を倒し、無事にミウさんの元へ帰ること。それだけを思っていて欲しい」


大切なものがありながら、誰かの大切のために命を懸けられる。チハヤの勇気と気高さに、コテツは言い表せない感銘を受けていた。鍛治師ゆえに、同じように命を懸けられない悔しさと無力感。でも鍛冶屋だからこそ、彼女の力になれるのでは、戦いの責任を背負えるのでは、という想い。何より、鍛治師の前に1人の人間として、彼女の生き様に最大限の敬意を払いたい。そう思ったのだ。気づくとコテツは、自らの手をチハヤへと差し出している。


「この仕事を任せてもらえて、とても光栄に思う。必ず、あなたに見合う刀を造ってみせる」

「……ありがとう、ございます」


チハヤは少し戸惑いながらも、ゆっくりと差し出された手に自らの手を伸ばす。片方の手は金槌を握り続け、片方の手は剣を振り続けた手。過程は違えど同じくらい、分厚く固まった手のひらだった。お互いにそのことに気づいたとき、チハヤの頬が出会ってから初めて、ほんの少しだけ緩んだ。コテツはそこに、彼女の妹の笑顔との重なりを、わずかに見た。

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