第4話 少女・包丁・初仕事(4)
「わ、わたしの包丁できたって、ほんとうですか……?」
「ああ。持ってくるから、そこで座って待っててくれ」
半月後、再びミウは鍛冶屋くろがねを訪れた。正確にはこの半月、彼女はほぼ毎日店を覗きに来ていたのだが。
「……あの、大人しくしてますので。ここで本を読んでてもいいですか……?」
そんなミウの申し出を、特に断る理由のないコテツは受け入れた。現状、彼女が唯一のお客様であり、他に来訪者の気配もない。ミウはコテツから少し離れた椅子で、じっと本を読んでいる。コテツも自らの机で、包丁に関する本を読み漁る。「まあ、家で1人でいるよりも健全なのか?」なんて思ったが、会ってまもないほぼ無職の男と2人きりのこの状況の方が、客観的に見てよろしくないことをコテツは気づかない。そんな沈黙の日々が半月続いた今日、久々に2人の間に会話が生まれた。
「……わあ。ピカピカで、すごくきれい……」
コテツは丁寧に包んだ帆布から、一振りの取り出されたのは、透き通った黒色の刃を持つ包丁だ。ミウは感動半分、たじろぎが半分といった様子でつぶやく。
「これは、黒曜竜という魔獣の鱗から造った包丁だ。そのままでも十分よく切れるけど、切れ味をさらに高める魔術も施している。……要するに、なんでも簡単に切れる包丁ってこと」
クロガネと共に暮らしていた頃、しばしコテツも料理当番をしていた。まだコテツが幼かったとき、肉がうまく切れずにぐちゃぐちゃになって、クロガネに笑われたのを覚えている。そんな記憶から造ったのがこの包丁だ。これなら幼いミウの力でも、どんな食材も容易く切れるだろう。
そして、単に切れ味だけでない。全体の重量、持ち手の太さ、魔術効果の最大化など、ミウという使い手のことを考えながら、ひとつひとつ工夫と調整を重ね造ったものだ。「誰かのために刀を打つ」という鍛治の本質を、コテツは初めて味わった。それをハザマ刀ではなく包丁で大剣するとは、想像だにしなかったけれど。
そしてできあがった一振りは、今までの鍛治人生で何百、何千と打ってきた刀のどれよりも、魂が込められたものになった。
「あ、あの。この包丁、ここで使ってみてもいいですか……?使い方、教えてほしいです」
「うん、もちろんだ」
コテツは頷き、ミウを店裏にある小さな台所に案内した。コテツの食事はほぼ自炊だが、質素なものしか食べないし、そもそも鍛治に夢中で食事を忘れることも多く、台所は小綺麗さを保っている。コテツは棚からまな板と芋を取り出し、調理台に並べた。
「持ち方とか、わかるんだっけ」
「知っては、います。たくさん、本は読んだので」
そういえば、ミウが読んでいた本は料理関係の本だったような。緊張気味のミウに、黒曜竜の包丁を手渡した。震える手で包丁の柄を握り、慣れない猫の手で芋を押さえ込もうとする。コテツははらはらしながら、再びミウに尋ねた。
「ミウさんは、魔術の使い方はわかるんだっけ」
「は、はい。それも本で読みました。お姉さまにも、少し聞いたことがあります」
「わかった。じゃあ最初は、ほんの少しだけ魔力を込めて――」
「え、えいや!」
コテツがそう言い終わる前に、ミウは渾身の魔力を黒曜竜の包丁に込めた。込めてしまった|。術式に魔力が走り、刃が激しく光る。そして、響く轟音。
その刃は、見事に芋を切断した。まな板ごと。そして、台所ごと。
黒曜竜の包丁は、床に深々と突き刺さっている。斬撃の余波でがらがらと食器が崩れ落ち、水道管から水が噴き出た。コテツは一瞬あっけにとられたが、すぐさまにミウに駆け寄った。
「け、怪我はないか!?」
幸い、ミウのどこにも傷は見当たらず、胸を撫で下ろす。ミウの前髪は横に流れ、黒く大きな瞳が覗いた。コテツは初めて、彼女の目をまともに見る。ミウの瞳は光なく固まっていたが、やがてたくさんの光を集めながら、大きく波打ち始める。そして――
「うわあああああん!!!!!」
普段のおとなしい様子からはまったく想像できない、甲高く大きく響く声で、ミウは泣き出してしまった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「ええと。ちょっとは、落ち着いたかい」
「う……ひっく。ご、ごめんなさい。ありがとうございます」
コテツとミウは台所を離れ、店舗の方へ戻った。しゃくりあげるミウに、コテツはホットミルクを淹れたマグカップを、差し出す。取手を掴もうとするミウの指は、未だ小刻みに震えていた。
「けっこう熱いから、ゆっくり飲んで」
「は、はい」
ミウは、ちょびちょびとカップに口づける。青ざめていた頬にも、次第に赤みが戻っていった。コテツの動揺も少しずつ収まっていく。しかしミウはホットミルクを飲み干したあと、再び震える声になり言った。
「……あ、あの。ほ、ほんとうにごめんなさい。台所、あんなにしちゃって。べんしょう?しないと、ですよね。ど、どれくらいかかるんでしょう……?」
「いや、気にしないでくれ。こちらこそ、危ない目に遭わせてしまって申し訳ない。……それと、包丁のことなんだけど。アレを、ミウさんには渡すことはできない」
「!……そ、そうですよね。あ、あんなことして、わたし、だ、だめな子で。やっぱり怒ってますよね。ほんと、ごめんなさい……」
小さな背中をさらに小さく丸め、ふるふると震え出すミウ。コテツは、「ち、違うんだ」と慌てた声で否定する。
「ミウさんは、本当に気にしなくていい。あの事故は、100%俺が悪かったんだ。さっきので、わかったと思うけど。この包丁は、ミウさんが使うには危険すぎる。これは、『失敗作』だ」
胸の苦みをこらえつつも、コテツははっきりとその言葉をはっきり口にする。想いを込めて造った刀ほど、思い入れが湧く。何かと理屈を捏ねて、これが正解なんだと信じたくなる。しかし、刀の優劣を決めるのは、想いの強さじゃない。「使い手の願いを叶えられる一振りに足り得るか」だ。
「そ、そんな。こんなにすごい包丁を造ってもらったのに。悪いのは、うまく使えなかったわたしで……」
「いや、違わないよ。ミウさんのことを全力で考えて、全力で造ったつもりだったけれど。本当に、『つもり』だったみたいだ。……ただ、ミウさんがケガする前に気づけて、本当によかった」
幼い彼女でも、うまく料理ができるような一振りを目指して。コテツは必死で鍛治に向き合った。その志は、間違っていないと思いたい。間違っているとすれば、目指していたゴールだ。そもそも、なぜミウは包丁を欲しがったのか。ミウにとって「最も」大切なものは、料理の出来の良し悪しではない。
(……そう。大切なのは、お姉さんが喜んでくれることだ)
では、ミウの姉が何に喜び、何に悲しむのか。きっと、ミウ当人もそのことを理解し切っていない。だからこそ、「俺の仕事に意味がある」とコテツは思った。使い手の想像を超え、真の願いを叶える一振りを造ること。「誰かのための刀を造る」ことの本当の意味を、コテツはやっと掴みかけてきた。
「……もう一度だけ、チャンスをくれないか。今度こそ、ミウさんにふさわしい一振りを造ってみせる。だから、もう少しだけ待っててほしい。……の、と」
ひとつ咳払いして、コテツは言葉を続ける。
「少し、俺と、おしゃべりしてくれないか。……いろいろと、教えてほしいんだ。ミウさんのこと。ミウさんが喜ばせてあげたい、お姉さんのこと」
コテツはまっすぐミウを見つめ、告げた。ミウの前髪に隠れた瞳の所在はわからないけれど、なんとなく目が合ったような、そんな気がした。
(まずは、きちんと客のことを知らなくては。想像の中の彼女ではなく、本当の彼女のことを)
鍛冶、いや、仕事の基本。それをロクにできないで何が「あなたのために」だ。コテツは自らの未熟さを恥じる。それでもまた、ゼロからやり直すしかない。ミウの願いを、叶える一振りを。師匠の看板を背負った初仕事として、後悔のない一振りを。この手で造り出すために。